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舞姫、ストリップティーズ!  作者: 寒野 拾
39/42

39 ケジメ


 翌日の中間テスト。

 当然ながら、紘太朗のテスト初日は散々だった。

 実施教科が世界史と生物という暗記教科だったのも運がない。前日の暗記量が明暗を分けるこれらの教科は、昨日の紘太朗にとっては不利すぎた。おそらく八割もとれていないだろう。全国模試ならまだしも、校内テストで九割以下の点数というのは、紘太朗にしてみれば屈辱でしかない。


 ――結局、昨日はスズメの手掛かりを何も得られなかった。

 母が直接問い詰めたというおばは、本当に何も知らないようだったらしいし、警察署に向かった父はまるで相手にされなかったらしかった。

 無理もない、と紘太朗は思う。ここのところ何度も、スズメの行方不明者届を警察に出したり引っ込めたりしている。警察に「親の管理責任」を説かれてしまえば、父も肩をすぼめるしかなかった。

「責任を感じていたのかもしれないな……」

 深夜一一時、家に戻った紘太朗を父は叱ることもなく言った。咲良と共に都内外の劇場を回り尽くした結果の帰宅時間だった。

「警察が来たことを重く受け止めたんだろう。必要以上に」

 頭をもたげる父。家に警察が来たとは初耳だった。帰宅するなりとんとん拍子に養子入りが決まっていたあの夜はそういうことだったのか――紘太朗は思い出す。

 家に来た警察。劇場を検挙した警察。公権力がスズメに仇なしている。降りかかる理不尽な運命に抗おうと、ひとり三時間在来線に揺られ、幼い記憶を頼ってこの街に活路を見出そうとした少女を追い詰めている。スズメはむしろ公権力から守られるべき存在のはずだった。

 ――俺は何もしてやれなかった。

 悔しい、と紘太朗は思う。

 どうするのが正解だったのかがわからない。

 何が真の問題だったのかすらわからない。

『スズメ鳥かご飼い馴らし作戦』という解法は間違っていたのだろうか――

「いいからお前はテストに専念しなさい」

 父はそう言って、この街の近辺で今日もスズメを捜索している。母もおばの街で、あてもなくスズメ探し続けている。だけど今は、テストなんてどうでもいいからスズメを捜すのを手伝え、と言ってくれた方がよほど嬉しかった。スズメとテストどっちが大事だと思っているんだ、そう言ってほしかった。


 紘太朗は午前中で終わった学校を背に逡巡した挙句、モダンジャズに足を向けることにした。スズメのことで何か進展があるかもしれない。そう期待しなければやりきれないからだったし、単にスズメの心配を共有できる人たちと今は一緒にいたかったからでもあった。

 つと、鳴った携帯に、「スズメかもしれない!」という直感はもうない。

 その直感を信じるには、昨夜何度も裏切られ過ぎた。

「なんか進展あったか?」と、電話向こうの亮が訊く。

「いいえ」紘太朗は声を落した。

「亮さんの方は?」

「いや……」と、亮は口ごもったが「だがな」と続けた。

「別方面で少し面白いモンが見つかった。お前にも見せてやった方がいい気がしてな」


 亮に来るよう指定された場所は、モダンジャズのある風俗街の一角にあるビルだった。

 そのビルを見た紘太朗が動揺を隠せなかったのは、表口に掲げられていたのがソープランドの看板だったからだ。

『面白いモンを見せてやる』と亮は言っていた。

「なにかな?」

 紘太朗は、赤ん坊はキャベツ畑から生えてくると教える大人のように空とぼけると、胸を高鳴らせ、頬を染めさえした。

 ――正面から入っていいのかしら。

 場所柄、一応私服に着替えてから来たし、もう一八歳だから法的にひっかかるわけでもないけれど、やはりそういう問題ではない。

「お兄さんどう?」

 躊躇する紘太朗を勘違いして、客引きの男が出番とばかりに声をかけてきた。

「いや、あの」

 こんなとき体よく断る術を、紘太朗はまだ知らない。

「お金がなくて……」と、言い訳を捻り出すけれど「平日昼間は二千円引き。今日は特別三千円引き。どうだ」と男も引き下がらない。

(三千円も安くなるの……)と困惑したところで、紘太朗は後ろから頭を小突かれた。

「お前はなに遊ぼうとしてるんだ」

 振り返ると亮がいる。

 紘太朗は反論したかったが、今はとりあえず助かった気持ちが勝った。

「お前はこっちだ」と、亮が手招く先にはビル隙間の狭い路地がある。

 ビル裏の非常階段をのぼってゆく亮に、紘太朗も続いた。建築基準法にひっかかるから仕方なく作った風の階段は、シンプルで無機質でだいぶ古びていて、なんだか酸っぱい匂いがする。これが大人の階段の匂いかと紘太朗は思った。

