24 葛藤
翌朝の食卓も重い空気を引きずっていた。
無言で新聞を開くおじさんの傍ら、紘太朗の表情は暗い。何か声をかけたいとスズメは思うけれど、会話の糸口が見つからない。言葉を探せば探すほど、言葉の迷路にはまり込んでいく。言葉が見つからないのは、わたしには慰めの言葉をかける権利なんてないからなのだ、とスズメは考えさえする。
――全部わたしのせいなんです。
そう告白してしまえば、紘太郎の名誉は回復するのかもしれないし、スズメ自身も楽になれるのかもしれなかった。
でもそれは恐らく紘太郎が望んでいない。カミングアウトしたら、紘太郎が昨日耐え続けたのだろう説教がすべて無駄になってしまう。
なぜ紘太郎がわざわざ自分と同じモダンジャズでバイトをしなければならなかったのか、正直その必要性がスズメにはよく見えない。そもそもそんなに小遣い困っているように見えない紘太郎が、受験期の勉強時間を削ってまでバイトをする必要性がわからない。
――もしかして、わたしを心配してくれている?
しばしばストーカーの素質が散見される紘太郎のことだから、『俺がいなければスズメは駄目なのだ』とか、勝手にこぶしを握ったに違いない。
――余計なお世話過ぎる。
ひとり立ちに向け自立の道を歩き出しているスズメには、いまだ被扶養者たる高校生の紘太郎などよりすでに大人だという自負がある。
――だからこーちゃんなんかに心配されなくても、わたしはひとりでやれるのだ。
と思う一方で、知らないメイド喫茶に見慣れた顔があるのは、実は頼もしくもあった。
紘太郎が「高校を受験しろ」と提案してくれたのも嬉しかった。
『やっぱり無理だよ。わたし高校に通うお金なんてないもん』
『足りなければ、俺のバイト代を使ってくれてもいい』
いつかの夜の会話がスズメの耳によみがえる。
――やっぱりこーちゃんはバイト代なんかどうでも良かったのだ。
にもかかわらず、こーちゃんだけを犠牲にして自分はのうのうとバイトをしていていいのだろうか。でもできることならバイトも続けたいし、ダンスのお稽古も続けたい――
「あんた今日からトイレ掃除するんでしょう。そんなにゆっくりしてていいの」
おばさんの鋭い声に、スズメの葛藤は遮られた。渋い顔で席を立つ紘太郎の口には、まだ齧りかけのトーストがある。
「普段、法律法律うるさいくせにそういうことがわからないんだから……」
おばさんの呟きに、おじさんの溜息が反応する。おばさんと紘太郎、どちらに向けた溜息なのかスズメにはわからない。法律よりもトイレ掃除の礼節に重きを置いたおばさんの世界観を不思議に思うけれど、そういうこともあるのかもしれない。世の中には法律より大事なことだってあるはずだ。妙に納得しかけるスズメをよそに、紘太郎はとぼとぼ階段に消えていった。
「あ、スズメちゃん今日はバイトがお休みなんでしょう。どこかに遊びに行ってきたら?」
おばさんがあからさまに声のトーンを変える。自分のせいで重くした雰囲気に、ばつを悪くしたようだった。
「原宿にでも遊びに行くといい。スズメちゃんくらいの子はみんな服を買いに行くんだ」
中学教師のおじさんが物知り顔で言う。けれど若者のステレオタイプを丸かじった発言っぽくて、スズメは少し鼻白む。
「でも……少し疲れたので、今日は家でマグナと遊んでます」
「そうね。ずっとお仕事だったものね。お昼ご飯何か用意した方がいいかしら――」
何事もなかったかのように、朝食はいつもの和やかさを取り戻す。まるで病気の禍根が取り去られたかのようだった。
――わたしは、確実にこーちゃんに迷惑をかけている。
『わたしがいると不幸になる』
スズメは自分にのしかかる呪いのようなそれを、久しぶりに思い出した。
最近なんだか幸せで忘れていた。
山科家にお世話になっているのが当たり前のような気がしていた。
「……行ってきます」
二階から降りてきた紘太郎がダイニングには目を向けず、玄関に向かう。
せめてお見送りを、とスズメは後を追うけれど、やはり言葉が見つからないうち玄関のドアが閉じかける。
「……いってらっしゃい」
スズメの声に、紘太郎の目がドアの隙間から反応する。紘太郎は目をかまぼこ型にして気にすんなと表現してくれたけれど、全身から生じる雰囲気が明らかに張りつめているからスズメはやるせない。
ぱたん、とドアは優しく閉じられた。
「どうしたらいいんだろね……」
スズメは詮無くて、玄関を根城にしている山科家の愛猫マグナカルタの毛繕いの邪魔をしてみる。迷惑そうに睨む顔がまた愛おしい。
――と、ドアホンが鳴った。
はい、とドアを開けるとスーツ姿の男女が立っている。小太りの中年男性と化粧っ気のない若い女性。変な取り合わせの二人組。
二人はスズメを見るなり顔を見合わせた。
「ご両親……えーと、おうちの人はまだいるかな?」と女性。
スズメはデジャヴのような胸騒ぎに襲われる。
「はい、どちらさまでしょう?」
ばたばたと駆けつけたおばさんが、二人に怪訝な目を向けた。
「早朝にお邪魔して申し訳ありません」
男が申し訳なくなさそうに言うなり、男女の手はスーツの胸元に伸びた。
「昨夜匿名の一一〇番通報がありまして――」
二人が同時に取り出したのは、見覚えのある黒い手帳。




