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括線上のアイムナンバーワン  作者: 相葉俊貴
第三章 風
21/56

=★「エクストリーム」=★

 陽一は軽い吐き気を覚えていた。

 家を連れ出された時は、こんな道程になるとは夢にも思わなかった。車に揺られれていれば、目的地に着く。それが常識だったのに。

 体がどんどん重くなる。一体何度、登ったり降りたりしたのだろう。足元が岩だらけだったり、ぬかるんでいたり、木の根が大きく張り出しているのを避けてみたり。

 子供の頃の遠足にあった、「登山」と銘打たれていたアレは、これに比べれば登山でも何でもなかった。ここに、整備も何もされていない本物の山がある。

 重いのは体だけじゃない。心も重かった。

 咄嗟だったとは言え、飛び出すべきじゃなかった。陽一が不用意に飛び出したせいで人が死んだ。目の前で。申し訳が立たない。何ということをしたのだろう。

 持ち物も重かった。

 竜崎に持っているように言われたこの拳銃。こんな人を殺す道具を、なぜポケットに入れておかなきゃならないのか。この道具は、陽一の生きてきた世界とは異なる世界にあるはずのものだった。

 この拳銃を竜崎が胸元から落としたあの時、竜崎がこの拳銃をお守りにしているという言葉が頭を過った。

 人の大切な物の話を聞いてしまった体が、勝手に飛び付いてしまったのだ。

 足元が痛い。特に右足が。暗くてよく見えないがきっと傷だらけだろう。竜崎たちは携帯電話を頭に取り付けてひょいひょいと進んでいる。もう少し一般人のことを考えられないのかこの人たちは……。

 さっきもあんな戦場に巻き込まれるなんて思っていなかった。未だに銃撃戦の凄まじい音が陽一の耳の奥にこびりついていた。アレは映画で見た戦場そのものだ。

 チラッとこっちに銃を乱射している人が見えた。アレが竜崎の言っていた地球解放同盟なのだろう。白い頭巾で頭と口元を覆い、体も白づくめの奇妙奇天烈な集団の襲撃。そんな自分は今、黒いスーツに身を纏った集団に守られている。

 何が本当(ホワイト)で何が虚構(ブラック)なのか、もう何も分からなかった。それでも、目の前で亡くなったあの戦闘員の人の映像が、現実が何かを教えてくれている気がした。人の命を嘘なんて言っていい訳がなかった。

「中山さん、走ります」

 姫島が振り返って言った。姫島の態度の端々に棘を感じる。きっと陽一に怒っているのだ。

 じっと彼らを観察するしか、陽一の居場所がなかったので、いくつか彼らに関して気がついたことがある。

 ……え⁉ 走る⁉

 歩くだけでもしんどいのに!

 ようやく姫島の言葉を理解し、陽一の吐き気はさらに悪化した。

 陽一は良いとも悪いとも言っていないのに、竜崎たちは進行速度を上げた。

「ま、待って……ゼヒ……くださ……ゼヒ……」

「申し訳ありませんが、待てません」

 姫島が軽く返す。この人たちは化け物だ。息一つ切れていない。恐らくまともな登山道でも陽一には大変な行程なのに、この道なき山を走るのは、本来ならば不可能に近い行いである。

 体全体がもうやめて、やめて、と泣き叫ぶ。少し気を抜けば多分陽一も泣いてしまう。

 どっちが右で、どっちが左で、あれ、上はどっちだ、肺ってなんだ。このゼヒゼヒ言っているのは誰だ。陽一の体内に出たり入ったりしているのは二酸化炭素か。習ったことあるぞ、二酸化炭素を吸ったんじゃ人間は生きていけないこの吸ってるやつが酸素なわけないだって苦しい苦しい苦しい苦しい――

 ――--ボム--――

 あぁ、ほらやり過ぎるから体が爆発しちゃったでしょ。一瞬明るくなったし。明るくなるって気絶するときのやつでしょ。だから待ってって言ったのよ。

「伏せろぉ‼」

 殿(しんがり)の鉄谷が叫んだ。背中側から叫ばれたので、背筋がビリビリと痺れたような気がした。

「追いつかれたか! 全員頭を下げて進行! 離れるな!」

 竜崎も叫ぶ。……え? さっきのって現実の爆発?

