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第11夜:祈り②


 この世界のこと、ウォールのこと、私のこと。

 頭の中でぐるぐる回る。

 

 雨は降り続く。背中の壁は、ちょっとずつ冷たさを失っていった。



 * * *



 さて、ぼくにもいつしか心境の変化が訪れます。


 原因の一つは、人々が失敗するところをあまりにも多く見届けたことです。冷たい言葉で言うと、食傷気味になったということですかね。

 それで、この世界の仕組みに疑問を持ちました。いや、疑問を持ったのはぼく自身についてです。ぼくは<壁>として単独で存在していけるし、この世界もこの世界としてぼく抜きで存在していけます。なのに、ぼくがこの世界にわざわざ居る理由は何か。存在意義みたいなものに目覚めたわけです。


 あともう一つは、生きるか死ぬか迷う人間の葛藤について、分からないなりに興味を持つようになったことです。きっかけは<本質>が『砂』の人でした。

 彼は失敗しました。失敗しましたが、今まで見てきた誰よりも強かった。誰よりも正しかった。

 ぼくは、彼の葛藤に魅せられたのかもしれません。彼が生きようと願うのだから、彼が生きられるよう全力でサポートしました。初めて積極的に来訪者に関わろうとしました。

 しかしぼくは無力でした。彼は何も間違っていないのに、失敗しました。彼がこの世界に来なくなったとき、現実と夢世界とぼく自身を呪いました。


 そうして人々の様子を、以前よりもっと見るようになりました。気がつくとぼくは、<壁>のできる範囲で彼らを助けることが多くなります。


 いえ、助けようとすることが多くなりました。

 けれど、本質的には何もできませんでした。


 この世界に来る人たちはみな、現実の自分を何とかしたいと思っている人たちです。生を求める人たちです。しかし、彼らの痛みはあまりに深く内側に染み付いているので、もはや()()()()()()()()()()()()()()()のです。

 <壁>の世界に来てもなお、彼らの傷は内部に隠されています。新たな自分の創造は、彼ら自身の手でやるしかないのです。


 そう、ぼくは存在し始めてからずっと無力でした。

 この世界のルールはぼくをきつく縛ります。<本質>が直感的に分かるのに、お教えできるのは回りくどいヒント、しかもルールに従ったタイミングでだけです。壁の向こうに何があるのかさえ、お伝えできません。全部、彼らが自分で見つけないと意味が無いのです。


 ぼくの無力さ、止むことのない世界の不条理、なお訪れ続ける人々。


 ここからぼくの挑戦が始まります。ぼくの挑戦と、その失敗です。



 要するにぼくがしたかったのは、どんな人でも傷となんとか向き合い、生きられるようにすることでした。創造によって新たな自分を見つけだす強い人以外にも――いえ、彼が失敗したのですから強ければいいわけではないですね――生きて欲しいと思ったのです。

 もちろん、これはぼくの無力感から来たエゴの押し付けにすぎません。そうだと分かっていても、やらずにいられませんでした。

 では、どうするか。ぼくは色々考え、実験しました。


 例えば、案として「不条理な展開で人間が救われる」というのがありました。

 人々が現実において合理的・非合理的に傷ついて、夢の中でまた不条理に痛めつけられるのなら、夢で不条理に救われることがあってもいいんじゃないか、と。ほとんどぼくの願いみたいなものです。

 このアイディアはすぐ捨てました。ぼくがどう不条理を操ろうと、人々の深すぎる傷を癒せないのは明白だからです。それに、思想の問題になりますけど、「救われる」というのは人間と現実の枠内で行われなきゃいけない気がします。不条理な救いというのは根本からありえないと、ぼくは思います。


 さて、最終的にぼくは折衷案をとりました。

 ここに来る人が自分で自分をなんとかする、というのは厳守します。

 でも、その過程を<切り捨てと創造>以外の方法にするのです――今はそれを、<名無しのメソッド>と呼んでおきましょうか。


 この方法は、いくつかの観察に基づいています。

 第一に、創造の過程として必要不可欠なはずの出血や不条理な痛みは、なぜかぼくの力でかなりの部分避けることができます。死ぬ前に現実に意識を戻したり、ぼくが殺しに行くことで死の発生をコントロールするとか、そういう工夫で。不条理の根本はぼくに操作できるはずないのに、これはどういうことなんでしょう?

