28 議論
その日、開店直後のカフェを賑わせたのは、お客さんではなかった。
「あのー、先日の事件について少しお伺いしたいのですが……」
カフェに取材にくる人たちを、みいさんは「コーヒーくらいは頼んでいってくれますよね?」と動揺もみせず、しっかりお客さんに変えていく。
ランチタイムも過ぎ、そんな賑わいも一段落したころ、スズメはバルーン人形がしぼんでいくように息を吐き出すみいさんを見つけてしまった。
「みいさん、昨日は何時に帰ったんですか?」
みいさんの随分黒い目の縁が、ずっと気になっていた。
「なんだか帰っていい気がしなくてさ、カフェに残ってたらいつの間にか朝になってたよ。上はずっと家宅捜索してたし……」
「じゃあ、みいさん寝てないんじゃ……」
「ううん、大丈夫。……だけど、明日はちょっと臨時休業にするからね」
――非常事態だから仕方ない。
みいさんに休んでほしい気持ちもあって、スズメは頷いた。
翌日。することもなく、家でひとりもやもやしていたスズメが散歩を決意すると、足は勝手にモダンジャズに向いていた。
劇場に続く階段には看板が立ちふさがって、「都合により臨時休業」と張り紙がされている。カフェのドアにも同じ張り紙があり、やはり店内の電気は落ちていた。けれどよくよく覗くと、カウンターの奥に人影があった。
人影は何やら料理をしている。
――どうして?
と思ったときにはもう、手が窓を叩いていた。
「みいさん! みいさん!」
みいさんは即座にドアの鍵を解いてスズメを迎える。
「スズメちゃんも来たんだね」
『も』という言い回しがスズメは気になった。思わず店内を見回す。外からだと死角になるボックス席に人の気配がした。
「お、いらっしゃい」
照れ笑いでビールを傾ける亮がいる。
「え、二人とも刑務所はどうしたんですか!」
「馬鹿ね。ただの公然わいせつだもの。警察で罰金払ってサヨナラよ」
あっけらかんと答える咲良がいる。
「略式起訴の場合、通常被疑者が勾留されることはなく、逮捕後四八時間以内に釈放される」
そらんじたそのどや顔に、スズメは意表を突かれる。なんでここにいるの。
「亮ちゃんは支配人だから、随分罰金絞られたでしょ」
いたずらっぽく言う咲良に、亮が弱り顔で頭をかいた。
「公然とわいせつな行為をした者は、六月の以下の懲役もしくは三〇万円以内の罰金、または拘留もしくは科料に処する」
どや顔が再び言葉を発する。みんなが目を合わせないようにしていた。
「こういうときはね、劇場が踊り子の罰金や弁護料を面倒みるのがしきたりなのよ。アンタも覚えておきなさい」
ね、亮ちゃん、と念を押すように咲良が言う。
「罰金だけで済めば御の字だがな。しかし俺もとうとう前科持ちか」
「あら、公然わいせつなんてこの世界じゃ勲章みたいなもんでしょ? この前、公然わいせつで六回捕まったって自慢してたねえさんがいたわ」
「何度も繰り返すともう罰金じゃ済みませんよ」
と、テーブルのポテトを頬張りながらどや顔。
「ねぇちょっと。アンタの彼氏、さっきからむかつくんだけど」
「彼氏じゃありません」
スズメは即答した。ただの義兄です。と続けて否定したくもあったけれど、余計面倒なことになりそうだったし、発表のタイミングとして不適当すぎる気もするのでやめた。養子縁組の書類だってまだ書きあげていない。
満更でもない顔をしている紘太朗に、スズメはちょっとイラっとした。
「こーちゃんは学校をどうしたの!」
「具合悪くて早退した」
「なんでそんな嘘ついたの!」
「ぬ」と、言葉を詰まらせる紘太朗。
具合の悪いひとは、そんなにたくさんポテトを食べたりしないのだ。
「……いや、公然わいせつだけなら、今日の午前中には釈放される可能性があると思ってさ。帰り際にちょっと通ってみたらみいさんがいたから……」
「そんな大事なこと教えてくれたらいいのに!」
ここ二日間、モダンジャズのことで心を乱していたのは二人一緒だったからスズメは不満だった。紘太朗が「でも公然わいせつだけとは限らなかったし……」とこぼすと、亮に睨まれてしゅんとなった。
