34 エレンの詩
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『自分の振り付けで踊るなら、曲の意味や時代背景もちゃんと勉強しなさい。上っ面だけで踊ろうとしても駄目よ』
スズメが咲良にそう叱られたのは、自分で振り付けを考えたストリップ・ティーズ――『アヴェマリア』を練習で初披露したときだった。
『それになんで服脱がないのよ。練習なんだから一回裸になってみなさい』
『嫌です』
『アンタ、本当にストリップやる気ある?』
『裸にならなくてもいいストリップってないもんですかね』
『辞書で一回「strip」って引いてみるといいわ』
『いやほら脱ぐにしても、丸裸じゃなくて……せめて下着だけとか』
『それじゃストリップじゃなくて、バーレスクじゃない』
『バーレスク?』
「シューベルトの『アヴェマリア』って讃美歌じゃないんだ……」
ネットで『アヴェマリア』を調べたスズメは落胆のため息をついた。
――マリア様の慈悲に触れて改心した女悪魔が、悪魔の衣装を脱ぎ捨ててゆく――
そんなシナリオを思い描いて、『魔王』に『アヴェマリア』を組み合わせたスズメのアイデアは、ウィキペディアによって粉砕された。
けれど曲の由来を勉強するうちに、ドイツ語歌詞の訳を調べていくうちに、スズメは『アヴェマリア』を踊りたい気持ちがむしろ強くなった。
――Ave Maria, Jungfrau mild.
(マリア様、優しき乙女)
ウォルター・スコットの叙事詩『湖上の麗人』に書かれた作中詩「エレンの歌」。
それにメロディを付けたのがシューベルトの『アヴェマリア』だった。
城を追われた無力なエレンは、逃げ込んだ洞窟でマリア様に祈る。
――Wir schlafen sicher bis zum Morgen,Ob Menschen noch so grausam sind.
(罵られ、追放されても、貴女のご加護があればわたしは安けく眠れます)
城を、家を追われたエレンの哀しみを、わたしならきっと上手く踊れるはずだ。
――Der Erde und der Luft Dämonen,Von deines Auges Huld verjagt,
Sie können hier nicht bei uns wohnen.
(どんな悪魔も、貴女のご加護の前では必ず逃げてゆくでしょう)
マリア様の恩寵はエレンを助けた。
――Der Jungfrau wolle hold dich neigen.
(マリア様、この娘に優しく心を傾けてください)
ああマリア様、どうかわたしの悪魔も退けてください――。
舞台の上には、肌も露わな姿で、淫らな魔魅のように、ときには純潔のエレンのように、艶やかに舞っている、と思っているスズメがいた。
と、スズメの視界に、ロダンの『考える人』風に固まった紘太朗の姿が飛び込んだ。
――完全に見とれている!
ぢくぢくと体中に感じる刺す視線。
――照れたら駄目。相手を照れさせるんだ!
スズメはむしろ紘太朗をにらみ返し、ウインクさえ送った。
紘太朗は目が悪くて黒板が見えない人のように目を細めている。見えないものを無理に見ようとするとき、人はよくあんな目をする。
――こーちゃんは目に見えぬ何をわたしの体に見ようとしているのだろう。
スズメはなんだか黒くてぬめぬめしたものを感じた。そしてそのなまこ様の視線は、スズメの意識に無理矢理ねじ入ると、途端に羞恥を呼び覚ました。
一瞬で熱を帯びる顔。
その熱は枯れ野を焼く炎のようにたちまち全身に広がり、血管中の血を沸騰させた。
――これがストリップ・ティーズの洗礼なんだ。
舞台に立つ舞姫たちは、こんな視線を毎日たくさん浴びているんだ。
なのにわたしときたら、たったひとつの視線にも足をぷるぷる震わせるありさま――
情けなくなるスズメに、再び咲良の声が甦る。
『ストリップなんて赤の他人に見られるぶんにはどうってことないわよ』
裸をむずかるスズメを、咲良はそう勇気づけた。
『だけど、知り合いに見られるのは、あれは嫌なもんね』とも言った。
『親密度が高い相手ほどストリップを見られるのが恥ずかしい気がする』らしい。
だから『亮ちゃんにはストリップダンスを見せたくない』と。
――いまわたしの身に起こっている現象は、きっとそういうことなのだ。
スズメは思う。初舞台を見せるお客さんに、わたしは一番難度が高い相手を選んでしまったのかもしれない――
水着がなかったら、きっと舞台にへたり込んでいたことだろう。
『――バーレスクってのはね、全裸にはならないで、ギリギリの格好で色っぽく踊るダンスなの。日本ではほとんど見かけないけど、アメリカじゃメジャーなのよ。ラスベガスの劇場だと、生バンドの演奏でバーレスクを踊ったりするんだから――』
下着っぽい水着で踊るバーレスク。
それが、今のスズメが紘太朗に披露できる限界のダンスだった。




