第3夜:焼き鳥
今日も今日とて<壁>の世界へやってきた。
昨晩の螺旋階段だが、元気にギュンギュン鳴らしながら超高速で回っている。よく見ないと直立する黒い柱としか思えない。
毎晩あんな感じでオブジェが増えていったら嫌だな。
「最初の夢でも言ったんですけどねー」
雲の上から響いてくるウォールの声。今晩は特にダルそうな感じがする。私だってシャキっとしてるのに、もうちょっとやる気を出してもらえないだろうか。もしかして朝型だから夜は辛いの?
「『壁なのに』、じゃないですよ。もうあなたの思考類型はつかみました。ちゃんとぼくの話を聞いてください」
無機物に底の浅さを見抜かれるなんて……こういう無駄な思考がよくないのか。
「ごめんごめん。で、何?」
「最初の夢でも言ったんですけど、あなたの目的ってこの<壁>の世界を出ることなんですよ」
「うん、覚えてるけど」
「だからですね、壁を越えることはサブミッションというか、最悪達成しなくても良いわけですよねー」
しばらく間を空けて
「はぁぁ!?」
と、私は叫んだ。本気の絶叫だった。
「え、いやいやいや、ちょっと待って。明らかに壁を越えたらゲームクリアみたいなノリだったでしょ。それにウォールも言ってたじゃん……あれ……言ってはいない?」
「そうですねー。壁越えについて色々話しましたけど、それが『世界を出る』ことだとは一回も」
二夜分の記憶を振り返って、私は落ち着く。
どうやら勝手に勘違いしていたようだ。無駄に叫んだ分、恥ずかしくなってくる。
「そして、ここからが聞き逃さないで欲しい重要情報です。世界脱出のため本当に必要なのは、自分の<本質>を見つけることです」
「ねえ、<本質>ってどういう意味?」
<本質>。国語の時間に出てきそうなワードだ。ウォールはどうもそういう抽象的でお堅い言葉が好きらしい。
「辞書的な意味じゃないので、分かりにくければ<名前>でも良いですけど。……あ、そうそうそう。すっごい今更なんですが、これまであなたの名前をうかがってませんでしたね。<本質>トークより先に、あなたの名前を伺ってもいいですかー?」
「あー、そっか。ドタバタ続きで、まだ名前教えて無かったね。とりあえずフルネームで言うと、私の名前は……」
名前。今まで散々書いたり呼ばれたりしてきた愛着深い名前。
様々な人が私に付けたニックネーム、愛称。
「ええっと……」
なんで一つも思い出せないの?
現実の記憶を遡る。古いもの、新しいもの。母親が私を「○○ちゃん」という愛称で呼ぶ記憶から、今日学校で貰ったプリントに名前を書いた(はずの)記憶まで。現実で思い出すときより、イメージの輪郭はむしろはっきりしている。
でも、名前だけは靄がかかったように思い出せない。声はその部分だけくぐもって、文字は曖昧にかき消される。
そのうち、過去の思い出したくない記憶ばかりがクリアに再生されて辛くなってきた。小学生の頃の恥ずかしいアレとか、最近のアレとか……。
頭を思い切り壁にぶつけたくなるようないたたまれなさだ。誰か私を殺してくれ、と叫びたくなる。
「あー、あまり考え込むとドツボにはまるのでやめましょうねー。皆そうなんです。自分の<名前>を、あるいは<本質>を失ってこの<壁>の世界にやってくる。裏を返すと、<本質>を取り戻せばこの<壁>の世界から出られる。シンプルでしょー?」
私はため息をついた。現実では現実のこと、夢では夢のことを考えよう。目下は<本質>情報だ。
「自分の名前が思い出せないのってすごい気持ち悪いし、早く取り戻したいんだけど、どうすればいいの? もしかしてお得意の不条理とか?」
「いえ、幸いにもヒントとなるものがありますよー。想像です。想像が上手くいくかは第一にイメージの強さ、第二に作るものへの理解の深さ、第三に作るものと<本質>の関係で決まるんです」
<本質>に近ければ近いモノほどうまく想像できる、ということらしい。
私の場合、普通の階段は無理でも螺旋階段は上手く作れたので、<本質>はどちらかというと螺旋階段に寄っているのか。
「いや、それは誤差というか、イメージの強度というか、ギャグの範囲だと思うんですけど。ともかく、想像しまくっていたら何となく傾向がつかめてきて、<本質>も見えてくるんじゃないですかねー。昔居たのは、例えば『本』とか『川』とか『定規』とかです」
……<本質>が『本』っていうのはどういう状況なんだろう? <名前>に等しいわけだし、現実では「本さん」と名乗っているだろうか? じゃあ「定規さん」ってなんだ?
