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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蝙蝠日記

作者: 老人

この日記が書かれる一週間前に、文中の神社は取り壊されている。

 

 夏の夜は蛍の逢瀬が有名な田舎でしたが、5年ぶりに帰ってきてバスから足を降ろしますと、道が明るく照らされておりました。

 ひび割れのない真っ平なアスファルトが、夕立の名残をきらきら反射していました。

 しばらく佇んでいますと、おーいというような声がしました。

 バス停横の平地だった場所に人工芝の綺麗なグラウンドが出来ていて、若い大学生位の男達が、ナイターの下でソフトボールをしているのでした。


 だいぶ都市になったよと母から聞かされていましたが、実際にこの目で見ますと、なんだか胸が狭くなる心地がいたします。

 変わりないのは実家のある団地くらいのものです。

 団地の入口の寺を過ぎますと、帰路の通りにある家の食卓に並んだ焼き魚やカレーやらのいい匂いがするのは、全く変わっておりません。

 汗で重くなった練習着を抱え、へろへろになった学生時代の頃の私の腹を、きゅうきゅう鳴らしてくれたのを思い出します。


 いくつかの家の前を通り過ぎますと、橘さんの家の外装が変わっておりました。表札の名前も変わっておりましたが、やはり越してしまわれたのですね。

 あんな事があれば当然かもしれませんが、お別れできなかったのが残念であります。餞別の一つや二つ、送らせてくれても良かったでしょうに。


 団地の中心にある第五公園は、遊具が増えて雑草などは綺麗に刈り取られていましたが、面持ちはそのまま残っておりました。

 公衆トイレが無くなっていたのは、やはり……ああ、この話は辞めておきましょう。


 実家の前に着いたのは、夜の20時も回った頃でした。

 よしてと言うのに相変わらずサプライズ好きの姉がクラッカーで出迎えて、お隣の奥さんが慌てて家を飛び出してきてしまいました。

 私の顔を見て、あらぁと仰ったあとに、銃声かと思ったわぁと笑って胡瓜の束を持たせてくれました。サスペンスの見すぎも、あそこまでくれば感嘆ものでありましょう。

 胡瓜を下げて玄関を潜り、味噌の匂いが漂う土間を通って先ず仏壇に手を合わせました。私はようやくそこで一息つきました。

 言うまでもないことですが、あのことがあってから、夜の団地を通るのには酷く精神を消費するのです。

 畳の臭いや母の忙しない足音が現実に戻ってきて、ああ、帰ったのかという実感を引き連れてきてくれました。

 夕飯には味噌味の茄子炒め物と、貰ったばかりの胡瓜を出して貰いました。


 家の裏にはまだ鬱蒼と林が残っておりました。

 たびたび蝙蝠が飛んできては近所の家々に巣食ったり、物干し竿にぶら下がったりしたものです。最近はめっぽう少なくなったと姉は嬉しがっておりました。母はなんとも言えない顔でお茶を淹れるだけでした。

 蝙蝠と言えばという程でもありませんが、「蝙蝠神社」と呼ばれる社があの林の中にはあります。

 皆がそう呼ぶので、蝙蝠に曰くのある御神体が祀られていると思いきや、何の神社であるかは全くの不明という謎多き神社であります。

 奥とは言えど小さい村ですから、暴れ盛りの子供であれば、かくれんぼの合間に見かけたりするかも知れません。

 隠れようなどとは思わないでしょう。

 廃れております上に、恐ろしい言い伝えのあるところです。


 食後の茶を啜っているところに、父が向かい側に座ってきました。

 仕事上時間の融通が利かない人ですから、今から夕食なのでしょう。

 何気なしを装って、橘さんのことを聞きました。

 越した理由はやはりでしたが、あの後次女の圭ちゃんが亡くなった苦しげに教えてくれました。

 蝙蝠様を舐めてかかったけね。

 長女の真衣さんが惨い死に方をした丁度1年後のことだったらしいのです。

 第五公園の公衆トイレで見つかった亡骸はうつ伏せに、背中の皮が切り剥がされ、鳥の羽のようにペロンと開かれていました。

 それを最初に見つけたのは私でありました。

 もうあれから5年も経つのかと、私はぬるくなった茶を飲みほしました。


 布団に入ったのは日付が変わってからであります。

 ちゃんとした寝具に寝るのは久しぶりでした。

見上げた蛍光灯の中に羽虫が閉じ込められ、ブブブブと唸っておりました。

 昔は気になって寝れぬ程でした。喧騒のない夜がむず痒い今の私には、寝るのに程よい騒音のように感じます。

 電気を消して、明日のことを思いました。

 少し真衣さんのことを思い出しました。




 私は蝙蝠神社の前に立っておりました。

 夢でありましょう。

 厭にリアルな風が、びゅうびゅうと木々の間を吹き抜けて、乾いた木の葉を舞い上がらせています。

 社には鳥居と本殿しかありません。

 その御神体を祀るところの格子の向こうは真っ暗闇ほとんど何も見えないのですが、そこに何かが居ることはよく感じとれていました。

 皆が蝙蝠様と呼ぶものです。

 私はまだだとその奥に声を張り上げました。


「まだそっち戻る気は無いんだ。大人しくしていてくれ 」


 風が吹きます。木の葉が足元をカサカサと撫でていきました。


 今度は機嫌が悪いようであります。


 私は蝙蝠様と呼ばれるものの一部だったような何かなのでしょう。

 あまり恐れを感じないのはその為です。

 あれは早く私を取り戻したいのでありますが、私にはまだまだ人としてやり残したことがありました。

 親孝行もまだですし、恋人だって作らなければ皆を悲しませましょう。


「お前の余命に比べれば、人の一生などくしゃみの一瞬と等しかろうに。また戻ってきてやるから、大人しくしていろ」


 聞いたか聞かなかったか分かりませんが、夢はそこで終わりました。

 またブブブブという羽虫の唸りが聞こえました。

 三人分の寝息がしっかりしているのを聞いてから、私は布団を被り直しました。

 私を人の世に縛り付けるものを忌み嫌うあれですから、いつ家族が真衣さんのようになってしまうか分かりません。


 ともあれ、いっそ都市化であの社が壊されてしまえば良いのでありますが、その時私はどうなるのでしょう。

 霧のように消えてしまうか、老いた蝙蝠が残るか、いずれにせよ人の姿でいられることは無いに違いありません。



※フィクションです。個人名及び社名は実際のものと一切関係ありません。


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