(第2章)9
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「おや、新人さんかい。上玉じゃないか」
午後のカフェバーモダンジャズ。スズメが初めてコーヒーを運んだ客はつるつるに禿げた熟年男性だった。
「亮ちゃん! こんな若い子どこで見っけてきたんだい」
男性の声に、近くの席で計算機を叩いていた亮が反応する。
「へえ、知り合いからちっとばかり預かった子でして。なんでも舞姫になりたいとかで。あ、スズメちゃん野辻さんにご挨拶して、ここの大事なお客さんだから」
亮はぺこぺこ歩み寄って来るや否や、大袈裟なほどへりくだって見せる。この人はきっと常連のお客さんなのだとスズメは理解した。
「今日からここで働くことになった天乃雀と言います。よろしくお願いします」
アルバイト初日。午前中『劇場モダンジャズ』を見学し終えたスズメの、午後のメニューは『カフェバー・モダンジャズ』の研修だった。練習と味見を兼ねてパフェを作らせてもらった後、注文の取り方や給仕方法を教えてもらい、今こうして初めてのコーヒーを運んでいる。
「嬢ちゃん、今どきストリップがやりたいなんて、若けえのに珍しいじゃねえか。ストリップなんて見たことあんのかい」
「ストリップを実際に見たのは今日が初めてです。午前中のリハーサルですけど」
リハーサルなので、残念ながら誰も脱いではくれなかった。
「ほう、初めて。それでよくストリップをやりたいなんて言ったもんだ」
えへへ、とスズメは愛想笑いでごまかす。
「まあ事情は色々あるってもんだな。で、嬢ちゃん。リハーサル見て気に入ったダンサーはいたかい?」
「ええと、結愛さん? という踊り子さんがいいなと思いました。うさぎの衣装でダンスも可愛いんです」
「初めて聞く名めぇだな」
野辻がジャケットからチラシを取り出す。そこには踊り子の写真入り香盤表が印刷されていた。「香盤表」は、誰がどういう順番で踊るのかという進行表のことだ。
朝河結愛の名前は第七景――七人中七番目にある。
「新顔でトリってこたあ、亮ちゃん。こりゃ期待のホープかい?」
「ええ、ウチじゃあ初乗りですが、西の方じゃ人気あるみてえなんでトリに据えたんです。何でも元アイドルだとかで、確かにルックスは悪くねぇです」
「そいつあ楽しみだね」
「野辻さんのことですから、てっきり結愛の初乗りに目を付けて来たもんだと……」
「馬鹿言っちゃいけねえ。俺はこっち一筋よ」
野辻が人差し指でとんとんと叩いた踊り子は、咲良と名前が書いてあった。出番は第三景。リハーサルではストレッチばかりしていた人だからスズメの印象に残っている。写真の顔は真っ白なファンデーションと濃いめのアイラインで塗られていて、地は悪くないはずなのに、年齢不詳の女性に化けてしまって見えた。
「ところで……ストリップをやりたいってこたぁ亮ちゃん。この子、まもなく舞台に立つってことかい」
「いや、それがまだ一六でして。ここでバイトしながら一八までストリップの修行をしたいなんてことでして」
「一六! 二年はちとなげえな。嬢ちゃん、なんなら俺が一六歳でも立てる劇場紹介してやる――うおっ!」
カウンターの奥で皿が割れ、野辻が素っ頓狂な声を上げた。
店中の視線が、危機を感知した草食動物のように音に集まる。
「なんだい、あれも新人かい?」
「へえ、どうしてもってんで、雑用専門で雇ったんですがどうにも不器用でして。お騒がせしてすみません」
「男じゃあメイドはできんわな。……ああそうそう、さっきの今すぐ立てる劇場の話、どうだい嬢ちゃん? 俺は今のありのままの嬢ちゃんが見てみたいね」
野辻の鋭い眼光に、着衣を見透かされているようでスズメはおののく。野辻は冗談ぽく笑っているけれど、目が本気だ。スズメが苦笑いで困惑していると、今度はフライパン様の物が床を叩いて、けたたましく響いた。
再び草食動物になるお客様一同。
「またあいつか……」と亮。
けれど一瞬の静寂が、話題を変える転機になってくれた。
「……あ、野辻さん、今日は一七時の三回目からで?」
「いや、二回目の咲良から見て四回目の咲良までいようと思ってな。おう、そろそろ始まるじゃねえか。ちょいと行ってくるわ」
「いつもありがとうございます」
「じゃあな嬢ちゃん。踊りの見方をもっと勉強しなきゃあ駄目だぜ」
なぜか勉強不足を指摘されて、スズメは納得がいかない。
――わたしのダンスを見たこともないくせに。
店を出る野辻の背中を見送りながら、スズメはひとり憮然とした。