うまく現実と繋がらない。この世界のことだし、もっと頭を柔らかくして考えていかないとダメか。
ちなみに、ウォールは私の<本質>を知っている。知っているが、教えることは世界のルール違反で絶対できないらしい。以前教える方向で色々試したが、相当悲惨なことになったとか。「腹わた」というフレーズが出てきたあたりから私は耳を塞いだ。
<本質>は、自分で見つけないといけない。
「そうそう、あなたを見て思い出したんですけど、<本質>が『女子高生』って人もいましたよ。本人は家庭を持った50代のおじさんだったので、いやそれお前の変身願望やろって思いながら付き合いました。完全にギャグなんですけど、本人が<本質>に気づくまで中々ねー……」
<壁>も結構苦労している。
* * *
で、これでチュートリアルは全部終わりらしい。
これからどうするかという話。
しばらく考えたが、壁を越えるという私の目標は変わらなかった。他にやりたいこともない。というか、やろうとしても妨害されてまともに楽しめないと思う。
ウォールの言葉もあった。
「まだ二日しか経ってないのでただの予想なんですけど、あなたはとことん壁に嫌われるタイプですねー。イメージの強度や理解だけでゴリ押すのは無理そうです。<本質>にかなった行動じゃないと、壁は越えられない気がします。裏を返すと、壁を越えようとすれば自然と<本質>に近づくので、ぼくからしても悪い選択には見えませんよ」
まあこんな理由は、自分の行動を説明するため後から自分で付けたもの。
未だに止むことなく、むしろ強くなっていく壁越えの衝動。それが本当の動機だった。
* * *
今晩私が最初にイメージしたのは、背中に生える大きな羽。純白の羽毛を持った天使の羽だ。
イメージを強くするため、全身を天使っぽく変えることにする。着るのは白いローブ。羽を通すための穴とか、サンダル、頭の上に浮かぶ光の輪までイメージする。天使が曇天の空の下、自由に飛ぶ姿を想像する。
数分経った頃だろうか。殺風景な<壁>の世界に、一人の天使が舞い降りた。
いや、天使を自称するのは恥ずかしいな。”無限の広野のなんとかかんとか”を自称するのとどっこいどっこいだ。
「おぉ~! 羽を随意運動で動かせるだけで大したものですねー」
私が羽をパタパタ動かすと、ウォールは驚いてみせた。かなり上手くいっているっぽい。
なんだろう、身体がすごく軽い気がする。
「一番、天使、行きます!」
私は軽さのまま返事し、素早く羽を動かし始めた。
目指すは、近くて遠い20m上空。
が、飛ばない。
羽がパタパタと動くばかりで、私が浮く気配は無い。
「なんで」
相当丁寧に想像したうえコスプレまでやってるのに、まるで飛ぶ気配がない。ちょっとずつムカついてきた。この羽、もいでやろうか。
「あのー、鳥類って飛ぶためにどのくらい筋肉をつけているかご存知ですか? ほぼ全身筋肉なんですよ。飛ぶためだけにです」
いきなりウォールが薀蓄を語ってくる。
「鳥は筋肉以外にも身体の各所が飛ぶために洗練されています。だから全身筋肉じゃない自称天使が飛べるはずないじゃないですか。下手したら、羽を支える筋肉が足りず背中の皮膚が……いえ、何でもないです。まあ、オチとしては順当なところですねー」
順当じゃない。天使に現実の厳しさをつきつけないでよ。
* * *
私はしぶしぶ学校の制服に戻り、すぐ次の作戦に移る。落ち込んでる暇は無いのだ。
「次は鳥で……」
