第七話 孤独なスミレ
まさかの登場、お名前さん。
ふと思い出して、「春はあけぼの」で検索をかけてみると、清少納言『枕草子』の冒頭であるとわかった。
そうだ、そうだった。ーー 中学の教室が、懐かしく思い出される。
「じゃあ、溝口」
「はい」
「読んでみろ」
「どこですか?」
寝ぼけた少女の間抜けな声に、教室が笑いに包まれる。
ーー でも、この有名な冒頭部分を思い出したきっかけは、中学とは別のところにあった。
ハエトリグサ。そして、それを私に贈ろうとした元恋人、蜂須賀虹男。(彼は、私のことを本当に愛していた。)
「『春はあけぼの』っていうのは、遠近法の典型例だよな」
「何よ、それ」
「ああ、まあ……、誤解を恐れずに、ざっくりとした説明をすると」
彼はそうやってセコい予防線を建設すると、説明をしてくれた。
「人間ってのは、その価値観によって、大事だと思うものだけ近くに見えて、どうでもいいってものは遠くに見える、もしくは、視界に入らないんだ」
「……ん?」
「『春はあけぼの』っていうのは、春といえば曙が最高だよなあ、って意味だろう。ところが、朝寝坊のスミレにとっちゃ、『は? 春? アケボノ? いやいや、春といったら団子でしょ』ってなるわけだ」
「何よ、それ」
「わからなければ、もう一つ例を出そう。さあスミレ、桜を想像してみるんだ」
「桜?」
「そう。……どう、どんな風に見える?」
「……真っ白。あ、待って……、仄かに、ピンク色……」
「やっぱりな。俺が『桜』って言っただけで、スミレは『桜の花』を想像した」
「え、だって……」
「桜といえば花だから、だろう」ーー
目の前のハエトリグサは、綺麗な花を咲かせていた。その白い花弁は、蕊に近づくにつれて、爽やかな緑色になってゆく。こんなに素敵な花を咲かせるなんて、知らなかった。
ーー だからさあ……。
僕はこの花なんだって。ギザギザの葉っぱなんか、見なくっていいんだってば。
どうしたら、わかってもらえるのかなあ……。
そんな嘆きが、聴こえたような気がした。
彼は、私のいろいろなところを知ってた。
朝寝坊? 食いしん坊? ……そんな言葉も、嬉しいくらいだった。産毛の話のときは、ちょっと引いたけど。
でも、そんな彼にも、わかってもらえないこともあった。
私の拘り。なんとなく感じる、倦怠感。そして、何かもっと、別の生活がしてみたいっていう欲望……。
「命」って言葉に託してみたけど、わかってた。伝わらないってことくらい。
どうしようもない孤独……。
散歩にでも出よう……。
土手の上で、高校生くらいの男の子が一人、ギターを鳴らして歌っていた。
一人、声に心の叫びを乗せて。その歌声に、旋律に、歌詞に、ーー 孤独な躍動に ーー、私の心は、どれだけ励まされただろう。
私も、ここにいるよ。
そんなことを伝えるのは、無意味だ。
少年も私も、たった一人で闘っているんだから……。
春はあけぼの
(清少納言『枕草子』冒頭文より/これに関しては、青空文庫ではなく、全訳古語辞典 旺文社 第三版 を閲覧)