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第19夜:高さ19mの壁②


 風が吹き始めた。


 最初は、谷間を小川と共に流れるような、ゆるやかな風だった。


 ハクセキレイは生まれて初めての風を上手くつかまえ、高く高く飛んでいく。やがて壁を越え、大空に飛びあがった。

 もしかしたら雲も越えて、この世界の外へ飛び出してしまったかもしれない。


 次第に風は強くなっていった。いつの間にか風向きも、壁と平行な方向から垂直な方向に変わった。

 色んなものが飛び始めた。テーブルや椅子、止まり木など小さなものから、螺旋階段や豆の木など大きなものまで。


 風はいつの間にか世界全体に吹きわたっていた。もはや嵐だった。

 天空でも厚い雲が下の方からどんどん吹き飛ばされ、薄くなっていった。太陽の光が雲越しに見えてきた。


 壁も、例外ではなかった。しかし、全ての壁が飛ばされ倒れるというわけではない。あまり小さい壁は重心が低くて倒れにくいし、あまり大きい壁は重くて飛ばされにくい。

 そう、高さ20mの壁なんかがちょうど良かった。


 風は、怒り狂った。全ての力を一瞬に集中し、爆発させた。

 そうして風の念願は叶った。高さ20mの壁は傾き、ついには倒れる。


 ちょっと高い壁の方へ。


 20mの壁に押されたちょっと高い壁は、風の力もあったのだろう、こらえきれずにまた倒れだした。もう少し高い壁の方に。


 あとは語るまでも無い、ドミノ倒し。ドミノはいはずっと昔に、誰かが10m間隔で並べてくれていた。ちょっとずつ牌は高くなるが、問題はない。ドミノは一度倒れ始めると、勢いというのが生まれるのだ。

 実際、牌の高さが100mを越える頃には、勢いだけで次の牌が倒れた。風の力は、もう必要なかった。


 それでも風は何がおかしいのか、笑い狂うようずっと吹きまくっていた。 



 * * *



 おそらく高さ19mの壁。その上に、私はいつもの制服姿で立っていた。

 いや、立っていなかった。寝転がって、大爆笑していた。笑いすぎて横隔膜が引きつる。表情筋が笑ったところで固定されて痛い。

 本当におかしくておかしくて仕方がなかった。箸が転がるだけで笑うのだから、壁が倒れたら女子高生は大爆笑してしまう。


 壁の上から見られるのは、中々の光景だった。まず、空がいい。あの塞ぎこんだような曇天から一変して、澄んだ青空と照りつける太陽しかない。たぶん、祝福とかいうやつだ。

 視点を自分より下に移す。壁の区切る一方の側では、自分より低い壁が無数に並んでいる。もう一方の側では、自分より高い壁が延々と倒れていた。もう見えないけれど、地平線の向こうでは今も壁が次々に倒れていってるにちがいない。立っているのは私だけ。