私がそう言った途端、曇天の空からちゃぶ台をひっくり返すような音がした。あまりにもうるさい、鼓膜を破るようなディストーションに私は耳をふさぐ。
と思っていたら、いつのまにか一切の音声が消えてしまった。まさか、鼓膜は破れてないよね? ウォールが音声スイッチを切ったのだろうか。
そのうち真上から高速で黒い物体が落ちてきて、着地と同時に破裂する。
音声が戻ってきた。
「あー、あー、マイクチェック。すいませんマイク落としました。あとで掃除しときます。で、何でしたっけ?」
「……鳥を想像して、壁の向こうを偵察してもらおうって話ね」
「あ、壁越えの話でしたっけ。なるほど、自分以外の誰かが壁を越えればいいという、発想の転換ですねー」
ウォールは普通に喋っている。
だからこそ怪しい。さっきの茶番は何だったのか。
<壁>はまだ、何かを隠している。
ただ、これは今考えても仕方ないことだ。聞いてもかわされるだけだろう。
きっと、地道に好感度が上げていけばそのうち秘密を教えてくれるはず。
さあ、鳥を想像しよう。私はイメージを徐々に固めていく。
しかし元々生きている鳥に興味が無い私は、イメージしている途中でどんどん食べる方にシフトしていった。だって生きている鳥は鶏以外まともに観察したことないし。
そのうち、私の連想は焼き鳥にまでぶっ飛ぶ。というのも、私は鳥料理の中で一番焼き鳥が好きだからだ。もっと言えば炭焼きの塩が好きだ。乙女らしからず……。
こんな無駄なことを考えているから鳥肉が出てくるんじゃないかと思ったが、無事生きている鳥っぽい鳥が私の手の甲にとまっていた。
「これはハクセキレイですね。近頃は都市部でもよく見かけますから、無意識にイメージしたのかもしれません。全身が白黒模様で出来ているところが特徴的な、小型の鳥です。全体的に腹が白、胸と背が黒。白地の顔には黒い瞳と、目の上を横切るよう黒い線が引かれています」
ウォールが再び鳥について知識を披露してくる。
あ、でもこの鳥かわいいな。私のほうをつぶらな瞳でじっと見つめてくる。
「さあ、あんな<壁>のことはどうでもいいから、早く壁を越えて報告してきてね」
私が優しく声をかけると、鳥は地平線の方へ飛び立っていった。
素人の私にも一目で分かる、羽ばたきと滑空を繰り返す独特な飛び方。ウォールがあとで教えてくれたが、波状飛行というらしい。横から見ると、正に波打つように飛ぶのだ。
で、30分待ったが、帰ってこない。
「……なんで?」
「一応、知能があるようイメージしたんですよね? それにイメージするとき焼き鳥のこと考えてたんですよね? だったら、鳥を食べるということを察知して逃げたのかもしれませんよ」
焼き鳥、どこまで業が深い趣味なんだ。
* * *
壁越えのアイディアが出てこないし食べたくなってきたので、焼き鳥をやってみる。七輪、炭、網、串、肉、その他諸々。
私の焼き鳥に対する愛憎は深い。
私の好きレベルは何というか、笑って済ませられる段階じゃないのだ。専門店に通うレベルで好きというのは、正直どうなんだろう。基本的に店にはおっさんしか居ない。行くたび、私もその同類みたいな感じがして、ちょっと嫌になる。周りに知り合いが居ないか確かめながらコソコソ向かう。でも自分の家では作れないし、美味しいから行かざるをえない。
この微妙なジレンマは、今まで一度も友だちに言ったことがない。まあ、どうでもいいっちゃどうでもいいし。
「友だちに言えないって、そもそも友だち居るんですかー?」
ウォールが全然違う角度からすごい失礼な事を聞いてきた。
