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括線上のアイムナンバーワン  作者: 相葉俊貴
第三章 風
31/56

\\①「プランB」①\\

「……と、いうわけでございましてぇ」

 グレーのアルマーニを着た男が、ようやく長い話を語り終えた。

 信じることができるかは別として、それは世界の終わり(ワールドエンド)の話だった。

 高層マンションの最上階(ペントハウス)からは、貧しい者たちの作り出した煌びやかな夜景がよく見える。

「それで?」

 この高層マンションの一室は、一人で住むには広すぎる。過剰なまでのそのサイズ感が、ここの住人には何よりも心地良いものだった。

 特に置くような家具はない。だから余計に広さが際立つ。

西條(さいじょう)さんにぃ、白羽の矢を立てたく……」

 この部屋の住人は、西條、といった。

「さっき言っていた〝鍵〟が、私、ということですか」

 ふむ、と繋げて、西條は整った顔に気品高い笑みを浮かべる。自分が特別な存在であることを、西條は誰よりも知っているので、特段驚くこともない。

「そう私の班はぁ、考えています」

 グレーのアルマーニの男は、口調こそ日和った感触があるものの、鋭い目つきが、言葉に緊迫感を伴わせている。

「私の班は? どういうことかな」

 傲慢なほどに大きく、けれどもデザインはシンプルなソファーから、西條はすっと立ち上がった。全面ガラス張りの窓に、西條の姿がまるまる映り込む。

「西條さんの他にも、〝鍵〟候補がいるんです」

 アルマーニはぼそりと言った。(うら)むく顔つきには、何やら心情的な背景がありそうだった。

「私以外にも〝鍵〟候補が。それは面白い話ですね。その人は、私と同じくらい幸運に恵まれているということでしょうか」

 真っ直ぐに下々の者の織りなす夜景を見据える。己以上に幸運な者がいるわけがない、そう思いながら。

「いや、そうではないですねぇ。むしろ全く西條さんとは真逆の、凶事を体現したような候補でして。ふざけた話ですがぁ、そっちの候補を護送する班員も、任務名を勝手に《大大凶》としているくらいですから」

 呆れともとれるような語調のアルマーニ。

 このアルマーニの言う事を全面的に信用するならば、この男は日本エネルギー経済開発研究所の柳澤という。

「はは。《大大凶》ですか。あなた方が真面目なのかどうか、さっぱり分からないですね。

 じゃあ差し詰め、私の護送は《大大吉》という任務名にでもなるのでしょうかね」

 西條は優しく笑いかけた。

 IEELの柳澤は、その西條の笑いには一切同調せずに「あなたがそれを望むなら」と言った。

 何にしろ胡散臭い話だ。そう冷静に思う反面、詐欺や盗人にしては妙に、やり方や話のディテールが粗い。その粗さが逆に、得も言われぬ現実感を醸し出している。

 西條をターゲットにした犯罪行為をたくらむ者は数え切れないほどいる。そしてその全てが、西條を富ませ、潤している。

 最初は、柳澤をそういった類の輩かと思った。

 柳澤が西條のマンションに訪れる幾ばくか前、西條の財産を狙って近づいてきた女と寝ていた。外見の価値を資産価値に変えようとするような女には興味がない。だが、西條の財産を目減りさせようとするその行為が、その女の人生を奈落に叩き落とすことになった。

 西條は莫大な個人資産を有している。二八歳という若さで既に、一生という時間をかけても簡単には遣い切ることはできないほどの資産だった。

 その超資産は、蠱惑(こわく)的な(むし)を吸い寄せる。金色(こんじき)なる蜜を、「吸わせて、お願い、吸わせて」と、(すす)けた(おも)いを吐露しながら惑う蟲達。

 蟲の命運は決まっている。

 西條には不思議な性質があった。そこに科学的な根拠がないのだから、性質というより魔力といった方が適切かもしれない。しかしその魔力には一定の(ことわり)がある。だから魔力という言葉すらも、完全に相応しくはない。どうしても言葉にしなければならないのであれば、それはやはり、「吉事」、それも底なしな、無尽蔵なる吉事。だから、西條が口にした《大大吉》は、西條を表わすのに、的を射る言葉なのかもしれない。