 とても、いい気分。王様気分だ。こんな気持ちを毎日味わえるのなら、進路調査票は王様で出せばよかったな。何も考えず出してしまった。本当は出したくもなかった。

 進路調査票第一志望「王様」と書いて出すところ想像して自爆する。笑いが止まらない。誰か助けてくれ。


「いやー、いっそ清清しいくらいにやってくれましたねー」


 青い空から声が届く。私は笑いを抑えるよう努力する。

 エコーがかかっていない素の声は初めて。最初の夢でも思ったけど、よく通るいい声だ。気だるげなのと無機物なのが私にはマイナスだけど。


「というか、壁を倒す必要ありましたか? これ戻すのにどんだけ時間かかると思ってるんですか。無限の時間が必要ですよ」


 これはもしかして壁ジョークというやつなのか? だったらこう言ってやろう。


「ウケる」


 実際爆笑する。笑う勢い余って、壁の上から落ちてしまった。

 が、問題は無い。私は風を操って空中で私自身を受け止める。そしてゆっくりと壁の上に戻ってくる。カーディガンとスカートが風でふくらむ。

 スタっと足を揃えて着地。着地音が綺麗。そんなことでも私は笑い出してしまう。


「笑わないで下さいよ、もー。壁を倒した無限の責任とってくださいよー」


 ごめんなさいウォール。私、<壁>と結婚する趣味はないの。

 あとこれは予想だけど、私が壁を倒すとき、ウォールは壁と地面の接続をゆるくしていた気がする。私の力だけじゃ最初の一枚は倒れなかった。

 だから、無限にある責任のうち少なくとも半分は、<壁>自身がとるのが筋だろう。


「そもそもウォールがまいた種でしょ。選択肢としていつか言ってたじゃん、『無限の壁の向こうへ行けた人は今まで一人もいない』って。そんなこと言われたら行きたくなるに決まってるし。まあ、壁を越えるんじゃなくてぶっ倒したのは……ご愛嬌というか」


「はあ……。いや、<本質>が見つかれば、壁って本当無意味なんですよ。何かの比喩と思って倒したならやめて欲しかったです」


 なるほど。私がまだ痛みを越えようとしているとか、そういう風に思っていたのか。


「そういうわけじゃなくて、本当にただ壁が邪魔だったから倒しただけ。いいでしょ?」


「おぉ~! つまりメタファーの解除、モノ化ですね。いやはや、最後に一本取られました。弟子に教えられるとは」


 そんな難しいことを意識してやったわけじゃない。おまけに私は<壁>の弟子じゃない。



 こんな下らないやりとりを、いつまでも続けられたらよかった。

 けれども。


「……もう夕暮れだね」


「どんな高い壁もいつか倒れるし、どんな曇天もいつか晴れるし、どんな太陽もいつか沈みます。さて、そろそろ答え合わせをしましょうかー」


 どんなことにも、終わりは来る。


 * * *


 一度正解を知ってしまえば、大量の違和感から真実に繋がるものだけ取り出してくることができる。


 最初の夢から、真実は隠されていた。「落ちるのに爽快感が無い」とかいうの。時間が遅くなったせいもあるかもしれないけど、やはり風が無いのが大きかったんじゃないか。風が無いと、肌で落ちる感覚が味わえない。

 2夜目。「目を閉じたらコマの速さを認識しなく」なったが、普通はビュンビュン風が当たって速さはある程度分かる気がする。

 3夜目。煙は「真直ぐ」上がっていった。風が無いから。

 10夜目、大鷲に吹っ飛ばされたとき。11-17夜目、何回か投身自殺したとき。やっぱり爽快感が無かった。空がどこか停滞して、ヌルヌルしていた。

 18夜目。鳥になって飛んだときの空の不足感。


 もちろん、鳥と深く関係して、日常にありふれていて、さっきまでこの世界に無かったもの。今は静かに吹いているけれど。

 私は壁の上に立ち、オレンジ色の空に向かって唱えるよう呟いた。


「私の<本質>は……『風』です」


 言ってしまった。

 こみ上げてくるものが色々ある。長い戦いが終わった達成感とか、この夢に来て初めて成功した喜びとか、一区切りついた寂しさとか、永遠に別れる悲しさとか。


 夕陽は私が立っている壁の続く先に沈もうとしていた。私の影は、壁の上にどこまでも長く伸びていくだろう。

 本当に、終わりみたいじゃないか。


 やがて、ウォールは決まりきった言葉を返す。


「正解ですー。おめでとうございますー」


 驚くぐらい気の抜けた声だった。

 壁が倒れてなければクラッカーを鳴らす音ぐらい用意できたんですけどねーちょっと無理でしたねー、とか何とか喋ってる。


 なんだろう。私は直感で分かった。


 こいつは本当に一ミリも悲しんでない。

 寂しさの裏返しで明るく振舞ってる、とかでは全くない。


「えっと……なんか、こう、もうちょっと別れが寂しいですよみたいな感じ出せないの? 寂しくないの? だって私、二度とこの世界に来ないし、この世界から出たらウォールのこと全部忘れちゃうんだよ? あ、もしかしてまだ言ってないけど<本質>を手に入れたら夢の記憶を現実に持って帰れたりするとか?」


「いや、本心から全く寂しくないですねー。隠してるわけじゃありません。あと、夢の記憶は相変わらず持って帰れません。起きたらぼくのことについて、存在も思い出せないぐらい忘れてると思いますよー」


 ……えっ、だから寂しいんでしょ? 

