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舞姫、ストリップティーズ!  作者: 寒野 拾
7/42

7 横浜県

 ♀


 ――遡ること三時間前。

 新宿に向かう乗り換え方法を駅員に訊ねたスズメが、最初の乗換え駅に着いたときのことだった。

 スズメは新宿に向かう電車を探した。

 目の前の電車には津田沼行きの文字があった。

 首を捻るスズメ。

 

――津田沼は東京のどの辺だろう。


 そもそも新宿さえどの辺にあるのかよくわからない。

「まあなんとかなるよ」

 意気揚々と電車に乗り込み、三〇分も電車に揺られると、スズメは確かに津田沼駅に到着した。

 ――おかしい。

 新宿駅なんて通らなかった。

 スズメは困惑の中、駅員に訊ねる。

 ああ反対方面だよ。今だと総武線で『きんしちょう』まで戻って乗り換えるのが一番早いね。

 そうですか。あの電車ですね。ありがとうございます。

 ――今度は大丈夫かな。

 電車に乗り込むと、安堵がスズメを襲った。眠気で目を開けていられない。昨日の疲れもあるのだろう。だけど寝ちゃ駄目だ。肝心の駅を寝過ごすなんていうのは、陳腐すぎていまどき笑い話にもならないのだから――。

 

 ……東京駅だった。新橋の次は品川だった。

 ――今度はいい感じだ。

 スズメは新宿に近づいている手ごたえを感じた。きんしちょう駅はまだだろうか。錦糸卵いっぱいのちらし寿司を想像しながらスズメは電車に揺られる。

 だが違和感を覚えたのは新川崎駅で、異変に気付いたのは横浜駅だった。さすがのスズメも横浜が東京でないことくらいは知っていた。だって横浜市は横浜県なのだから。

(……どうしたものか)

 いったん駅を出ようとするスズメを自動改札がはじき飛ばす。

「この切符で料金が足りるわけないでしょう」。駅員が恐い目でにらむ。

 スズメはもう駅員に訊ねることはできなかった。

 二度も騙された不信感がある。

 ――やっぱり東京は恐いところだ。

 横浜駅でスズメは震える。

 ――けれどわたしは何でも一人でできる女にならなければいけなかったのだ。

 ひとり立ちとはそういうことだ。駅員さんに頼ろうとしたのがそもそもの甘えだったのだ。


 スズメは切符売り場の路線図を見上げた。度が過ぎたたこ足配線のようだった。新宿駅がどこにあるのかすらわからない。相鉄線とはいったいどこに行く電車なんだろう。

 ――あ、これはもう駄目だな。

 理解の限界がスズメの視界を闇にした。

 せめて紘太朗の携帯番号を訊いておけばと後悔もする。

 進退極まったスズメ。

 誰にも頼らずに事態を解決するには、もはや交番へ飛び込むしかなかった。

「あのーすみません。山科紘太朗くんの家の電話番号が知りたいんですけど……」

 


 交番まで迎えに来てくれたのは紘太朗だった。

 東京方面に戻る電車は案外空いていた。

「なんで横浜なんだよ……」

 席に腰を落ち着けると、紘太朗は理解に苦しむとばかりにため息をついた。

 ――横浜だけじゃない、津田沼にも行ったのだ。

 小冒険をスズメは自慢したかったけれど、今はぐっと飲み込む。

「こーちゃん。この電車って新宿にもとまる?」

「とまらない」

 かぶりを振る紘太朗には呆れと怒りが混じっていた。

 わざわざ遠く横浜まで呼び出してしまったからなのだろう。

 そんなに怒ることないのに。

 電車がおかしいせいなのに。

 スズメは肩をすぼめて電車の揺れに身を任せる。すると、太ももの上に四つ折りの紙束が放られた。

 ――なんだこれ。

 紙を放った紘太朗はどや顔をしていた。

「どうしてストリッパーなんかになりたいんだ?」

 不意打ちの質問。慌てて紙を開く。

 気持ち悪い、というのがスズメの素直な感想だった。さっきネットで調べた店がなぜか印刷されている。このいとこわざわざパソコンの履歴を見たに違いない。

「あのね、こーちゃん。こういうのはストーカーみたいだからしないでね?」

 きもいの一言で済むところを、なるべくやんわりと諭したのはスズメの優しさだった。

 紘太朗が言葉を発しなくなった。茫然自失といった感じでうつむいている。自分の行為がストーカーだという自覚はなかったのだろう。ストーカーとは得てしてそういうものだとスズメは認識している。

(ストーカーはさすがに言いすぎだったかしらん……)

 しょんぼり極まった紘太朗を見て、スズメに少し同情が沸いた。

 ――わたしを過度に心配したあまり、あんな愚行に及んでしまっただけかもしれない。

 スズメは好意的に考える努力をする。

 昨日のわたしの様子を見れば、こーちゃんが過度に心配するのも無理ないだろう。昨日、もし見つけてもらえなければ、わたしはどうなっていただろうか。まあなんとかなっていたとは思う。でもこーちゃんが手を引いてくれた方向は、たくさんあった可能性の中でもずいぶん恵まれたものだった気がする。

「ねえ、こーちゃんには夢ってある?」

 夢? と紘太朗は首を傾げる。

「わたし、アイドルになるのが夢だったの。オーディションにも応募したことあるんだよ。一回だけ書類審査が通って二次審査までいったんだ」

「すごいな」


 ――去年だった。

『中学を卒業したらひとり立ちしろ』

 義母のその言葉の重圧から逃げるように、現実から逃げるように、スズメが書類を送ったのはアイドルグループのオーディションだった。もし大好きな歌やダンスでお金を稼いでひとり立ちができるのなら、それほど素晴らしいことはなかった。