 第二に、夢の世界での死や痛みは、現実での痛みを強く刺激します。逆に夢の世界で死や痛みを取り除くと、それほど痛みが刺激されず、ギリギリの状況ながらも時間的猶予が生まれるようです。

 第三に、どうやら出血や不条理な痛みは、必ずしも新たな自分の創造に必要ないみたいなのです。痛みを伴わない不条理を見たり、体験したり、想像したり、失敗したりして、心を震わすことができれば十分なのです。


 もっと前からぼくは、ここに来る人の大半が出血を創造の代償と気づかないことに、違和感を覚えるべきでした。あるいは「不条理や超現実を目の当たりにしたとき、人間はそこから(ナンセンスにしても)何かを引き出すことができる」というぼくの人間観を、もっと信じるべきでした。


 もう、<名無しのメソッド>が何かお分かりでしょう。これは痛みは最小限、味わう死の数は零という状況で、新たな自分を探す方法です。痛みを避けることで生きる時間を伸ばし、<本質>に気づくまでの猶予を与えます。その間、出血する代わりに多くの不条理を体験し、自ら不条理を想像していくことで、<本質>に近づいていきます。

 この方法だと、人々はほとんど痛みや死を経験せず、終始生きる意志を保つことになります。これなら<切り捨てと創造>より、もうちょっと多くの人がうまくいきそうじゃないですか?


 無論、理論だけではいけません。というか、元々こういうタイプの理想論はぼくが最も苦手とするところでもあります。ぼくは自分の信条と思想から、出血の重要性を今もどこか認めていますから。

 出血抜きで本当に<本質>を見つけられるのか。出血や死を操作できたのは<名無しのメソッド>の可能性を示すものではなく、別の意義があるんじゃないか。この仮説は、実験によって検証される必要がありました。

 懐疑的かつ慎重に、痛みを減らすことによる悪影響も十分考えながら、ぼくは実験していきます。徐々に、痛みと死の割合を減らすよう努力しました。


 結果を言いましょう。少なくとも痛みの体験が減ることによって、この世界から出られる人は少しだけども増えたのです。つまり、<名無しのメソッド>の方向性は<壁>の世界の可能性として許容されているかもしれない、と。

 無力さが薄れた気がして本当に良かったですよ。それに、出血が少なくなると人々とまともな会話ができていいですね。そうして反応と様子を見ながら、更に調整を進めます。


 とはいえ、実験段階ではまだどこかで<切り捨てと創造>が必要になりました。それでは不完全です。<名無しのメソッド>単独で人々が世界から出られるようになって初めて成功と言えます。<名無しのメソッド>に名前がつくのもそのときです。


 これまでの経験からパターンを構築し。

 不条理を操る技術に磨きをかけ。

 そうして最初から最後まで<名無しのメソッド>でやる準備が整ったとき、あなたがやってきました



 はい。あとはあなたもご存知の通りです。

 <名無しのメソッド>は昨晩、破綻しました。

 ぼくは、また失敗しました。


 一度死の味を覚えるともう<切り捨てと創造>しかない……というわけでは、おそらくないでしょう。世界の仕組みがずっと前から変わっていないとしたら、反生命中心主義にのっとって死はとても安売りされているはずです。


 また、固執の果てに壁越えの無意味さを痛感したからといって、すぐ<切り捨てと創造>に移るわけでもありません。それでもなお、あなたのどこかに生きる意志が残るはずなのです。残る予定でした。

 というのも、人々は壁を越えるためではなく、新たな自分となり生き続けるためにこの世界に来るからです。この世界に来る時点で、この壁が無数に並ぶ世界に来る時点で、ある意味覚悟は完了しているのです。


 しかし、壁越えが無意味なことに気づいたところで、死の誘惑が来たら、わずかな生きる意志は確実にくじけます。生と死の間で、悩むことになります。この葛藤こそ<切り捨てと創造>です。<名無しのメソッド>は、生きる意志を保つことを前提としています。


