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括線上のアイムナンバーワン  作者: 相葉俊貴
第三章 風
20/56

*❶「アブソルートナンバーワン」❶*

 負けたことがない、という呪い。

 遠藤恭介はこれまでの人生でただの一度も負けたことがない。負けることは死ぬことより嫌なことだった。

 軍事オタクの父親が、恭介に浴びせるように言い続けてきたことは「勝てば官軍」だった。太平洋戦争の歴史を飽きるほどに語り続け、ああすれば勝てただの、山本五十六はこれこれが素晴らしいだのと、うんざりだった。

 太平洋戦争の魅力なぞ全く興味は湧かなかったが、勝利の快感は理解できた。勝利は間違いなく敗北の上に立ち、敗者を好きなだけ踏みにじることができる。素晴らしいことだった。太平洋戦争で日本が負けたのは、負けるような準備しかできていないからだ。勝利には必要なプロセスが有る。

 恭介は敗者を従える勝者になることに拘った。時に〝勝ち〟の意味を捻じ曲げてでも勝者になり続けた。

 勝者『/(オーバー)』敗者。敗者がいなければ、勝者もいない。いないということはゼロということだ。『0(ゼロ)/(オーバー)敗者』でも、『勝者/(オーバー)0(ゼロ)』でもいけない。この四則演算にはどちらも欠かせない。

 小学生の時というのは、どれだけ馬鹿なことをやれるのかで組織内立場の勝敗が決まった。それはとてもシンプルな構図で、恭介は勝者になるために馬鹿なことをやるアクセルを踏み続けた。

 犬猫のような弱い存在はやたらに殺したし、その殺す光景を周囲の子供達に見せつけてやった。

 誰も逆らわなかった。

 周囲の小僧どもを従えると、次は「教師」という役職が目に付いた。ただ教師という立場なだけで、子供に高圧的に接してくる愚か者ども。恭介の目には、教師というのはそういう存在にしか映らなかった。

 だから当時の担任の教師を徹底的に虐めてやった。古臭いタイプの教師で、正面からぶつかれば心を開かない子供などいないと考える、お寒いやつだった。歳の若い男で、なおそれが恭介の神経に触った。ただ歳が上なだけで――それも大した上ではない――言ってしまえば歳の分だけ体力も落とした屑。

 学級内は恭介が支配していたのだから、教師を陥れることなど容易かった。最初は消しゴムのカス、次にペンなどの質量の高いもの、その後はコンパスのような殺傷力すらもあるものを投げつけた。最初は「おいおいおまえら〜」と笑っていたが、出血を伴い始めると笑わなくなった。

 絵に描いた良い教師面を保てなくなると、怒声で何とかしようとし始めた。学級内の気の弱いザコの何人かはそれで引いたが、恭介はそこからさらにアクセルを踏んだ。

 その教師の通勤路にある歩道橋から、その教師の運転する乗用車目掛けて、一〇キログラムほどの岩を投げつけた。

 岩は見事、フロントガラスを粉砕した。

 速度を出している車が、それほどの重量物と激突するとひとたまりもない。

 その教師は学校に来なくなった。

 幸い、恭介は捕まらなかった。密告(チク)れば、とんでもないことになることをクラスメイトは知っていたからだ。

 暫くしてから、入院していた元担任教師が自殺したと聞くと、恭介はたまらなく嬉しくなった。クラスメイトに教師宛の呪詛を書き連ねさせた千羽鶴を送りつけたのが効いたのだろう。――勝った。そうとしか思えなかった。

 中学、高校と進学する中で、恭介は勉学にも励んだ。恭介の頭脳指数は高く、恭介は自分が神に愛されていると考えた。成績は常にトップ。愚かな教育機構は、勉強さえできれば、〝良い子〟という勲章をくれる。最高の隠れ蓑だ。

 そんな、無敵だった恭介に、暗雲が訪れる。

 恭介よりも凶悪な人物がいた。そいつは、恭介が付き合っていた暴走族の中にいた。目線の定まらない男で、「ムカついた」という理由だけで、いとも簡単に同じ暴走族の仲間を殺してのけた。金属バットで人間の顔が歪んでいく光景は鮮烈なものだった。

 あいつは俺よりもすごいのか、そう恭介が考えるのは自然なことだった。そいつはすぐさま少年院に送られた。恭介にとって事後の話などどうでも良かった。

 あいつは、あいつは俺よりも――それに思考が囚われた。

 それから程なくして恭介も人を殺す。それも二人殺した。これであの凶悪な野郎に勝つことができた。

 恭介は大学には行かなかった。どの大学に行く事もできると言われながら、どこも選択しなかったことが、教師どもの顔を歪ませたからだ。気分が良かった。

 親父はとうの昔に病院送りにしていたので、親父の集めていた下らないミリタリーグッズを売り捌く店を始めた。すぐに普通のミリタリーグッズの商売では飽き足らなくなり、武器の密輸も始めた。これがまた飛ぶように売れるのだから、この世界も病んでいる。