 スズメが応募書類を送ったのは、一〇年ほど前に一世を風靡したけれど、今はお世辞にも芸能界の一線にいるとは言えないアイドルグループだった。

 今日の業界を席巻していて、スズメ自身も大ファンであるHAPハッパ64には応募しなかった。HAPはさすがに競争率が高すぎるし、自分のレベルを現実的に見たとき、こっちならもしかしたら、という打算があったことは否定できない。受かるわけがない。どうせ駄目もとだ。そう自分に言い聞かせる一方で、抜け目なく現実を窺っている自分がいた。


「二次審査ってどんなことするんだ?」紘太朗が訊いた。

「集団面接と簡単なダンスだった」

 書類審査を通っただけあって、みんな可愛い子ばかりだった。

「駄目だったのか」

「うん」

 元子役の肩書きを持つ子が普通にいた。

 オーディション慣れしているのか、話がとても上手い子もいた。

 変な国の言葉を喋れると、奇妙な特技を披露する子が審査員の目を惹きつけていた。

 そんな子が六三六二人。

 それが公式サイトで発表された応募総数だった。

 ――とっくに終わったアイドルグループだと思っていたのに。


「……わたし打ちのめされちゃった」

「一回受けただけなんだろう? 数撃ちゃそのうち当たるかもしれない」

「無理無理。もう諦めたよ」

 完敗を認めていたから、不合格自体に絶望したわけじゃなかった。

 ――いったいどんな子が合格したんだろう。

 スズメは気になって、最終合格者発表の日に公式サイトを確認した。

 だがそこにあった文字。

『最終審査合格者 該当者なし』

 合格者ゼロ。

 みんなあんなに凄かったのに――

「それでね、よしじゃあストリップにしようって」

「待て、発想がだいぶ飛んだ気がする」

「わたし、お金稼がなきゃだからね」

「お金稼ぐって……高校出てからでも遅くないだろ」

「わたし、高校行ってない」

「え?」

「中卒なんだ」

「なんか……ごめん」

 一六歳が高校生だと決めつけられることに、スズメは慣れているし、諦めてもいる。でもそれを否定したとき向けられる哀れみが辛い。自分が不幸の側にいると自覚させられる。

「わたし、お義母さんに『中学出たらひとり立ちしろ』って言われてたの。だったら歌ったり踊ったりできる仕事がいいなって」

「……にしてもストリップは極端じゃないか? もっと地道に稼いだ方がいい」

「そんなに甘くないんだよ。高校も行ってないと」

 中卒女子じゃコンビニのアルバイトさえ「ご縁がありませんでした」になる。

 一八歳未満だから深夜の仕事もできない。

 女だからと力仕事も雇ってもらえない。

 車の免許もない。

「やっと採用してもらったホテル清掃のアルバイトなんて時給八〇〇円だよ。ひとり立ちなんて絶対無理。売春に手を出す子の気持ちがわかっちゃった」

 スズメは苦笑する。

「だからって、ストリップっていうのはな……」

「売春するよりいいもん」

「……」

「アイドルは無理だし、ダンサーになるにもちょびっと技術が足りないし、って考えてたら思い出したの。昔、こーちゃんと忍び込んだあのストリップ劇場」

 あれならわたしでもできそうだと思った。

「けど……売春よりいいって言っても、一六のスズメがストリップで働くのが違法なことには変わりないぞ。賛成できない」

「別にこーちゃんの賛成なんかいらない」

 紘太朗の当たり前過ぎる言葉にスズメは苛立つ。

 ストリップはスズメが悩んだ末に導き出した答え――消去法の中で苦労して見つけた最善策だった。それを不自由ない人生を過ごしてきた紘太朗に、簡単に否定されたくはない。この五年、都度都度悩み抜いて持論を構築したスズメにとって、紘太朗のありきたりな説得は幼児のスープ皿のように浅く感じられる。


「なんとか家に戻れないのかな」

「嫌」

「おばさん、キツいのか?」

「ううん。お義母さんには感謝してる。女手ひとつでここまで養ってくれたし、わたしのせいで離婚させちゃったみたいなもんだし……」

「『中学出たらひとり立ちしろ』なんて言われてるのに、か」

「こーちゃんはうちがどれだけ貧乏か知らないから」

 義母がどうやって生計を立てているかを知れば、紘太朗だって考えが変わるはず。思春期を迎えて、義母の仕事を初めて理解したとき、スズメは自分だけ汚れずにいるのが申し訳ない気さえした。

「貧ぼ――生活苦しいなら、なおさら一緒に生計立てていった方がいいんじゃないか」

「嫌なの」

「おばさんが嫌いなわけじゃないんだろ?」

「あの家には帰りたくない」

 紘太朗がため息をつく。

「……まあ、ウチでしばらく考えるといい」

「そんなにのんびりもしていられない」

「なんでよ」

「……わたしがいるとみんな不幸になるから」

「不幸になる……っておまえ、両親が亡くなったのも、おばさんが離婚したのも、自分のせいみたいに思ってるのか?」

「……」

「おまえな、そんな風に思い込むなよ。別にスズメのせいじゃないぞ」

「……うん」

 わかっている。本当の理由はそれじゃない。

 でも本当の理由なんて話せるわけがない。


 言葉が途切れた二人に、駅到着を告げるアナウンスが流れる。ドアが開き、「いこ」と紘太朗に促されて降りた駅は、スズメが最初に電車に乗った駅だった。

 あれ、乗り換えは? とスズメは思う。


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