終章 舞姫 (了)
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翌朝。
メールを一斉送信し終えた紘太朗は、外の景色を眺めることにした。
これから起こるだろう騒ぎに備えて、今だけは平穏でいたかった。
景色をぼんやり眺めながら、紘太朗は現文の教科書にあった小説を思い出していた。
それは主人公の男が、異国の踊り子との恋と己の立身出世との間で板挟みになり、苦悩する話だった。
最後、男は立身出世を選び帰国する。
見捨てられた踊り子の末路は狂人だった。
小説が発表された当時、その結末を批判した批評家がいたと先生は話してくれた。
『薄志弱行で、精気なく、誠心もない感情健全ではない男をどうして主人公に据えたのだ』と、その批評家は作者を批判した。たとえ身の破滅に終わろうとも、恋愛に生き抜こうとする情熱の青年を描くべきだったのではないか――。
けれど、主人公がもし功名を捨て、恋愛を選んで終わっていたとしたら、あの小説は予定調和の恋愛小説に成り下がった気がする。あれは愛した踊り子を捨て、己の保身を選んでしまった主人公が悶える姿にこそ価値があったし、だからこそ語り継がれる文学作品になり得たのではないだろうか――。
「文学をするのはむつかしい」
紘太朗は流れる風景を眺めながら呟く。
とは言え、官吏への道で悩んだその主人公と、中間テストをさぼってよいものか悩んだだけの自分を比べるのは大袈裟だろうか。少し格好をつけ過ぎた気がして、窓に映る紘太朗の頬が染まる。
と、携帯が震えた。
すぐに返信があるだろうと、予想はしていた。
(最初は誰だ)
紘太朗は通話ができる場所に出ると、着信相手を確認する。
亮の着信に、紘太朗が「もしもし」を言い切る時間はなかった。
「紘太朗、大阪に行ったらまず『キタ・ミュージック』ってストリップ劇場を訪ねろ。そこに結愛ってダンサーがいるはずだ。こないだまでウチで乗ってたヤツだ。そいつが絶対何か知ってる」
紘太朗が一斉送信したメールに、亮は何か勘づいた口ぶりだった。
『スズメは大阪にいるみたいです。これから探しに行ってきます』
それが紘太朗が一斉送信したメールだった。
「……アンタ、絶対連れ戻しなさいよ! そしてあのバカに伝えなさい。アタシ以外にダンス教わったら絶対許さないからって」
亮が携帯をひったくられた気配がした後、電話の向こうで吠えたのは咲良だった。
――まだ朝の八時半なのに、二人はどうして一緒にいるんだろう。
紘太朗はふと考えたけれど、それ以上詮索するのは無粋でしかなかった。
ともあれ、亮の言う『キタ・ミュージック』という具体的な取っかかりは、紘太朗にとってありがたかった。大阪駅の近くにあるらしい公園周辺をしらみつぶしに探すくらいしか、方法を持っていなかったからだ。
紘太朗がスズメの所在を大阪駅近くの公園に確認したのは、昨夜のことだった。
紘太朗は夜の机で、ひとり考え続けていた。
どうしてこんなバッドエンドじみた事態になってしまったのか。
試験問題の誤答同様、紘太朗にとって失敗は検証すべき価値しかなかった。
やはり自分の選んだ選択肢がどこかで間違っていたのだ。
間違っているとしたら、やはり『スズメ鳥かご飼い馴らし作戦』なのだろう。
だが何を間違っていたのかがわからない――。
気が付くと紘太朗は山科家を漂流していた。
――俺は獣だ。スズメを探し彷徨う一匹の獣だ。
紘太朗は冷蔵庫にあったいちごヨーグルトを舐めながら思った。そして渇いた動物が砂漠で泉を探し求めるように、紘太朗はスズメの面影を求めて深夜の山科家を漂った。獣は寂しかった。寂しくてたまらなかった。
当然の帰結として、紘太朗が流れ着いたのはスズメの部屋だった。
