第2夜:壁ドン
「で、昨日はなんで幹が切れたわけ? 謝罪があるなら聞くけど?」
今晩もまた、私は<壁>の世界に来ていた。そして到着・即・詰問である。
斧で豆の木が切られた昨晩の凶行。夢や幻ではない。いや、夢の中で起こったことだけど、事件の証拠はしかと残っているのだ。
第一に、昨晩雲を裂かんばかりに成長していた豆の木が、高さ30cm程度にまで小さくなっている。しかもこの完全に無音の世界で、フラ○ーロック(親戚の家で見たことがある古いおもちゃ。音楽に合わせて身体を揺らす)みたいにくねくねした動きをずっと続けているのだ。シュールさと恐怖といら立ちのどれが勝てばいいのか分からない。
第二に、血痕である。正確には血痕を拭ききれなかった跡が、白い地面にこびりついている。一方で、私の制服に血の欠片も見当たらないのが不気味だ。
これらの証拠に加え、私が想像したはずのシャベルやジョウロ、そして凶器である斧がないことも、証拠隠滅という一種の状況証拠にしていいと思う。
この世界には今のところ私とウォールしか居ない。私は被害者だから、おのずと私を恐れ犯行におよんだジャックはあいつだと分かる。名推理である。
「あ、まだ血残ってましたか。すいませんねー掃除が間に合わなくて。それで、どうですか? やっぱこの世界から出たくなってきましたかー?」
しかも空からこんなすっとぼけた声を響かせてくる。この<壁>、侮れない。
いや侮るかどうかではない。ウォールの信用問題であり、私の死活問題なのだ。ウォールが敵だった場合のことを考える。敵はずる賢く、情報アドバンテージを利用している。言動は愉快犯的であり、筋を通すことが今のところできない。昨日言ったことも果たしてどれほど信用できるのだろうか?
平たい壁を見上げる。越えられそうで越えられなかった壁。昨晩と比べて圧迫感があった。
私の夢生活、この先いったいどうなっちゃうの~!? なんて茶化しつつ、必死に頭を回す。<壁>は空を抑え、地上も壁で二方向を封じている。逆に言うと、二つはまだ逃げられる方向があるのだ。まだ囲まれていないし、詰んでいない、大丈夫。
そういえば相手は心も読めたな。昨晩のことからするとたぶん意識を奪ったり、斧などモノを想像できたり、時間を遅くすることもできる。
もしかして私大丈夫じゃなくない……?
壁が、絶望の象徴みたいに見えてきた。
「あ、いや別にそこまで追い込むつもりは無かったんですけど。ほら、昨日だって地面の感触とか痛みが来る前に現実で目覚めたはずですよねー? こっちにあなたを痛めつける趣味とか悪意はないですからー。自分壁ですし」
こうウォールは言うが、全然信用できない。しかし、相手は殺そうと思えばいつだってこちらを殺せるのだ。今会話をしている時点で、何らかの意図がある。
私はため息をついた。ある一線までは諦めよう。でも、負けるつもりはない。
「じゃあ昨日のは何だったの? 説明してくれない?」
「まあ、正直に言うと全部チュートリアルです。夢のやり方を知ってもらうための犯行でした、大変申し訳なく思っております。ただ、これからもこのような犯行におよぶことがしばしばあると思いますので、今後ともよろしくお願いしますねー」
<壁>に、連続猟奇殺人の予告をよろしくお願いされた。
* * *
ウォールの信用問題に加え、更なる謎がぶっこまれる。
「実はですね、豆の木はあなたが登り始めてからすぐ切られていたんですよー」
私は思わず頭を抱えた。知恵熱でおかしくなりそう。
「はぁ? 何言ってるの?」
「怒らないでくださいよ。豆の木を登っているとき、あなたは豆の木が地面としっかり繋がっていると、至極当然のように思っていましたよねー?」
「そりゃ、そうでしょ。そんなの考えもしないから」