 西條の言う《大大吉》は、安直に言えば、〝金〟。金の多寡がそのまま、《大大吉》を示すバロメータだ。

 減らせば増える、不思議な力。〝減らす〟行為が、なぜか西條にとっては、結果的に増える。だから、西條の資産を減らそうとした者がいたのなら、西條は資産を増やしていく。

 西條はこの超然な現象を端的に表して、『\』(バックスラッシュ)と呼んだ。

 世の理と逆行する者。

 究極の差集合により、『1』(唯一)なる存在。

 金に吸い寄せられる蟲は、概ね、外見的に、または内面的に、とても蠱惑的だ。

 それはそれで良い。本来、人とはそのような特徴を金銭に変換するものだからだ。しかし、直線的に金を望めば望む蟲ほど、心は煤けている。

 そして、先ほど肉体として処理した女は、奈落に落ちた。


 あの女の目的なぞ透けていた。

 だから、西條の資産を減少させようという行為を、見て見ぬふりした。西條はベッドで静かに目を閉じていたが、眠りついていたわけではなかった。人前で睡眠をとるほどに、他者に気を許したことなどない。こそこそとベッドを抜け出いく裸の女の、白妙(しろたえ)なる背を、薄眼を開けて見ていた。音もなく寝室を出て行く理由は明らかだったからだ。

 話を、それよりほんの少しだけ遡る。

 究極のVIPしか立ち入ることを許されないプライベートバーで、その女と出会った。目の奥に宿した、金の蜜を狙う邪な光。

 外見の魅力だけでも、これまでその女が出合った男たちでは、簡単に骨抜きにされていたであろう。そして、女も女で、その能力を理解していた。だから言ってやった。

「男ってダメな生き物だよ。本当にだらしがないというか、生活に関する全てがだらけてしまう。

 家事に関することはまだいい。専門の業者に頼めば良いだけだから。

 問題は金だよ。銀行に預けるという行為すらも億劫なんだ。だから、数億円の現ナマを、マンションに置きっ放しにしてしまっている。もう数える気もないから、クローゼットに無造作に放り込んでいる。本当に参ったよ」

 資産家は、現金なぞ持ち歩かないし、滅多に触ることもないのが現実だ。しかし、所詮下界の住人のその女には、その辺の常識を知るべくもない。

 すぐに食いついた。

「ははは。分かるなあ、そういうの。いや、私は身の回りのことをするのは、嫌ではないわ。そうではなくて、男の人ってそういうところがあるものよね、という意味で。

 きっと、男の人にはそれよりも大切なことがたくさんあるのだと思うわ。矜持のようなものがね。私は男の人のそういうところ、尊敬しちゃう」

 大胆に胸元を開けた女の格好は、確かに女が自分の武器を理解しているという証拠だ。偶然の出会いを装った女。現金の話をしたことにより、目の色が変わった女。手入れが行き届いていながら、あえて少しの乱れを作った髪からは、ほのかな匂いが漂う。完全を少し引かせて、隙を見せる。その隙に飛び込んだ男は、何もかもを失うまで、迷宮で惑うことになる。そこまで理解しながら、西條は恣意的に隙に飛び込んだ。