「そもそもなんでストリップが公然わいせつになっちゃうの!」
スズメは紘太朗にさらなる不満をぶつける。ストリップが公然わいせつになるのは別に紘太朗のせいではないのだけれど、それはいつだったか紘太朗に諭されても、ずっと飲み込めないでいた疑問だった。
「外で裸になって『公然わいせつ』だ、って言うならわかるの。見たくないものを見せられて嫌な思いをする人がいると思うから。でもストリップは、劇場の中で、見たいお客さんに見せてるだけなのに、なんで『公然わいせつ』になっちゃうの!」
亮と咲良なら同意してくれるとスズメは思った。二人は同じストリップ側の人間だ。
「だから『公然』の定義とはだな――」と、したり顔の紘太朗を遮ったのは亮だった。
「この国じゃ性器を一般に公開したら、問答無用でアウトなんだよ。ストリップに限ったことじゃなくて、絵や映像でもそうだろ」
あらまあ、とスズメは思った。顔がにわかに熱を持つ。
紘太朗がバッグからポケット小六法を取り出して、
「ストリップガールが、多数の観客の前で陰部を露出する等の行為は、公然わいせつにあたる」
例の一文を読み上げた。
「昭和三〇年の最高裁判決だ。五〇年以上も前から判例がある」
「昭和三〇年って、そんな判例もう賞味期限切れでしょう?」
憮然として口を挟んだのは咲良だった。
「当時に比べてどれだけ性が開放的になったと思ってんのよ。馬鹿げてるわ」
「最高裁の判例が覆ることはありません。そんなことしたら裁判所の判決がブレてしまう」
「間違いを認められる人間でありたいもんね」
「この国の最高レベルの法律家が、慎重に法審議を重ねて導き出すのが最高裁の判決なんです。間違っているなんて簡単に言えない」
「時代を考えなさいって言ってるの。社会通念ってものがあるでしょう。今はチャタレイやサドが発禁になった時代とは違うのよ?」
「『公然わいせつ罪』の存在意義は、『性秩序』と『健全な性的風俗』を守ることです。そのためには超えちゃいけない一線だってある。 あっちこっちでなんでもかんでも丸出しにしていい国なんて、ちょっと嫌だ」
「劇場の中で大人に見せるだけだって言ってんのに、なにが不健全なのさ。あんたいったいどっから生まれてきたと思ってんのよ!」
咲良はウィスキーのグラスで、どん、とテーブルを叩く。
「『成人相手に同意の上で見せるなら公然わいせつには当たらない』って見解はもう否定されてるんです。大人も子どもも関係ない。不特定多数に丸出しを公開しちゃ駄目!」
紘太朗も負けずにポケット六法で、どん、と叩く。
「まあ、落ち着けよ」
ヒートアップする二人をなだめたのは亮だった。
「紘太朗。お前、ストリップ全否定だな」
紘太朗は気まずそうに顔を伏せて「女性がそんなに簡単に丸出しにしちゃ駄目なんです」と、それでも諦めずに呟いた。
妙にむきになる紘太朗がスズメには不思議だった。でもこーちゃんにもなにか譲れないものがあるのかもしれない。
「俺もあんまり出していいモンだとは思わないがな」
そう言葉を足して、亮はスズメに視線を投げた。
「あら、亮ちゃんがそれ言う? アタシやってらんないわ」
咲良が不機嫌そうに言う。
「あ。いや、お前のダンスはほら、問題ねえんだよ。そうだ、あれだよ。田舎温泉の小屋だと、妖怪みてえな婆さんが舞台に出てきたりするだろ。どっかで見た顔だと思えば、受付で金取ってた婆さんだったりする。歳訊いてみれば平気な顔して『まだ四〇代よ』とか言うんだぜ。あれは犯罪で間違いねえ」
亮がまくし立てると、漏れた苦笑で空気が緩んだ。
「俺は人を不幸にするようなストリップティーズは駄目だって言いてえだけだよ。見る方も、見せる方もな」
沈黙が漂う。
亮はスズメを見据えていた。
「おい。釈放祝いなんだから楽しくやろうぜ」
自ら作り出した気まずさを破るように亮が言ったと同時に、店内に窓を叩く音が響いた。
――誰?