「夢の世界では元々、現象と思考が同列に扱われるんです。だから『豆の木は斧で切られている』という事実があっても、『豆の木は切られているはずがない』と強く思っている間は後者が優先されます。そうしてあなたは豆の木を登る事ができたんですねー」
なんだか煙に巻くような話だ。でも、混乱した頭にエコーがかった声がすっと入ってくるような気もする。この謎の納得感、夢の中にいるせいでしょ。騙されていいのか私。
昨日のことを思い出す。豆の木が倒れ始めたのは、ちょうど私が斧を見て「切られた」と思ったのと同じタイミングだった。なら
「もしかして、ずっと上を見ていれば登りきれた、とか……? 『切られている』って思わなければいいってことでしょ?」
私に向上心が足りなかったのだろうか。だが、ウォールは優しく諭すよう否定する。
「理論的にはそうですねー。ただ、夢の世界には別のルールもあるんですよ。『理由より結果が先に来る』です。今回は『失敗する』という結果が先にあって、理由は後付な気がしますよ。ずっと上を見ていたら足を滑らせるとか、何をしようと何らかの理由で失敗するはずです」
「……それってもう、どうしようもなくない? 努力する意味が無いじゃん……」
ウォールは軽く笑った。なんだか悲しげだ。
「まあ、そうですねー。ぶっちゃけ今喋ったルールも全部言い訳ですよ。思考より事実が優先されることもあるし、理由のあとに結果が来る事もある。全部、不条理なことを起こすための言い訳に過ぎないんです」
私は地面にへたり込む。スカート越しに冷ややかで吸い付くような感覚。上を見ると泣きそうなほど厚い雲。横には7階建ての高さがある壁。
――どうやら、とんでもない世界に閉じ込められてしまったようだ。
私を慰めるつもりなのか、無駄にテンションが高い声でウォールは言った。
「それでですね、解決策としてはですね、成功するという結果が先にあることをしましょう! まあ結果が先に分かるはず無いですけれどねー。あと、非常識なことはポイント高いのでどんどんやっていきましょう! 単純にぼくが見ていて面白いので」
こいつもこいつでヤバイんだった。
* * *
ウォールを信用するなら、とっととこの夢世界を出てしまうべきなのだろう。『めちゃくちゃ楽しいことは無理』というのも正しい気がしてくる。やってみないと分からないけど。
ウォールを信用しないなら、やはりこの世界を出てしまうべきだ。かよわい女子高生に不審者が何をするか分かったものではない。
結局、壁を越えるしかない。
先ほど私を煽ったウォールは、「とりあえずチュートリアルは済ませますか」と、誰でも思いつく面白くないことを指示してきた。
なんにせよ情報が無いと動けないから、私は黙って従うことにする。
例えば、階段。壁同士の間隔より壁の高さの方が2倍あるので、壁に沿った階段がかかるところを想像した。
これは失敗。1段目に足をかけただけで崩れ落ちた。ウォールいわく、「支えなしに壁から直接足場が突き出してくるタイプの階段は、技術的にとても難しいです。なんで無駄にオシャレ志向なんですか」とのこと。
過去には建築に明るい人もいて、この世界に来た初日(初晩?)にさっと階段をかけ壁を越えたこともあったらしい。イメージや知識が深いほど、成功をたぐり寄せやすいのだ。
ちなみに、私なりに堅実な階段も想像してみたが、同じく一段目に足をかけただけで階段全体が爆破解体するよう崩れ落ちた。一瞬、私の体重が異常に重いのかと思った。人生で初めて体重で悩んだ瞬間である。
梯子。漠然と想像してみたら3mの長さしかなかった。まあ、それより長い梯子って中々見ないからイメージできないよね。
消防車についてるような伸びる梯子も想像してみる。地面から1mの高さに現れ、そこから着地する前にコンマ数秒の間に空中分解した。失敗。