「すごいな。そういう考え方をしてくれる女性がもっと多くなると嬉しい。私は君に出会えたから良かったのだけれども。もう少しお話しできないかな。できれば場所を変えて」

 柔らかな笑みが、その女の「YES」の代わりだった。

 そうして、女はこそこそと動き回る。ありもしないクローゼットの中の(みつ)を求めて。

「がっかりだな。君はそういう人だったのかい」

 後ろから声をかけた時、女は驚愕し、コソ泥の顔をこちらに向けた。すぐに魅惑的な笑顔に戻る。

「あら。起きてたの。さっき、クローゼットが片付いていないって言っていたから片付けてあげようと思って。ごめん。余計だったかな」

「もういいよ。どれくらい金が欲しいのかな?」

 女は顔を崩さない。人工的な笑みには、鍛錬の結果か、何も読み取ることができない。

「私はお金なんていらないわよ。私の職業言ったでしょう?」

「弁護士、だったよね」

「そうよ。お金に困っていないし、そもそもあなたを失ってまで欲しいお金なんてないわ」

 その言葉には百戦錬磨の(したた)かさがぎっしりと詰まっていた。

「そうだよね。でも不思議だな。ないんだ、君の名前が」

「え?」

「弁護士名簿に、君の名前が、ないんだ」

 日本弁護士連合会は、全弁護士の情報を公開している。だから、名前を知ることで、弁護士として登録されているかを簡単に知ることができる。

「そんな。嘘よ。確かに登録されているわ」

 その通り。渡された名刺や、この女が名乗った名前は、確かに名簿に載っていた。

 しかし──

「ああ。君の名刺の名前だと、確かに名簿に登録されていたよ。でもね、私が言いたいのは君の本名の×××の方さ」

 女は蒼褪めた。女の名乗った名は偽名。

 そして女は絶句する。この女にとって、この状況はこれまでにないケースなのだろう。

 その女は大きく勘違いをしていた。

「言い忘れたけど、あのプライベートバーはね、全てが私の物なんだよ。物件とか資産的な意味合いではなくてね。君は気づかなかったのだろうけども、いたるところに監視カメラがついている。

 あのバーは私に寄ってくる蟲を捕らえるための蟲カゴなのさ。

 私にはファンが多くてね、私のファンがご丁寧に近づく者が何者なのかを調べ上げてくれるんだ。だからあのバーに近づいた時点で、君の来歴は全て丸裸になっていた。今の君も裸だけどね」

 睨みつける女。ついに仮面が崩壊した。

「知ってて、抱いたの」

「いや、そうではない。抱いたのは商品価値を見極めただけのことだよ。君は、君自身も気がついている通り、とても素晴らしい価値を持っていたよ」

「どういう意味」

 もはや怒気を隠すこともしない女。

「せっかくの出合いだから教えてあげるけどね、このマンション、私以外住んでいないから。他の部屋は私のファンが仕事場に使っている」

 そこまで言ったところで、西條の後ろに、幾人もの頑強な男たちが現れた。再び青くなる女。もう説明はいらなかった。

 激しく抵抗するも虚しく、女は連れられて行った。女は、顔を押さえ込まれる直前に、「外道」とだけ言った。

「コソ泥の君に言われるとは心外だな。まあいいや。

 君のような美しい女性をおもちゃにしたい金持ちは大勢いるからさ、せいぜい楽しむことだね」

 もうあの女が陽の光を浴びることはないだろう。その代わりに、西條はまたも懐を肥やした。資産価値のある物が、向こうから飛び込んできてくれる。それを横に流していくだけ。

 幼少の頃からそうだった。

 幼き頃は、金とは(おそ)れしものだった。偶然手にした金を、何とかして減らそうと思えば思うほど、増えていくジレンマ。

 宝くじに全財産の数千円を散財した。増えた。

 もう一度同じことをした。増えた。

 試しに一枚だけ宝くじを買った。増えた。

 五回宝くじの一等と呼ばれるものに当選したところで、宝くじは辞めた。

 増えてしまった金を、株に代えた。素人トレードなのに、また増えた。もはやその時点で、取り返しのつかないレベルにまで金が増えた。畏れは恐れになり、西條は、簡単に壊れた。金は人を呼ぶ。それが人ならぬ蟲であることに気がついた時には、金は数えるものではなくなった。