 その辺のクズ共ができない商売ができることが、恭介を喜ばせた。

 そしてそれにも飽き始めた。次第に勝つことに拘らなければならないことに疲れ始めた。しかし止めることもできない。

 勝者『/(オーバー)』敗者。

 武器密輸に関して癒着していた警官から、自分がマークされていることを訊いた。いずれそうなると考えてもいたので大して驚きもしなかった。

 恭介は店仕舞いを考え始める。敗けたのではない。もっと大きな何かを始めるつもりだったからだ。

 そんな矢先に頭の先から、靴に至るまで、真っ白な異形の出で立ちに統一した集団が恭介の店を訪れる。彼らは《地球解放同盟》と名乗った。その思想は実に下らないものだったが、その手段が面白かったので協力してやることにした。

 この地球という自然物の上にある不自然な物体は人間だけ。ならば人間を消し去るのみ。

 何と短絡的な思想だろう。

 排他的で、自己中心的で、気味の悪さも綯交ぜにした思想。それが単純に大量殺人に至るのだから救われない。

 しかし大量殺人という行為には興味があった。その思想なら世界最高峰の殺人鬼になれる可能性があった。

 気付けば恭介は《地球解放同盟(白づくめのクズども)》の頂点にいた。元々頂点だった奴は既に土の中にいる。

「こうして我々もいずれは土に還るのだ。人類を土に還すことが出来るのは我々だけ」

 撃ち殺した後にそう言っただけで、この集団の中での求心力が高まった。恐怖も合わさって、恭介に仇なす者はいなくなった。

 愚かな求道者ども。導いてやろうじゃないか。

 面白いもので、そんな極左的な集団でも需要があり、強力なバックアップを得ることができた。資金が潤沢になると同盟の人数も爆発的に増加し、既に二千人規模の組織に成長していた。

 さらにここから、恭介は神に感謝した。恭介だけに笑いかけてくれる神に。

 ――センティリオンストーン。この世を終わらせる存在。

 終わっていい。終わって欲しい。終わりなき勝利のスパイラルゲームに終止符を打つ。そんな夢のような存在が実在したことに、恭介は歓喜した。

 そして今が最終局面。新潟の大災害の時に得た知見で、IEELのカスどもはアダムとイヴの接合方法に〝鍵〟が必要だと判断したらしい。

 この間奴らとやり合った時に、IEELのカスを捕まえられたのは大きかった。拷問に次ぐ拷問。恭介が考えつく残虐非道の限りを尽くしてやった。

 四肢のほぼ全てが欠損していたが、辛うじてそいつは口を動かし「殺してください」とだけ言った。恭介もその言葉には心動かされた。だから殺してあげる代わりに全て言え、と囁いた。

 それでようやく〝鍵〟のことと、IEELの手足達がクーデターとも取れるような強硬手段に出ようとしていることを知る。

 末端が勝手にやっていると知ると興ざめなので、〝鍵〟のことだけ、支援人に伝えた。

 ――恭介は知る由もないが、この情報が絞られたからこそ、金田がビルダーバーグ会議に乗り込むことが出来たのである。そして両陣営、頭を欠いた激突の構図になったのもここに理由がある。もし万が一、国と国との衝突になったのであれば、世界戦争の呼び水にすらなり兼ねなかった。この戦いの決着の行方は、現段階では、世界の誰しもが分かり得ない――

 ――そして今。

 恭介は狩りに勤しんでいる。これがIEELとの最後の戦闘になるだろう。

 こそこそとIEELが動き回っていたが、ヤツがこっちの手の内にいるので、動きの殆どが筒抜けだった。

先導者(ナビゲーター)。ルクレール隊出ました」

 先導者(ナビゲーター)とは恭介のことだ。地球解放同盟では、トップを先導者(ナビゲーター)と呼ぶ。実に下らないが、まあ呼び方は何でも良かった。戦車(ルクレール)隊は、今回の肝いりの玩具だ。

 主力戦車AMX(ルクレール)-56。フランス製の世界最強の戦車。支援人の口利きで、アラブ首長国連邦から十五台も入荷できた。

 このルクレールは「ファインダース」という車両間データリンクシステムを搭載している。カラーディスプレイには、戦場の最新情報が常に更新(マッピング)され続けるため、テレビゲームさながらの感覚で獲物を追い詰めることができる。

 さらに、水冷V型8気筒ハイパーバーディーゼルエンジンは、低出力向き(ディーゼル)エンジンと高出力向き(ガスタービン)エンジンの両性質を持っており、パワーウェイトレシオに優れながらも、長距離移動が可能だ。これこそ最新技術の賜物である。

「分かった。俺も乗るからな。一台残しておけよ」

 県道五〇号線から、獲物が山に外れたと聞いてから二〇分ほど経つ。頃合いとしては丁度良い。夜の風を浴びながら、うずうずする体を必死に抑え込んでいた。

先導者(ナビゲーター)、こちらへ。準備できています」

 全身白づくめの気持ち悪いこいつは、しいたけ君である。恭介は昔から身の回りの人間にキノコの名前を付けていた。いちいち覚えるのが面倒だからである。役割だけ覚えていればいい。

 このしいたけ君は、恭介の人生の中で六代目のしいたけ君である。これまでのしいたけ君がどうなったか知る気もないが、しいたけ君の任期を終える頃には、決まってどいつも廃人みたくなる。

「おうよ」

 砲手用のハッチを開ける。

 戦車の中の鬱屈した空気に満たされる前に、恭介は山間の瑞々しい空気を肺一杯に吸い込んだ。

 それじゃあ楽しい、楽しい、ハンティングゲームを開始しますか。

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