 五階までのぼると、階段が切れて最上階になった。ドアが一つだけあって、アルコール類の抜け殻が詰まったごみ袋や、雨でふやけた雑誌、スポーツ新聞の類が束ねられたまま放置されている。

「いったい何を見せてくれるんです?」

 しらばっくれて訊ねる紘太朗。

 亮は不敵に笑って答えない。

 その笑みは紘太朗に『期待通り』を感じさせるには十分だったから、紘太朗もにたりと笑み返した。一方で紘太朗は、「こんな状況なのに」と不謹慎にも思う。だが亮は落ち込んでいる自分を、純粋に元気づけようとしているだけなのだ。その気持ちを思うと亮を責めることなどできなかったし、その好意に甘んじるのが礼儀でしかなかった。


 ドアを開けると、物置を思わせる殺風景な廊下が伸びていた。そんな雰囲気を紛らわすためなのか、妙に観葉植物が並んでいる。紘太朗はフロア全体にどこか隠れ家のような趣を感じた。それは何か秘密の特別なことをするためにあつらえたようにしか思えなくて、これはいよいよだと期待値が高まらざるを得なかった。

「モダンジャズの鴇田です」

 鉄板のような無骨なドアを亮がノックすると、中から「おう」と低い声がして、解錠音ののちドアが開いた。紫のスーツを着崩したホスト風の男が「オス」と、妙に堅いお辞儀で迎える。

 部屋は一見、事務所の作りだった。

 昼間なのに薄暗い部屋の中心には応接セットが据えてあり、正面にはこの場を仕切る人間用の大仰な机があり、その頭上には『山』の字が光を放つようなデザインの紋章が額に飾られ、紋章の下には『山之内組誓道会』と金色の文字が刻まれており、目の前の床にはアイマスクと猿ぐつわを着けられた男がロープで簀巻きにされた状態でぐったりしていたので、紘太朗は「お巡りさんここです」と心で呟き卒倒した。おもてたんと違う、と思った。

 それでも紘太朗がなんとかその場に踏みとどまれたのは、その大仰な机にいたのが、顔見知りの人間だからだった。

「おう、待ってたぜ。お二人さん」

 顔見知り――野辻は気さくに言い立ち上がると、床に転がる男を当たり前のように蹴り飛ばした。

「こいつですか……」と、口角を上げる亮。

 ――残虐ショーはあまり得意ではないことを伝える必要がある。

 紘太朗は思ったけれど、とても言い出せる雰囲気ではない。むしろせっかく用意したおもてなしにケチをつけられ、怒った彼らが、逆に自分をショーの中心に据え置く可能性を恐れる。

 野辻が「おう」と、壁際に気をつけの姿勢で待機していた七・八人の男に目配せをする。するとただちにパイプ椅子が一つ用意され、床の男が椅子にくくりつけられた。三〇歳ほどのチンピラ風の容貌をしたその男は、顔の惨状を見ただけで、すでにだいぶ痛めつけられているとわかった。とりわけ痛々しく見えたのは、カッターで切ったような頬の傷だったけれど、これは最近の傷ではないらしかった。

「兄ちゃん怯えるこたぁねぇ。こいつはウチのシマ荒らしやがったから仕方ねえんだ」

 震える紘太朗を察して野辻が言う。

 仕方ないことはない。と紘太朗は思った。個人による復讐を近代法は認めていないのだ、紘太朗は強く噛みしめて、口をきつく結んだ。

「なんだこいつ寝てやがる」

 アイマスクを外すと、椅子の男は眠っていた。

 野辻が「おう」と目配せすると、壁際に並んだ――子分らしい――男の一人が「へい」と答える。子分は水の入ったバケツを取り上げて、男の顔をゆっくりとその中に沈める。途端にじたばた足掻きだした男が、ぶはあと顔を上げると、部屋に笑いが起こった。

「こいつずっと寝てねえんだ」

 紘太朗に笑いかけ、「手足を縛った状態で、昨日一晩中、口んとこまで水を張ったドラム缶に立たせておいたんだぜ」と、さも愉快げに語る野辻に、紘太朗はへへへと笑い返して、おうちに帰りたいと思った。笑いのツボが違い過ぎてつらい。