 私は現実に戻ったら悲しいということすら忘れてしまうけれど、ウォールはこの世界にずっと居続けるのだ。忘れられている、ということすら記憶して。


 どうもここに来て、女子高生と<壁>の違いが浮き彫りになってしまったらしい。私たち、結局最後まで分かり合えないままなのかな。

 

「あのー、いかにも悲しいふりしてますけど、なんだかんだあなたもこの世界に未練は無いでしょう? ほとんど全部吹き飛ばしたじゃないですか。豆の木なんて最初の夢からずっと活躍していたのに、中々酷いですよー」


 そうか? ……そうかもしれない。吹き飛ばした彼らについてはごめん、と謝る必要すらないかなと思ってる。別に忘れてもいいかな。

 先輩ハクセキレイは、大丈夫。大空を飛んでここから出ていった。

 あと未練があるとすれば、<壁>ぐらい。


「ぼくについても大丈夫です。現実のあなたは<壁>のことをすっかり忘れています。が、本質的に会おうと思えばいくらでも会えますよ。建物のある場所ならどこでも壁はありますし。これは冗談としても、大きい本屋か図書館に行けばたぶん会えます。もっと言えば人間全員<壁>みたいなものですから、人間に会うたび『あっ、ウォールだ』と思ってもらってかまいません」


 言ってることの翻訳が難しい。どこまでジョークでどこまで本気なのか。

 あー結局、いつも通りみたいな感じで終わる流れだ。まあ、これが私たちらしいのかもしれない。

 空はまだ明るいままに、足元が暗くなってきている。


「うーん、なんだかなあ……締まらないなぁ……」


「ぼくが寂しくないっていうのは結局、あなたがこれから先も生き続けると分かってるからですよ。生きていれば全然寂しくない、というのがぼくの感覚です。現実で何が起こったのか結局聞かなかったしこれからも聞かないんですけど、『風』さんは別れが寂しいものだと決め付けてませんか?」


 寂しくない別れ。生きているいるから寂しくない。

 ”思い出せなくたって、どこかで私を勇気付け、守ってくれる。”


「なるほど……凄い考え方。夢の世界に来て一番良かったポイントかも」


「これも覚えてるか分かりませんけどねー」


 うん。でも、なんというか。

 少しだけ分かったかもしれない。「<本質>が『風』」というすごくふわふわした何かが。新たな自分が。


 * * *


 ちょっとおしゃべりしている間に、もう黄昏時も終わろうとしていた。空が深い青に染まっていく。少しずつ意識も遠くなってくる。もう、時間なのか。時間をゆっくりにするやつでなんとか引き延ばせないかな。


 いや、その必要はない。大丈夫だ、私たちはオーケーだ。根拠の無い謎の自信に包まれる。もうだいたい言いたいことは言ったし、言ってないこと大事なことは伝わっている。


 あ、でも一つだけあったな。

 私は夕闇の中から言葉を手繰り寄せる。


「ウォールさ、いつか『他の誰かでもできること』って言ってたじゃん。これって誰でもできることじゃないよ。ウォールと一緒でしかできなかったと思う。本当にありがとう」


「その言葉がぼくの救いです」


 顔は見えないし元々顔なんてないんだろうけど、<壁>が初めて微笑んだ気がした。


 太陽は完全に地平線の下へ沈む。夜の闇がせまってきた。

 と同時に、光が強くなっていく。この光は、現実のもの。

 私は目をつむる。


「あ、じゃあぼくからも。あなたは笑う姿が一番素敵です。現実でも笑ってください」


 不意をうたれてドキっとした。

 どうだろう、今笑えているだろうか。まどろんで色々ぐずぐずだけど。


 私は夢で意識を手放しつつ、現実で次第に覚醒していく。

 夜の優しい風と毛布の暖かい感触が混ざる。 


「それでは、さようなら。いつかどこか、新しい世界でお会いしましょう」


「さようなら! じゃあね」


 私は、新しい世界へ旅立つ。




夢物語はここで終わり、あとはエピローグです。

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