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部屋に戻ったスズメはパソコンの電源をぽちり押す。
ブラウザを立ち上げ、まずお気に入りの動画サイトにログインするのがスズメの習慣だった。動画はやっぱりパソコンの大画面で見るに限る。
「伸びないなあ……」
アップロードした動画一覧をチェックして、スズメはむうとため息をつく。
二週間前にスズメが「踊ってみた」のは、お気に入りのボーカロイドの曲だった。
アップ直後は急激に伸びる再生数が、千を超えた辺りで伸び悩むのはいつものことだ。人気の踊り手ならば、同じ時間で再生数を一万は稼ぐ。人気踊り手の振付けを真似して、同じダンスを踊っているにもかかわらずのこの差。実力一〇分の一の存在。「マイリス数」――お気に入りに登録してくれる人の数――が三〇程度でぴたりと止まるのを見ても、常連さんがチェックしているだけなのだとわかってしまった。
動画の中を「可愛い」「天使がいた」「結婚してくれ」というコメントに混ざって、「BBA」「足が太い」「踊り狂うまな板」といった煽りコメントが流れてゆく。
スズメは自分がババアじゃないことも、そんなに足が太くないことも知っている。だからそんなコメントは気にしないのだと平たい胸板を張るけれど、動画も二分を過ぎたあたりで、
「ルックスはいいけど踊りが相変わらず駄目」
とコメントが流れると、逃げるようにブラウザを閉じていた。
「……あ、違う」
動画をチェックするためだけにパソコンを借りたわけじゃなかった。支配人に言われた「そういうお店」を探さなきゃなのだ。
スズメは再度ブラウザを立ち上げ、検索サイトを表示させる。
スズメは、検索サイトに並んだ目的の店を、次々と「新しいウインドウで開く」してゆく。
支配人が言った「そういうお店」がどれなのかは、サイトを見ただけではわからない。スズメは、新しいウインドウで開いたサイトに掲載された住所を片っ端からメモしていく。新しいウインドウで開く。新しいウインドウで開く。新しいウインドウで開く。突然固まるパソコンの画面。
「これだけあればなんとかなるかな……」
メモした店はすでに一〇件を超えていた。
スズメはフリーズしてしまったパソコンの電源ボタンを、ぎゅーっと押す。
こういうときはボタンを長押しして電源を切るしかないのだと、スズメはちゃんと知っている。
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「こーちゃん。パソコンありがとー」
声がした刹那、ノックもなしにドアが叩き開けられた。紘太朗は慌てて跳ね起き、手にあった雑誌をベッドの下に放り捨てる。
「ねえ、こーちゃん。新宿って地下鉄で行ける?」
「新宿? 途中で乗り換えないと……。案内しようか」
「あ、大丈夫大丈夫。ありがとさんきゅーぐーてんもるげん」
スズメは大袈裟に手を振って拒否しながら「わたしちょっと出かけてくるね」と、階段をどたどた下りて行った。玄関のドアがばたんと閉まる。
呆然とする紘太朗。
腕に残されたノートパソコンはまだ温かい。
――ネットが使いたい、とスズメは確か言っていた。
紘太朗はテーブルにパソコンを据えて、コンセントを差し込む。
その本旨はスズメが今何を必要としているのかを知ることであり、本意はスズメを救済することだった。
スズメがネットで何か救いを探したのであれば、履歴が残っているかもしれない。
そこには、スズメを苦悶させ、家出にまで追いつめた手掛かりが残されている可能性がある。
「言いたくないけど気付いてほしい」
そんな矛盾を含んだ願望を、スズメの年頃の少女が抱えがちだとは、紘太朗も知っている。
スズメは今、誰にも言えないまま、ひとり後ろ暗い道を歩もうとしているのかもしれない。
だがきっと誰かに気付いてほしいのだ。そして、そんなスズメの視線の先にいるのが、どうも自分である気がしてならないのだ。
――だから決して下種な興味で履歴を漁るわけではないのです。
紘太朗は己の中の倫理に向かってそう断じながら、パソコンの電源ボタンを押す必要があった。
だが、あれだけ何も話したがらなかったスズメが、しっぽを掴まれるようなものをそう簡単に残すだろうか、とも思う。これは駄目もとだ。履歴は消されている可能性が高い。
見慣れない画面が現れた。黒地に白い文字だけの無機質な画面。
『Windowsが正しくシャットダウンされませんでした』
無理に終了させたパソコンを、再度立ち上げたときに出る説明だった。
いくつかの選択肢から「Windowsを通常起動する」を選択すると、いつもどおりのデスクトップが現れる。次にブラウザを立ち上げると、「直前のセッションが予期せずに終了しました」のでどうしますか、と聞いてくる。
『→直前のセッションの回復』
次々と復元されるウインドウは一気に一〇を超えた。しかもどのサイトも毒キノコのような色だったから、紘太朗はスズメがトラップサイトに引っ掛かったのだと思った。延々とブラウザが開き続けて、パソコンをフリーズに追い込む古典的な悪戯だ。次々と現れるのはどれもアダルトサイトに見えた。陳腐で下品な手口。
――ウイルスとか大丈夫かな。
心配する紘太朗をよそにサイトの出現はぴたりと止まった。
「ん?」
どうもトラップサイトではないらしい。
見れば、アダルトサイトだと思っていたものは、どれも風俗店のサイトだ。
刹那、紘太朗の頭に風俗街に佇むスズメの姿が過ぎって、昨日の夜と重なった。
スズメは何やら風俗店と繋がろうとしている気配がある。
履歴を漁るまでもなかった。
「なに考えてんだよ……」
風俗店のサイトを真剣に閲覧するのは、紘太朗にとって初めての経験だった。ごてごてしている、と思ったのはホームページの作りだけではない。そんな女性キャストの一覧が掲載されていた。
ここから指名するのか――と紘太朗は興味を持ったが、どうも様子が違うらしい。女性たちはみんな「踊り子」と紹介されている。
全てのウインドウの共通項を挙げれば、それは『ストリップダンス』だった。どれも踊りを売りにしている風俗店。それはストリップ劇場であり、ストリップバーであり、ショーキャバなるストリップダンスのショーがあるキャバクラだったりした。
――ストリップダンサーにでもなるつもりか?
と考えた刹那、紘太朗の頭に電気が走った。
紘太朗はウインドウ上にある全ての店の住所をプリンタで印刷する。印刷された紙をボディバッグに突っ込むと、あの店に向かって家を飛び出した。