「下から火ぃ焚いてやったときの慌てようったらなかったよなあ!」

 巻き起こる爆笑。

「あの、自分ちょっと気分が……」

 場を離れるための使い古された言い訳だが、そんなことはもう紘太朗にとってどうでも良かった。こんなのは見ていられない。これを『お前にも見せてやった方がいいと思った』亮の感覚を疑う。いくらシマとやらを荒らしたとはいえ、男を気の毒にさえ思った。

「まあ、そう言うない」

 だが、野辻は敢えなく却下する。

「兄ちゃんが楽しめねえのは、きっとこいつが何者かわからねえからだ。……おいコラ、テメエで自己紹介しやがれ」

 野辻が弱くない力で男の後頭部を小突く。椅子の男は呻くだけで応じない。

「テメ、イイヤガレコラア!」

 子分風の男が唐突に甲高い声を張り、男の椅子を蹴り飛ばす。男は縛られたままの体勢で、椅子ごと床に体を打ちつけた。男はただ呻くしかできない。

「ああ、そうだ」と野辻。

「おう」

「へい」

「猿ぐつわ外してやれ」

 猿ぐつわを外された男は「も、もう勘弁してください」と、第一声で許しを請うた。

「モダンジャズさんに手ェ出してたいへん申し訳アリマセンでした……」

 男は台詞でも読み上げるように謝罪する。その録音再生のような抑揚からは、飽くほど謝罪を繰り返させられた名残が感じられた。

「他にも詫びることがあんだろ、おう」

 野辻がドスを効かせる。

「アヤマレコラア!」

 甲高い子分が繰り返す。九官鳥みたいだと紘太朗は思った。

「……モダンジャズさんに嫌がらせをしてしまったのは、カフェで働いているツレの娘を家に帰らせるためだったんです」

 煽られた男は、一切隠しませんといった風につらつら白状する。

 ――娘には『家に戻らないと、お前の周りが不幸になる』と脅迫を匂わせたメールを送っていた。娘はメールを無視し続けたので、結局色々と実行することになった。娘の周辺で色々面倒を起こしてやれば、娘は責任を感じて家に帰ってくると思った。

「だから誓道会さんの息がかかった店だなんて本当に知らなかったんです」

「ウソツケコラア!」

 男の自白を遮って、九官鳥が腹に蹴りを連打する。それを「おう」の抑揚だけで野辻が制止する。

「嫌がらせの手口がどうも玄人くせぇてんで探りいれりゃあ、果たして同業者ときやがった。コイツ、昨日兄ちゃんちに忍び込もうとしたとこをひっ捕らえたんだ。にゃんこになんやら悪戯しようと企んだみてえだぜ。足のつきやすい盗みや器物損壊に安易に走らねえあたりが手慣れてやがる。ペットはな、こうやってバラバラにして、黒いごみ袋に詰めて玄関のドアノブあたりに引っかけておくと効果があるんだ。怖え怖え」

 身振り手振りを交えてさらりと言う野辻は、それが世界の常識であると言わんばかりだった。

「兄ちゃん、家の鍵はちゃんとかけねえと駄目だぜ」


 ――野辻さんはなぜウチの話をしているんだろう。


 紘太朗が疑問に思った刹那、脳に閃きが起こった。脳内の其処彼処に散り漂っていた疑問のピースが一堂に会して、ピタリと一つの回答を為してゆく。 

「じゃあこの人の言ってる娘って……」

「ああ、スズメのことだ」

 亮が紘太朗の解答を裏付ける。

「こいつはスズメの義母ははおやのヒモだ」

「色々調べるのにな、最近店で起こった事件をひととおり亮ちゃんから聞いたんだ」

 野辻が会話を引き取る。

「そしたら、バイトが学校にバレて兄ちゃんが辞めさせられたって事件があってな、こりゃちょいとひっかかるぜとなったわけだ。なんで兄ちゃんの学校がバレたんだってな。だって兄ちゃん仕事中は店の制服だ。兄ちゃんの学校をわざわざ調べて通報す(チク)るなんて、正義感が暴走した暇人か、店や兄ちゃんに恨みがある人間かしか考えられねえ」

「だけどお前を辞めさせたところで、店に損害があるわけじゃねぇだろ?」

 亮の合いの手がさらっと酷い。 

「それで念のため、兄ちゃんちの方もちっとの間張らせてもらった。したら案の定、こんな時期に皮手袋をはめた、身なりがこれでもかってくらいクセェヤロウが、勝手に留守の家のドアを開けるじゃねえか。玄関ににゃんこがいたもんだから、つまらねえこと閃いたんだろう。さらっていこうとしたところを俺らが御用、ってわけよ」