エスカレーター。空中分解のあと、透明になって消滅。エレベーター。壁に内蔵するよう想像した。上矢印のボタンを押したら爆発する音がして、それっきり。失敗。
壁に穴を開ける。スコップじゃ歯が立たない。ドリルを想像するが、やはり構造を理解していないため空中分解、消滅。失敗。
地面を掘って壁の向こうに行く。無理。昨晩は小さいシャベルで掘れたのに、大きいスコップを思いきりぶつけて傷つくそぶりも無かった。ウォールいわく、「この前は種を植えるという目的でやったから掘れましたが、今回は壁を越えるつもりでやってるから拒否されてる」らしい。理不尽。
SOS。過去にはレスキュー隊が来て壁を越えられた人も居たらしい。
空に向かって思いっきり叫んでみる。なにも来ない。
ウォールは「もっと大きい声で叫ばないとダメなんじゃないですかー?」と言うが、こいつは私に恥をかかせたいだけだと思う。
いずれにせよ、私に助けは来ないのだ。
「とまあ、こんな感じですねー。面白いことがポイント高いというより、面白いことじゃないと壁は越えられないだろうというのが実際です。奇抜なアイディアで勝負しましょう」
* * *
SOSの件で感傷的になった私は、なんとなくウォールの言葉に逆らってみたくなった。こいつがずっと嘘を言っている可能性だってまだ捨てきれない。未だに腹の底が見えないのだ。壁に腹は無いけど。
ありきたりなアイディアをひたすら試す。バネとかトランポリンとかテコの原理とか飛行機とか。まあ、私も薄々予想していた通りうまくいかない。20mの壁を越えるのって案外難しいぞ。
あるとき、遊びで螺旋階段を作ってみた。建築学なんてまるきり無視した、完全オシャレ志向で素人がデザインする螺旋階段。
まず柱を立てる。できるだけ細い方が好みだけど、高さを考えると直径1mは少なくとも必要だろう。そこに木製っぽい足場をかける。5ひねりでてっぺんに届くよう巻きを調整。安全を考えて細いながら手すりもちゃんとつける。全体を黒で着色。
やってみたら案外ハマった。目を開けるとそこには、最初作った階段より見た目はずっとまともな階段があった。階段一段の高さもいい感じだ。
一段目に足をかける。動かない。
二段目、ビクともしない。
「これ、行けるんじゃない……?」
女子高生が一夜にして建築の巨匠になるということも、ないとはいえないはずだ。
私も学習しているから、とりあえず下は見ないようにした。祈るような気持ちで一段ずつ踏みしめていく。
最初は手すりにつかまっていたが、ちょっと力を加えたらボロっと抜け落ちたりした。仕方なく柱の中心側を回ることにする。こっち側だとお祖母ちゃんの家の階段みたいに急でしんどいけど。
そうして二周、三周はしただろうか。
頂上が足場越しに見え始めたとき、階段全体が一瞬ぐらっとした。
私は柱に手をつけ、息を潜めた。気のせい、じゃないよね。
恐る恐る次の段に足をかける。更なる傾き。私は少しの間だけ迷って、階段を駆け上がった。
いや、駆け上がろうとした。無理だった。傾いていく螺旋階段を登った経験がある人なら分かると思うが、自分の位置と傾く方向・角度次第で、その場にしがみつくのが精一杯になってしまうのだ。ちょうど今の私みたいに。
二の腕で全身を支える。
螺旋階段の傾きは止まらない。いずれ倒れるだろう。
軽くため息。足場に邪魔されて真下で何が起こっているかは見えなかった。豆の木事変のときより地面が近いが、螺旋階段の下敷きになればまず間違いなく助からない。
時間が遅くなりだした。ウォールの気が変わらなければ、昨日と同じく死ぬ前に現実に返してくれるはず。気が変わらなければ、の話だけど。
「建築の巨匠」も進路調査票に書けないと心の片隅にメモしておきながら、私はそっと来るべき死にそなえる。
そのときだった。