 陽一は振り返って鉄谷よりもさらに後方を見た。

 闇夜の中に、メキメキという音が聞こえる。

 怪物が来た――陽一はそう理解した。

 親父が子供の頃に言っていたことを思い出す。

 そうだ、あれはケンタッキーフライドチキンを食べていた時。陽一が食べきれず残してしまったチキンを親父が指差して言った。

『もったいないことをしちゃあ、ホネホネチキンマンが来るんだ。ホネホネチキンマンはおっかねーぞー! 自分の体の骨をメキメキ折りながら暗闇からやって来るんだ――……』

 限界だと思っていた陽一の体が、恐怖により一気に活力を帯びた。駆ける姫島の背に必死に着いて行く。

 ――--ドム--――

 再び後方で爆発音がする。もう嫌だ。ここも戦場だったんだ。

 竜崎が右肘を直角にするように立てて、二本指を立てて右に降った。何だ、と思った瞬間に、姫島に胸ぐらを掴まれて、右側に強引に引っ張られた。あまりに突然だったので、陽一は首が折れたような気がした。

 竜崎、姫島に続いて少し走ると右側に五メートルほどの高さの岩壁が現れた。

 ――--ボン--――

 咄嗟に頭を隠してしまうほど、今のは近かった。振り返るとベキベキと大木が崩れ落ちるのが分かった。倒れゆく大木の、その奥に――ホネホネチキンマン……ではなく、戦車。

 怪物の正体は戦車だった。

 慌てて前を向いて岩壁に沿って走り出す。

 竜崎がまた右手を上げた。食い入るように見つめる。もう首の骨を痛めつけるのは御免被りたかったので、何とか手信号(ハンドシグナル)を読み取ろうとした。

 ピッと手が開かれて、左右に振られて、手を握って、ヒュッとやってグッとなってビヨン。

(――ダメだ、全然分からん)

 またしても胸ぐらごと体を引きずられながら、無線でやり取りしてくれよ、と胸の内で批難する。

 岩壁が右側に湾曲している。その湾曲を辿り、戦車から死角になる位置に連れて行かれる。竜崎の采配で、姫島達が素早く連携しながら動くその様は、まるで黒い蛇そのものである。

 岩壁を背にして一旦、隊が停止した。

 背にした岩壁を伝ってズドンと衝撃が響く。

「鉄、戦車の種類は」

 竜崎も岩壁に張り付きながら訊いた。

「あのエンジン音はハイブリッドっすね。多分ルクレールだ」

 なにやら呪文のような車種を答える鉄谷。

「また厄介な物を持ってきたな」

「こんな地形にわざわざ戦車を投下するなんてどうかしてやがる。やっこさんは編隊に関しちゃ素人ですかね」

「馬鹿が持つ凶器ほど恐ろしい物はないさ。さ、鉄、やるぞ」

 竜崎がそう言うと、鉄谷が岩壁に両手を突いて体の正面を壁に向けた。さらに、くっとその状態から軽くしゃがむ。

 竜崎がたっと軽く駆け出して、岩壁から距離を取る。竜崎は陸上選手のような軽足で走り出す。岩壁に手を付いている鉄谷に向かって。

 ボカンとかバカンとか、そら恐ろしい大音がこだまする度に、陽一の心臓は冷えて固まっていった。それでもその二人の一連の行動には、つい見入ってしまう美しさがあった。

 竜崎が鉄谷の背に足をかけたその瞬間、抑えつけていた強力なバネが解放された如く、鉄谷の体が勢いよく跳ね上がった。竜崎もそれに合わせて跳躍する。

 竜崎の体が――……ふわりと浮かび上がった……。

 岩壁の頂点に竜崎がしがみつき、するりと下からは見えない頂上に滑り込む。あっという間の所業。

 帰れたら、秋斗に教えてあげよう。

 ――人は空を飛べない生き物なんかじゃないんだよ。

 パパは飛べないけど。

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