第五話 コバエとコサメに囲まれて
『別れの曲』と呼ばれるショパンのエチュード。
確かにあれは、「別れ」にぴったりのメロディかもしれないが、それはショパンのつけたタイトルではない。従って、この曲が流れただけで「誰か死んだのか」という人間の神経も、私にはわからない。そういう人間は、「穏やかさ」「想い出」という概念をすっ飛ばして、他人の貼った「死」というイメージを受け容れてしまうのだ。
私の場合、『別れの曲』というタイトルに異存はない。ただそれは、「死」を意味しない。
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
ーー それは人それぞれ、個人的な「想い出」であるはずだ。
青紫色の空をカーテンで隠して、俺は床についた。
というのは、スミレを買ってきた夜のことである。
眼鏡のジジイのほうはともかく、もう少し、元彼女の想い出に浸っていたいところではあったが、疲れていたし、それに、食虫植物との会話というものが初めてで、慣れなかったため ーー それが、彼女の声であったとしても ーー、彼女を適度に陽の当たりそうな場所へ設置し、適度な量の水を捧げて、寝ることにしたのだ。
「止めてくれないかしら、そのレコード」
食虫植物が口を開く。
「いや、これ、CD」
そう言いつつも、俺は彼女の言う通りにする。
こんな芸当が自然にやってのけられるようになったのは、あれから一週間も経った頃だった。(俺もそこまで暇ではないため、彼女と話す時間が取れなかったということもある。)
「なあ」
「何よ。あ、コバエ発見」
むしゃり。
「で、何?」
「やっぱいいや」
「そういう求めてない」
「え」
「そういう、漫画みたいなやりとり」
「……、ちょっと、トイレ」
「……」
「あのさ」
「何よ。あ、コバエ発見」
「『命』が欲しいって、あれは何だったんだ?」
沈黙。面紗で包むように、小雨が降り出した。
「私が何でもお見通しだって思ってるでしょ。それ、間違いだから」
「そうなのか」
「わかるわけないじゃない、彼女じゃないんだから。私はスミレよ」
「彼女もスミレだ」
「でも、彼女は、ーー」
むしゃり。
「虫は食べない」
「そうね。でもって、ラーメンも滅多に食べない」
「あれ以来、他人の前ではな」
「あんたを除いて、ね」
「子供かな」
「バカね、小さい蝿って書くのよ」
「……あ、じゃなくて」
「何よ」
「『命』って……」
「そうかもね、子供かもね」
「……」
「……あ、じゃなくて」
「え?」
「子供みたいな、感じなのかもってこと」
「それは、どういう……?」
「公園の子供たちでも見て、思ったんじゃないの? 私も昔は、あんな風だったなあ、なんて」
「……」
「つけていい? ……レコード」
「CDっていうのよ」
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
(梶井基次郎『城のある町にて』より)