 本当にぼくの見通しが甘かったと言わざるを得ません。失敗の原因は色々考えられます。

 ぼくの油断、あなたの壁越えに対する固執と速さに対する観念、昔の不条理を彷彿とさせる、ぼくのコントロール外にあった大鷲。

 けれど結局は、<本質>へ近づくのに十分な不条理を提供できなかったぼくに責任がある気がします。あなたの心が十分震える環境を作れなかった、ぼくに。そうしてタイムリミットを告げる大鷲が来たのだと。


 結局あのとき、ぼくは語ることしかできませんでした。今もそうです。どうやらぼくに、心を震わすことはできないようです。


 ぼくの話を延々としているのも、今となっては、ぼくが逆立ちしてもあなたの傷を動かせないからです。あるいは、最初からずっとそうだったのかもしれません。

 ぼくは無力で、しかも傲慢でした。変なことを考えず黙って人を見守っていれば良かったのです。それが<壁>の本性でしょう?



 さて、あなたがとれる選択肢についてお話しましょう。


 「その他」の選択肢から行きましょうか。これは夢で生きることです。逃避でない本気の行動として、夢の中で孤独に生きることです。この場合、ぼくはついて行けません。

 あとは、夢物語のようにこの世界の果てを目指すのもよいでしょう。ぼくは誰かが教えてくれた、この夢物語が好きです。全ての壁が通るという無限遠点。無限の壁を越えた先には、きっと……。

 まあ、真の意味で夢で生きようとした人も無限の壁を越えられた人も、今までいませんでした。あなたもこの選択肢はとらないでしょう。

 

 つまるところ、あなたは「生きる」か「死ぬ」かしかありません。今の痛みを抱えて死ぬか、新たな自分を創造し、古い自分を切り捨て、この世界を出るか。


 そう、今となってはどうしても古い自分を捨てないといけないのです。<本質>自体は前から変わっていませんが、そこへ至る経路が変わります。すると<本質>も「取り戻すもの」から「新たに作るもの」に変わります。

 残された道は、生きるよりも死ぬよりもずっと難しいことです。

 

 でも、あなたが生きる決意をしたなら、ぼくは再び全力で助けます。

 また、本当に生きる意志を見つけたのなら、きっと現実の頼れる誰かがあなたを助けてくれるはずです。例えば、あなたが夢の世界に呼ぼうとした友だちとか。

 

 ……おそらく、こうして過程の困難さを評価したところで、あなたが決心には全く影響しないのでしょうね。

 あなたの傷は深すぎます。今、あなたの心を揺さぶることができるのはあなただけです。

 

 結局のところ問題は、あなたが純粋に生きたいと思うか、死にたいかと思うか、ただそれだけです。

 これまで数え切れないほど考えていると思いますが、もう一度考えてみてください。たぶん、ここが最後の分岐点です。



 ぼくから言えることは以上です。

 ……いえ、最後に少しばかり祈らせてください。


 壁越えの結末に意味がないとしても、その過程に意味はあると思いませんか? 

 未来へ進むために、身体に埋め込まれた壁越えの衝動を燃え尽きさせることが、絶対必要だったと思いませんか?


 これは、ぼくの失敗に対する苦しい合理化なのかもしれません。僕は無力で、今までもこれからも、他の誰かでもできることしかあなたにしてあげられません。


 でも、あなたがこれまで生きてきたことも、今生きていることも、ぼくにとってはすごい意味を持っているんです。

 裏ではあなたは問題を抱えていたし、ぼくも不慣れなことで緊張していましたが、最初の夢から今までずっとぼくは楽しいことばかりでした。これは、嘘ではない本当のことです。


 残念ながら、夢に住む<壁>のぼくがこんなことを祈ること自体無意味です。

 更には、誰かに祈られることで生きようと思える段階を、あなたはとうの昔に超えてしまっています。


 それでも、ぼくのエゴであるこの祈りを忘れないで下さい……。


 今晩もあなたがここに来てくれて、本当に良かった。



 * * * 



 長い話が終わっても、雨が止む気配は無かった。


 <壁>はそれっきり何も喋らなくなった。ただの壁になってしまった。

 私も何も喋らなかった。

 世界全体がミュートされる。


 私はまどろみの中、深く深く内側に潜り込んでいく。

 もうすぐ、朝が来る。




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