壱
はっと気づいた時、壱之助は、石畳の道に大の字で寝転んでいた。
「あ、穴に落ちたんだっけ」
ゆったりと起き上がった壱之助は、まず、学校の制服である、ベージュのセーターについた砂や埃を、簡単に払った。
身嗜みを完全に整えてから、ゆっくり周囲を見渡してみる。
「……え?」
そこにあったのは、中世のヨーロッパにありそうな、洋風の建物ばかりだった。
煉瓦造りの家もあれば、石造りの家も木造建築の家もあり、三角屋根の、なんだか教会のような建物もある。
そんなこの景色は、まるで中世のヨーロッパの特徴的な建築物を、ギュッとひとまとめにしたようにも感じられた。
お洒落だなぁ、と壱之助は妙に関心して、物珍しげに辺りをまたキョロキョロと見る。
建物と建物の間を、堂々と通っているその広い街道の上で、人々はゆったりと時を刻む。
店先で果物を売っている商人もいれば、甘い香りを漂わせながら出歩く女もいる。
よく通る澄んだ声で高らかに客寄せしている娘もいれば、歌を歌いながら笑いあう恋人もいるし、それを少し寂しげに見ながら作り笑いを浮かべる男もいる。
「ふむ」
人間観察というのはこんなに面白いのか。
壱之助は、これはどれだけ見ていても飽きないな、という気がした。
……しかし、そうは言えども5分も経てば、だんだん飽きてきたし、腹は空いてきたし、そろそろ学校に行かなきゃなぁと思ってきたので、自分が落ちてきたはずの、上を見上げた。
「……あれ?」
穴から落ちてきたのだから、当然、その穴は自分の上に残ってるものだ、と思っていたのだが、太陽を散らばらせた青い空には、穴どころか、線の1本でさえ無い。
「……あれ?」
壱之助は、首をかしげる。
ふむむ、どうやら何かがおかしいぞ?
結構深めの穴を落ちてきたのに、体のどこも痛くない。しかもその穴は無くて、上に広がるのは青空だけ。
その空には、3つの太陽が煌々と照りつけて…………3つの太陽?
「通るァよォ!」
「ひゅわぅ?!」
どーん、といきなり突き飛ばされた壱之助は、面白いほど吹っ飛んだ。
「あれェ? ぶつかっちゃったァ? ごめェんねェ、怪我してなァい? だいじょォぶ?」
「だ、だいじょぶ」
「ほんとーォに、ごめんねェ。前が見えなかったァもんだからァさ」
大きな箱を下ろして、困ったように首を傾げるのは、濃い紅髪の後ろ髪を少し三つ編みにした、綺麗な美人。いや、男の服装をしているから、男装の麗人だろうか。
そんな美女を前にし、壱之助は迷う事無く、ただ、素直な一言。
「貴女、綺麗ですね」
「……はァ?」
ぽかん、と美女は口を半開きにするが、そんな姿もなんと絵になることか。
美人って得だな、と思った壱之助を見て、美女は、呆れたように笑った。
「あァは。お世辞でェもお莫迦でェも、褒めてもらァえるのァ嬉しいねェ」
「本心ですよ」
「はィはィありがとォ。じゃァさ、オニィーサン? 茶屋で団子でもどォーだィ?」
「団子?」
赤髪の美女は、近くの茶屋らしき店をちらりと見て、ひょいと肩をすくめてみせた。
「ぶつかったお詫びに、茶ァでも奢ってあげェるわァ」
一瞬きょとん、とした壱之助だが、喉が渇いていることに気づいて、嬉しそうに笑った。