渇きの局地で紘太朗が思い出したのは、スズメが「踊ってみた」を動画サイトにアップしていたことだった。スズメのネットセキュリティ意識が随分ワイルドだったことも思い出した。
紘太朗は動画にスズメの姿を求めパソコンを立ち上げる。履歴から動画サイトにアクセスすると、案の定、スズメのIDとパスのクッキーが保存されていた。以前もこの手でログインしたことがあった。
――前はここでスズメが部屋に入ってきて、慌ててパソコンを閉じたんだったな。
あのときの俺の手は音速だった。紘太朗は懐かしむ。
だが、紘太朗が期待した動画、『舞台で踊ってみた』はそこには無かった。
――あれはネットに上げるためのダンスじゃなかったんだろうか。
確かに事情を知らない全世界に発信するには、あのダンスは前衛的過ぎた気もした。規定違反による削除も止むなしかもしれなかった。
しかし、紘太朗は目当て以上のものをそこで発見した。
『さっそく大阪で踊ってみた』
そう銘打たれた動画は、昨日――スズメが姿を消した日の日付でアップされている。
「大阪?」
首を傾げながら再生ボタンをクリックすると、どこかの公園らしい場所でスズメが踊り始めた。
背景に「可愛い」「天使がいた」「結婚してくれ」と、勝手なコメントが流れていく。
一方で「BBA」「足が太い」「果てしない水平線」と、煽りコメントも流れていく。
「なんか踊り上手くなってない?」
ずっとスズメを追っているらしい人間のコメントが、それなりにファンがいることを想像させる。
紘太朗がキーボードに指を走らせたのは、あるコメントに閃きを得た瞬間だった。
『大阪ってこれウチの近所の公園やw』
『場所特定班はよ!』
打ち込む紘太朗の手はついに神速を超えた。
そして特定班もまた神速であった。
「連絡しておくから、劇場の受付で『モダンジャズの鴇田亮』の名前を出せ。対応が変わるはずだ」
亮に礼を告げ電話を切ると、入れ替わるようにまた携帯が鳴った。
ディスプレイに母の名が現れ、紘太朗は身構える。
「ちょっと早く電話にでなさい! スズメちゃんが大阪にいるってどういうことなの! あとあんた学校はどうしたの!」
「今日は休む。学校に連絡はした」
「アルバイトで怒られたばっかりなのに、今度はテストを勝手にさぼったりして――」
「だってテストとは天秤にかけられない」
「問題をすり替えないの! 一人で考えないでまず私に相談しなさいって言ってるでしょう。私が仕事を休んで探しに行けば済む話なんだから。まったくあんたはいつも一人でぐだぐだ考えて――」
紘太朗は電話を電源ごと切り、デッキから座席に戻った。大事なことはもう伝えたから、それ以上通話の必要はなかった。
――自分で探しに行かなければ意味がない。
そう考えたから、紘太朗は親に黙って新幹線に飛び乗った。
母に相談すれば止められるのは目に見えていた。
今まで自分は、作戦を亮に任せ、親に任せてきた。
挙げ句の果て、いつの間にか野辻に問題を解決されていたりもした。
――もう人任せにはしない。
そう考えたとき、紘太朗はついに自分の誤った選択肢に気が付いた。
スズメを見つけたら、もう山科家の養子になれなどとは言わない。
自分がスズメにしてやれる法律行為がある。
一八歳と一六歳が家族になれる法律がある。
今はまだその約束だけでも構わない。そもそもその提案をスズメが受け入れてくれるかもわからない。でももうぐだぐだとは考えない。
「まあなんとかなるさ」
呟く。
窓に映った富士山がやけに能天気に見えた。
(了)
□参考書籍
『舞姫』森鴎外/岩波文庫
『小沢昭一座談③ 本邦ストリップ考 まじめに』小沢昭一/晶文社
『湖の麗人』スコット作・入江直祐訳/岩波文庫
『近代文学論争・上』(石橋忍月の『舞姫』評)臼井吉見/筑摩叢書