スズメは座席の陰から音の方を覗き見る。
窓の外には目を丸くする野辻がいた。
みいさんが慌てて野辻を招き入れる。
「中にみいちゃんがいたから、もしかしてと思ってよ」
言いながら、野辻はスズメの隣に尻をねじ込んだ。
「ご心配かけてすんません」
と、亮が頭を下げる。
「しかしいったい全体なんだってんだ。亮ちゃん、俺の知らねえトコでなんかまずいことやったのかい」
「とんでもねえです。ウチは品行方正なストリップ劇場ですから」
「だよなぁ。今どき珍しいくらい真面目な劇場だぜここは。ポラも撮らせてくれねえし」
野辻が舐めるように咲良を見る。
咲良はしっしっと手を動かした。
「今どき公わいだけで手入れなんて、警察も無粋なことしやがる」
「公然わいせつだけなら捕まえない、なんてことはないと思いますけど」
何かが癪に障ったのか、紘太朗が野辻に噛みついた。
「相変わらずとんまな兄ちゃんだな。警察だって暇じゃねえ。警察が公わいで劇場を挙げるときってのはな、もっとでけえ役で上がるための切り口にすぎねえことが多いんだ。裏で薬物や売春をやってるらしいとか、不法滞在外国人や一八歳未満を使ってるらしいとか、そんな高めの役でアガれそうな劇場を、警察はさしあたり公わいで挙げるんでぇ」
憤悶する紘太朗をよそに、野辻は亮に向き直る。
「何が疑われたのかわからねえのかい」
「……刑事の話だと、通報らしいんですわ」
「通報? 恨みでも買ったのかい」
「なんとも……。一一〇番と警察署にしつこく通報があったそうなんです。所轄の担当刑事もまともに取り合わなかったらしいんですがね。そしたら、警視庁の広報課公聴係に苦情の電話を入れられたとかで」
「通報したのに取締まらない、ってかい……」
「ええ。警察の職務怠慢だ、ってことですわ。しかもご丁寧に公安委員会にも苦情の投書送りつけたそうで。それで警察も動かねえわけにはいかなくなっちまって、挙げてはみたもののウチ余罪は何もねえでしょ。結局、四八時間で罰金釈放、刑事にさえ同情されるような次第でして」
「なんだいそりゃ。どうにもくせえな」
「ええ、素人にしては少し」
亮が野辻の目を見据える。野辻は黙って頷き返す。
「立ち入ったこと訊くが……劇場は大丈夫なのかい?」
「それなんですが……」
頭を掻きむしったまま言葉を失う亮。
「八か月は営業停止くらうでしょ。アタシの知ってるトコはそうだったわ」
咲良がため息混じりに煙草の煙を吹いた。
「オーナーとも相談してみねえと……今後はわからねえです」
亮の声は沈んでいる。
「そうか……」と、野辻は継ぐ言葉を失っていた。
計算機を叩いてはいつもため息をついていた亮の姿を、スズメは思い出す。
八か月も売り上げがなくなれば、経営はさらに厳しくなるだろう。営業免許を取り上げられなかったのは不幸中の幸いかもしれない。
「再開したらすぐ見に来るぜ。だから亮ちゃん、心配すんねい」
ばん。亮の背中を叩く音が、やけに寂しく響いた。




