最終話 ラストシーン
ーー 泣いても笑っても最終話よ。
いってらっしゃい……。
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去ってしまった。
ーー そんな光景を、私はひとり、揺れる河川の水面に求めていた。
ゴダールの映画のラストシーン。二人の恋の物語は、静かな地中海へと溶け込んでゆく……。
スミレがどこかへ去ってしまった ーー
もっとも、こんな俺にとって、明らかに不思議な存在ではあって、いなくなったことよりも、そばにいてくれたことの方が、不思議さの度合いは高いのかもしれないけど……。
俺が水を注ぎすぎたのが原因かもしれない。ーー そう考えてもみた。
それから、『かもめ』のラストを思い出しもした。
ーー ボリースに捨てられたニーナが、かつての恋人コースチャのところへやってきて、仕事 ーー 昔は夢に見ていたはずの女優業 ーー の現実を語る。
「……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの」
幸か不幸か、彼女はそれを受け入れて、堪え続けて生きていく。
対して彼 ーー 作家のコースチャ ーー は、昔の夢と、昔の恋愛に囚われたまま、深い穴倉のなかで苦しんでいた。
「ニーナ、お願いだ、このままいてください。でなけりゃ、僕もいっしょに行かせてください!」
ニーナが再び去った後、コースチャは……。ーー
ほらまた。
俺はいまだに、彼女に水を注いでいる。俺はコースチャ……。
ーー 私も、ここにいるよ。
どこからか、声が聴こえた気がした。
紙袋? いや、そんなものは持っていない。
水面? だとしたら、恐ろしすぎる。
俺はコースチャ……、そうじゃない。何を考えているんだ、俺は……。
鴉が群れて、飛びたった。そうして俺は、小石に蹴躓く。
すみれ色の空、薄紫色の宙の下、若い男の声が聴こえる。俺よりも若い。
叫びとも取れるような彼の歌声は、アコースティックギターのほの哀しい情熱にぴったりだった。
ーー「欺きの香り」? いや、「幸福を告げる」歌だと信じていたい。
心のなかで、ーー 他人が聞けば歯の浮くような ーー 変に恰好つけた決めゼリフを呟く。そして、最後に。
いいだろう、言わせてくれ。
俺は本当に、
本当に本当に本当に……、
本当に、彼女のことが好きだった……!
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去ってしまった。
(アルチュール・ランボー『永遠』の第一連/中原中也訳/訳者による『ランボオ詩集』より ※1 なお、本小説への引用において、新仮名遣いに改めた。 ※2 ランボーの原文は、ジャン・リュック・ゴダール監督映画『気狂いピエロ』のラストで使われている。)
……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの
(アントン・チェーホフ『かもめ』第四幕より/神西清訳)
ニーナ、お願いだ、このままいてください。でなけりゃ、僕もいっしょに行かせてください!
(同上)