 紘太朗は思い返す。

 ――嫌がらせの始まりは、深夜のいたずら電話だった気がする。

 いたずら電話がおば方の嫌がらせだと考えたことはあった。しかしバイトを学校に通報された件や、モダンジャズが警察に通報された件まで、全て同じ人間が行っていたとは考えもしなかった。

 脅迫されていたというスズメの周りには、もっと自分の知らない嫌がらせがあって、スズメは一人で責任を感じていたのかもしれない。

『わたしがいると不幸になる』

 胡散臭いオカルトにしか思えなかった言葉は、スズメにとってはちゃんと根拠があったことになる。


 紘太朗は、目の前に転がる男を睨みつけた。

 男は、おおよそ知性というものを持っていませんという顔をしていた。知性という漢字を読めないどころか、「ちせい」とひらがなで書くことすらできませんという顔だった。ドブに堆積した泥の中でも相当底のヘドロ層で生活をしている有象無象の無脊椎動物の方がまだ知的生活を営んでいますという顔をしていて、その頭には脳みその代わりに真夏のごみ捨て場に三週間放置して蛆が沸いたキャベツの芯や、もはや液化して蛆さえもよりつかない腐臭を放つ魚の頭よりもつまらないものが詰まっているに違いなく、本屋に入ればまっしぐらにアダルトコーナーに駆けつけるような救いのない走性が刻まれた本能だけで生きているに違いなかった。

「クソみてぇなツラしやがって」と野辻が男を蔑む。

 酷いことを言う、と紘太朗は思った。

「……兄ちゃん、使ってみるかい」

 怒りに身体を震わせる紘太朗を察して、野辻がアイスピックを差し出す。通は指の爪の間に刺し込んで使うのだという。だが紘太朗は丁重にお断りした。非暴力主義者の紘太朗は、物理暴力は振るわない。

 亮は一発だけ男を踏みつけるようにして蹴った。亮はソフトリーゼントに無精ひげというアウトローな容貌に似合わず、紘太朗にとって常に優しい兄のようでしかなかったけれど、それは亮の容貌と振る舞いが初めて一致して見えた瞬間だった。

「しかし、本当にとんまなヤロウだ」

 野辻が男の髪を掴んで引き起こす。体重がかかった髪がぶちぶち切れる音がした。

「手ェ出すなら、店の御守バックくらい確認しやがれってんだ。テメエも田舎分家の三下とはいえ山之内一門なら、山之内組本家舎弟株、浅草誓道会の『触り三百』熊手の意味くらい知ってるだろうが」

「ほ、本当に熊手なんてなかったんだ!」

「まだとぼけやがるかコノヤロウ!」

「トボケルカコラア!」

 野辻が「おう」と顎先を払うと、子分の一人が「へい」と隣の部屋に向かう。野辻が子分に意思を伝えるのに、二文字以外必要がなかった。

「さて、テメエんとこの親父とはもうナシがついてる。事情を話したら好きに落とし前をつけてくれと言われた。良かったじゃねえか、破門されなくて」

 隣の部屋に向かった子分が木箱を持って戻ってきた。

「勘弁してください! もうシマにも娘にも絶対手え出しません、このとおりです!」

 木箱を見た男が、天敵でも現れたかのように激しく抵抗しだす。

「俺ゃあな、シマを荒らされたから怒ってるんじゃねえんだよ」

 木箱を開けながら野辻が言う。

「モダンジャズのストリップが見れなくなっちまったから怒ってるんだ」

 野辻が木箱から取り出してテーブルに並べ始めたものが、どうにも短刀とまな板にしか見えなかったので、紘太朗は亮と目を見合わせた。視線の交点で互いの意志が共鳴するのを感じた。

「野辻さん、さすがにここから先は遠慮しますわ」

「なんだい。メーンイベントを見ていかねえのかい」


 階段を下り、ビルの外に出たところで紘太朗は息をついた。やっとまともに呼吸をした気がした。見上げたビルに入る前の興奮はもうない。今はもうコンクリートの魔窟にしか見えず、眩しい太陽がただありがたく思えた。

「亮さんって、野辻さんとどういう関係なんですか……」

 疲れた表情で煙草を吹かし始めた亮に、紘太朗は疲れた声で訊ねる。

「ウチは野辻さんのトコ(二文字傍点)から熊手や観葉植物をリースさせてもらってる。それだけだよ」

 熊手のリースなどという商売が存在しないことくらい、紘太朗だって知っている。

「あと、野辻さんがウチの重度のファンだってことは確かみてえだ」

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