捌
風呂に入ろうと思ったものの、風呂場がまだ空いていなかったので、2人は暫く、宿周りをぶらぶらと散歩することになった。
壱之助とアスネリは空を見上げて、揃って感嘆の溜息をついた。
「星、綺麗だね〜……」
「そうだァねェ。3つの満月が浮かァぶ星夜空なんて、風流だねェ」
太陽も月も3つ、というのには、何時間経っても慣れない壱之助だが、まぁ気にすることでは無いだろう。
月が3つ並んで、星々は煌々と輝いているのに、昼間のように明るいことも無い。
目を凝らせば、足元が見える程度の夜の暗さである。
静かだなぁ……と感慨に耽っていた壱之助の耳に、突き刺さるような女性の悲鳴が、夜の闇を切り裂いた。
ハッと顔を見合わせた壱之助とアスネリは、急いで声の主の元へと駆けた。
「大丈夫ですか?!」
そこに居たのは……犬耳少女だった。
ふわふわな、垂れ気味の犬耳と、三つ編みの銀髪、メガネの向こうの緑瞳が特徴的で、その華奢な身体には不釣り合いな程。これでもかと強調する豊満な胸。
ぷるぷると尻尾を震わせて、顔が真っ青になっているこの少女の視線の先には──
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
全身から水を滴らせた、髪の長い男が地べたに這いつくばって居た。
これを夜中に見ると、ぞわりと来るものがある。
少女が悲鳴をあげたのにも、充分納得できた。
「……犬耳三つ編みメガネっ娘、なんて、白飯3杯以上はいける……」
男は、そうポツリと呟いて、ぱたり、と力尽きた。
取り敢えず、壱之助は犬耳少女と、アスネリは全身びしょ濡れな男を縄で締めて引っ張りながら、宿に帰ることにした。
薄暗いこの夜道、女性が1人で歩くには危険だし、この変態男を放っておけば、新たな被害者が出るやもしれない、と考慮してのことであった。
たまたまその辺に転がっていた縄で男を縛るアスネリに、一応壱之助は止めたのだが、
「服を濡らしてェまで帰りたかァないヨ」
と、ばっさり言われたのであった。
そして、普通の男より少し背の高い男を、片手でヒョイ、と持ち上げたところを見ると、どうやらアスネリは力持ちらしかった。
ずるずるずる……という音と共に、3人は歩き、1人は引き摺られていく。
「大丈夫、ですか?」
「……だ、大丈夫、ぇすよ?」
青い顔してふわふわの尻尾を震わせたまま、犬耳少女は、壱之助の質問に律儀に答えた。
「取り敢えず、僕たちは宿に向かうんだけど、えと……どこか、目的地はありますか? 送っていきますよ」
「ぁ……ぇと、わたしも宿に……泊まるんぇす。ヤカフク宿って、いうんぇすけれど……」
「あァ、偶然だァねェ。アタシたァちも、ヤカフク宿ォにお世話になってェるのヨ」
アスネリのセリフを聞いて、初めて宿の名前を知った壱之助は、ふ、と思った。
こうして会えたのは何かの縁。
それならば、自己紹介すべきなのではないかと。
「僕は東海林壱之助」
「……お前サン、急に名ァ乗るのはァやめェないかィ?」
急に口を開いた壱之助に向かって、アスネリは呆れたように言ったのだった。