 取り巻きが讃えるように言う。

 ──あなたは、世界一の幸運者だ。

 幼き頃に、親に言われていたことと、現実はまるで違った。

 ──人に讃えられることを成しなさい。

 西條は、自覚もなく金を増やしたこと以外何もしていない。

 ──あなたは、偉人だ。

 金を捨てようとして、将来性のかけらもないはずの事業に多額の投資をした。その資金を元にした事業が成功し、また増えた。親が言っていたことは嘘ばかりだ。

 ──考えもなくお金を遣えば、必ず不幸になる。

 ──あなたは、神の目を持っている。

 ──金が全てではない。金で買えない物こそ大切だ。

 ──あなたは、世界の全てを手に入れた。金が全ての根源です。

 ──金は生きるためには必要だが、満たしてはくれない。

 ──あなたは、世界の誰よりも満ちている。

 ──生きている間に何を成せるのか。偉大な者ほど、それが金ではない。

 ──あなたは、若くして全てを成すことができる人物になった。

 親と時間を共有しなくなったこともあり、次第に、親から言われていた言葉は存在感を失っていった。

 ──あなたは、○○○○だ。

 ──あなたは、○○○○だ。

 ──あなたは、○○○○だ。

 どれも似たり寄ったりな、耳当たりの良い言葉が、西條を再構築していく。理が反転し、『\』(バックスラッシュ)の男として生まれ変わる。西條に纏わる全てが反転する。減らそうとすれば、西條は富む。


 女を抱いた余韻を忘れるように、酒を煽った。

 突然、でかいだけのテレビが勝手についた。

 ──そこに、柳澤の姿があった。

 テレビ越しに、西條のマンションのヘリポートにいると言う柳澤。どうしても会って話がしたいとも。

 また蟲が来たか、と西條は理解した。当然会うことにしたが、いつもと一つだけ違うことがあった。西條の取り巻きたちが、柳澤の身元を特定できなかったのだ。調査に関して、国内最強の精鋭たちにも関わらず。

 会えば、センティリオンウォーだとか、意味不明なことを言う。これまで西條が出会った蟲とは少し趣が違った。

「それでぇ、私たちと一緒に来てもらえるんですかねぇ」

 柳澤はそう訊いた。

「もちろん」と即答する。仮に詐欺行為のようなものだとしても、西條は失うことはなく、失うことになるのは柳澤だ。

「ありがとうございますぅ」

「それで、報酬は?」

「センティリオンストーンが資源化した暁にはぁ、IEELが得る利益の一〇パーセントをお約束します」柳澤の汚い笑顔が、妙に似合っている。

「いや、金はいらないよ。もっと別のものが欲しいな」

「別のものと言いますと」

「地球、かな」

 汚い笑顔がスライドし、訝しがる柳澤。

 報酬は難解であれば、なんでも良かった。地球といったのは、欲しいもののなさを表しただけのものだ。

 ふん、と柳澤が鼻を鳴らす。


 ヘリポートに立つ。出発だ。アパッチの巻き上げる強風が、自分を世界唯一の男に押し上げてくれる力に感じる。

「Y班、みんな準備できてるかなぁ。アパッチでそのまま研究五号館(ラボ・ペンタ¥)に行っちゃうよぉ。どうせ同盟が狙うのは、竜崎の方だから、アパッチでもいいのよ」

 柳澤が横に立って、どうやらチーム員に無線で呼びかけているようだ。竜崎の方、というのが、おそらく先ほど言っていた《大大凶》の候補者の方か。

「《大大凶》さんは既に出発しているんですね。私の囮、という意味合いが強いということでしょうか」

 アパッチのローターが作る強い風に髪を呷られながら、西條は推察の内容を呟いた。

 柳澤がまた、ふん、という仕草をしたが、奏でられた音はローター音にかき消された。

「西條さんがお望みのようだから、Y班も任務名変えようかぁ。プランB移送計画改め、任務名《大大吉》で」

 西條が表情を硬くする。

「プランB?」

「例の《大大凶》の方がプランAなので。空中領域で襲撃されたら、鍵候補が確実に死んじゃうじゃないですかぁ。だからプランA組は陸路で移動してるんですぅ。追い越しましょう」

 柳澤が呆れるように言った。

「私が『A』ではない──」

 それが何を意味しているのか、西條は理解したくはなかった。

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