「何諦めてるんですか! まだいけます、柱を軸に階段を回転させてください!」
私の思考を読み取ったのか読み取ってないのか、ウォールは今まで聞いたことの無い大声を出してきた。
「回転……?」
「コマですよ! ジャイロ効果です!」
傾いたコマは中々倒れない。回転には傾きを抑える効果がある。
ああ、なんで<壁>より先に諦めかけてしまったのだろう。負けないと誓ったばかりだったのに。敵に塩を送られるなんて。
無駄な思考をかき消して私は回転を強くイメージした。素早く回るコマの動き、花のように舞うバレリーナの動き、氷上のフィギュアスケーター。その回転を螺旋階段に加えるのだ。
倒れるのと、別方向の運動が加わる。遠心力で私は手すり側に吹っ飛ばされる。
視界がぐらつく。目を閉じた。
どんどん加速する。
「もっと、もっと速く……!」
手すりにつかまりながら私は、めちゃくちゃに加速を願い続けた。
ゆっくりした時間の中で何が起こっているのか、目を閉じた私には知る由もない。ただそうしてコマの速さを認識していないおかげか、三半規管が狂う事はない。
ふと、浮遊感を覚えた。
直感的にヤバいと思った。何が起こっているかわからないけどとにかくヤバい。
目を開けるべきか開けざるべきか。こういう場合、既に事実が思考より優先されてしまっているのか。でも、私はまだ手すりをつかんでいるのだ。こちらを何とか信じれば……
「あっ」
ウォールの声がする。私の中でヤバいメーターが振り切った。
観念して目を開ける。
私の網膜に映るのは、超高速回転する螺旋階段と、次第に離れていく白い壁。
私は宙に浮いていた。今手に持っているのは、外れてしまったであろう手すりの一部。どうやら回転が激しすぎてぶっ飛ばされたらしい。
ともかく、背中へ次第に近づいていくのもまた、白い壁。
時間が凝縮して極度に遅くなっている。意識もすぅっと奪われていく。
ああ、今回もダメだったよ。
* * *
だけど、実際訪れたのは現実の朝でも夢の激しい痛みでもなかった。
泡のように柔らかい感触。
背中から全身を包み込む。
2mは泡の中で移動して、衝撃が完全に吸収された。
「間に合った……」
と、ウォールは安堵のため息をついた。
私の意識も徐々に戻っていく。どうやら今、泡の中をじわじわ落ちているらしい。不思議な感覚だ。
頭の中はすぐ疑問で埋め尽くされる。
「え……どういうこと? なんで助かってんの? これ、壁なの?」
「そうです。壁の材質ってぼくの一存で変更できるんですよ。今回は一部分だけ泡に変えています」
ウォールが立てた作戦はこうだ。まず時間を遅くして作業時間を確保する。軌道を予測し、衝撃を吸収できるよう壁を部分的に柔らかくする。保険として意識を奪って、現実に返す準備をしておく。
「昨日だって本当は助けたかったんです。床の材質はそう簡単には変えられないので無理だったんですが。とにかく、ぼくはあなたに悪意を持ってるわけではないし、痛い思いをして欲しいわけでもないってことは本当です」
ちょっと息が詰まってしまった。なんだろう、この胸が熱くなる感じ。
「あ、ありがとう……」
柔らかい壁を抜け出し地へ足付けながら、私はお礼の言葉を述べた。顔が少し火照ってるかもしれない
「いえいえ、それほどでもー」
ウォールのやる気なさげな声が、いつもよりずっと温かく聞こえた。
ふと横を見ると、豆製フラワー○ックがニヤニヤ見るように踊っていた。
夢特有の謎理論か、あいつが考えてる事がテレパシー的に私へ伝わってきて、つい真顔になる。
流石に<壁>と女子高生の恋物語はありえないと思う。女子高生が全身を壁に強く叩きつけられるから壁ドン、じゃあないんだよ。
「ちなみに、なんで螺旋階段が倒れたの?」
「ぼくが軽く小突いたら簡単に倒れました。いやー、本当に助けられてよかったです」
「マッチポンプかよ」