32 舞台
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「ここはおいしいよ!」
たどり着いた店の前でスズメが嬉々とする。
だがそれは紘太朗とて知っている。
「一回、お客さんとして来てみたかったんだ」
モダンジャズは二階の劇場こそ営業を停止していたものの、一階のカフェは営業を続けていた。意気揚々と入店するスズメを見て、みいさんが笑う。
「お祭りを見に行きたいっていうから、お休みにしてあげたのに」
「今日は働きに来たんじゃないですよう!」
みいさんと話し込むスズメを放って、紘太朗は席に着く。なぜか水を二つ持って追いかけて来るスズメ。モダンジャズはセルフの店じゃない。
日曜のランチタイムにしては、客の入りは寂しく見えた。今日が祭りであることも考慮すればなおさらだ。スズメが言うには、劇場が営業を停止してからカフェのお客さんは俄然減っているらしかった。当然予測できたことではあったので、仕方がないのかもなと紘太朗は残念がるしかできない。
「スズメは何頼む?」
紘太朗は特製チーズカレーを注文することにした。キッチンでバイトしていたときは、頼まれずとも率先して味見をするよう心掛けていたので、それが絶品であるとよく知っていた。
「わたしは……レモンティー」
「と?」
「んーん。レモンティーだけでいい」
「昼ご飯を食べたいって言ったのはスズメだぞ?」
するとスズメは「ダンサーは本番前には食べないの」と、不可解な言い訳をした。
結局は腹一杯で食べられないだけなのだろう。
カレーを口に運ぶ紘太朗を、スズメはぴろぴろスマホで撮りながら笑う。
「こーちゃん。ちょっと二階に付き合って」
紘太朗がカレーを食べ終えると、待ち兼ねたようにスズメが言った。
「二階って、劇場?」
「忘れ物があるの」
「勝手に入っちゃまずいんじゃないか?」
「大丈夫、みいさんに断ったから」
スズメは劇場裏口の鍵を、目の前で揺らしてみせる。
モダンジャズが営業を停止すると同時に、スズメはストリップの稽古をやめていた。
あの一件は、スズメがストリップ劇場の危うさを知り、足を洗う良い機会になったのだと紘太朗には想像ができた。劇場にとっては不運な事件だったけれど、紘太朗は亮に感謝するしかなかった。
劇場裏の廊下は電気をつけても薄暗かった。廊下に並ぶどのドアも人の気配はしない。廊下の電気が消えていたことからも、劇場が無人であると知れる。
「いったい何を忘れたんだ?」
薄闇の中を慣れた足取りで進むスズメの背中に、紘太朗は訊ねた。
「大事なもの」とだけ言って、スズメはドアを開く。
その暗い空間が客席だとはすぐにわかった。非常口を示す緑色がほのかに辺りを照らしている。
舞台から真っすぐ花道が突き出ていて、それを囲むように席がある。花道の先端にある小さな舞台でダンサーが何をするのかは、ストリップに明るくない紘太朗にも想像がついた。
「こーちゃんは座って待ってて」
適当に座ろうとした紘太朗を、スズメは「もっと前の席」と舞台に近い辺りに促して、舞台袖に消えていく。
舞台袖に電気が灯り、そこにごった返す衣装や小道具が客席からも覗けた。
――何を探してるんだ?
所在無くした紘太朗がきょろきょろしたり、くんくんしたりしていると、突然青白い照明が舞台を突き刺した。明かりの源――二階の照明ブースを見上げると、何やら照明を弄ぶスズメがいる。
紘太朗はスズメの格好に驚いた。悪魔の姿をしていた。
「その格好……」客席に舞い降りた悪魔に、紘太朗は訊ねる。
「可愛いでしょ」
スズメが回転するとスカートがふわりと舞って、髪に刺した大仰な羽根飾りがなびいた。
肩を大きくはだけた黒のドレスは、可愛いと言うよりも艶めかしい。その姿には魔女と淫魔の折衷といった趣があった。
「これからダンスを踊るからね、それをこーちゃんに録画してほしいんだ」
「録画?」
「うん。最初と最後でボタン押してくれるだけでいいの」
都合良く舞台袖にあったらしい三脚を、スズメは紘太朗の前で組む。そこに自分のスマホ置いて、慣れた手つきで角度を調整する。その良すぎる手際を見て、紘太朗は自分がスズメの計画の手中にいると知った。
――『お願いしたいこと』ってのはこれか。
半ば強引にモダンジャズに誘導された挙げ句、スズメの計画の中でただ踊らされるのも面白くない気がする。文句の一つも言おうかと思ったけれど、「『舞台で踊ってみた』って一回やってみたかったんだ」と頬を緩めるスズメを見て、紘太朗は黙って掌で踊ることにした。
こっちが踊らされていると自覚した時点で、踊らされているのはすでにスズメの方なのだ。だからそれでいい。
スズメは再び舞台袖に引っ込む。すると予兆も無く舞台のアンプが震えた。
シューベルトの『魔王』の前奏だった。