所詮無機物だし、何が人間に対して失礼かも分かってないのかもしれない。ふと、ウォールの不審さの根には「人間じゃないこと」がどこかにあるんだろうな、と思った。
けどこいつ、相手にそう思ってもらえることまで計算に入れて軽口を叩いている気もする。ずるい。
「いや、なんで友だちが居ないっていう発想になるの」
七輪の前に座り込みながら私は応える。壁しかない白の世界。串をひっくり返す制服姿の私。シュールな光景だ。
「ここに来る人って、割とそういう人が多いんですよねー。今までのあなたを見ても、傍若無人というか、感情や思考が一人でどんどんぶっ飛んでいったりしていて、やっぱそういうタイプなのかなと。それにぼくは心を読めても記憶は読めないので、こういうことは聞かないと分からないんですよねー。現実でちゃんとやっていけてますか?」
ちゃんとやっていけてるのか、ねえ。
「……まあ、むしろ友だちは多い方だからね私。別に、親友だって居ないわけじゃないし。自分でも、そう思われてたのが意外なぐらい」
「じゃあ素は友だちが居ないタイプってことですね。夢の世界って一番人の地が出ますから」
「なんで自分の主張を押し通す方にいくわけ? そっちこそ友だち居ないタイプじゃない?」
「いやー、ぼくはハクセキレイと友だちになるので大丈夫です。これから餌付けていきます」
ふと目線をそらすと、遠くでハクセキレイが豆の木をつついていた。いつ戻ってきたのだろう。
そして、さっきから冷たい目でこちらを見ている気がする。
もしかして、ハクセキレイにもドン引かれたのだろうか。
「自分を食べる天敵とみなされてもおかしくないですよー。賢くイメージしたのは失敗だったかもしれませんねー」
こいつがさっきから鳥に肩入れしているのが何故なんだろう。いよいよ<壁>の好みが分からなくなってきた。
しばらく目を離している内に、死んだ鳥の方が食べごろになっていた。
塩を振り掛ける。炭火の焦げ目とか、見た目は良さそうなんだけど。
「うん、味もにおいもしない」
「自由においしいものが食べられたりすると、この世界から出る気持ちが弱くなりますからねー。当然の処置です」
なるほど、筋の通った設計思想がないでもないんだな。誰だか知らないけど、そんな設計しないで欲しかった。
私は食べ終わった串を放り投げた。
* * *
地面に座ってウォールと適当にくっちゃべってると、今晩はもう終わりでいいかなという気分になってくる。ぼんやり炭の炎を見つめる。火は見ていて飽きる事がない。何時間でも見ていられる。
火もおしゃべりも、害がない。そして、それなりに楽しい。
どのぐらいの時間が経ったのだろう。いつのまにか放置していた肉が燃えカスになってしまった。大量の煙が出てくる。真上に、壁の高さも越えてゆらゆら上っていく。
煙?
「煙になるって、いいんじゃない?」
物はためし、七輪の火を強くして私自身が煙になるところをイメージする。すっと入り込むことができた。
私は煙になる。灰色の煙。ゆらゆら真上へと向かっていく。そうして壁の高さ半分を越え、3/4を越え、何にも邪魔されることなく、壁の高さを越えた。
その後もずんずん上っていく。
しかし私は気づいていなかった。
煙には、目が無い。
「煙になるのをやめると、その高さから思いっきり地面へ叩きつけらますねー。今日はそのままお開きにしましょう。ではまた今度ー」
煙って意識は持てても目は見えないんだな、と思いつつ。
私は次第に空へ溶けていった。