第一話 カラスが群れて、飛びたった
お堅い文章は冒頭だけ。スクロールしていただくと、しようもない喜劇が始まります。
鴉が群れて、飛びたった。そして私は、小石に蹴躓く。
河原から見上げる薄紫色の宙は、空虚なことこのうえなく、音を立てながら過ぎゆく黄色い列車は、文学青年の私に中原中也を思い出させる。
町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
ーーみたいに言うと、我ながら文学的だなあと感じてしまうが、なんのことはない。
これは喜劇だ。俺の身に起こった、滑稽で奇怪で、だけど可愛げのある、感動的な物語だ。我ながら。
昨日、彼女に振られた。その理由は ーー 当人の俺はともかくとして ーー、見た人聞いた人みんなが笑ってしまうような、呆れたものだった。俺としてはそう思う。
彼女は、誕生日に「命」が欲しいと言った。それを聞いた俺は、「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」と答えた。彼女はしばらくぽかんとした後、その半開きの湿った唇を閉じ、眉間にしわを寄せた。無理もない。彼女はチェーホフの書いたセリフを知らないのだから。
彼女が何を言いたかったのかはわからない。子供? まさか。俺たちはまだ、そんな関係じゃないだろう。いや、でも……。
確かなことは、俺が彼女の要望を、その艶やかな唇から漏れ出でし深言葉から読み取れなかったということだ。ーー いや、バカにしているわけではない。俺は本当に、彼女を愛していた。
彼女の言う「命」の代わりに、俺は別の「命」をプレゼントした。駅前の園芸店で見つからなかったため、ホームセンターまで車を走らせて、ようやく買った。
と、ここまで喋れば、勘のいい人ならある程度の「やな予感」を感ぜずにはいられないだろう。そんな御仁には、声を高らかに言ってやりたい。「大体当たりだ」と。
ハエトリグサ。
なぜそんなものを、唇麗しい溝口菫ーー というのが彼女の名前だ ーー へのプレゼントとして選んだのか。
なんのことはない。眉間にしわを寄せた後の彼女が、初めて開いた唇から漏らしたフレーズが、「蝿がうるさい」だったからである。
さて、その後のことは、すでにネタバレ済みだ。
なんのことはない。俺は昨日……、彼女に……、振られた……。
町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
(中原中也『山羊の歌』より、『臨終』の最終連)
もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね
(アントン・チェーホフ『かもめ』第三幕より/神西清訳)