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舞姫、ストリップティーズ!  作者: 寒野 拾
22/42

22 堕落

 

 テスト翌日。

 前日に実施した受験補習の実力テストの結果が最悪だろうことは、紘太朗の想像に難くなかった。長年学生をしてきた経験上、採点結果が返らずとも手応えでわかる。

 土日で追い込みをかけようと思っていた試験だったけれど、いたずら電話やスズメの養子縁組の件があり、夕方からはバイトがありで、結局何もできなかった。最近ただでさえ勉強がおろそかになっている。バイトをすれば勉強時間だけでなく、体力も削られる。だから夜に勉強していても、疲れで集中を欠いて、いつの間にか眠ってしまうことが増えた。

 紘太朗の学問は荒んでいた。けれど一方で、別な見識を伸ばしもしていた。それは教科書や六法を読んでいるだけでは得られない、生の経験に基づいた知識だった。

 紘太朗は自分で稼いだお金を初めて手にしたとき、思いのほか自分が大人になった気がした。学校で学ぶ時間が、経済社会に就く準備段階ステップとして存在しているのだとすれば、アルバイトはもはや準備段階ではなかった。実際に社会の歯車として回っているのだ。そこでは立場の差はあれ、仕事の下にみな対等だった。大人も子どもも関係ない。大人であろうと子どもであろうと、怒られるし褒められる。だからみな仕事に努力する。結果、満足げにレジで金を支払う客の顔を見たとき、自分は時給八八八円に恥じない仕事をしたと思える。

 その一連の行為で得られる喜びは、テストで良い点をとるものとはまた違ったものだった。努力に対する対価が、報酬というあからさまなほど目に見える形で与えられるのだ。

 その点で、紘太朗は級友たちが夢にも知らない境地にたどり着いていた。一つ頭抜けた気さえしていた。頭の中が勉強で埋まった級友たちは、八八八円の正確な価値をまだ知らない。ポテトの揚げ方さえも知らないに違いない。

 だからたとえテストの点が悪かったとして、今の自分が学生の一つの在り方として間違っていると一概には言えないのではないか――


「山科、ちょっと職員室に来い」


 だが紘太朗が内に秘めるその熱い言い分が、担任の川田に伝わるはずはなかった。

 受験生がこの時期に敢えて労働を学ぶ必要はない。少し考えれば誰にでもわかることであって、やるなら大学に行ってからやれと言われてしまえば反論の余地はなかった。

 ――昨日のテストの出来が悪いことを、咎められるに違いない。

 特進クラス担任の川田は、この名門校でもとりわけ厳しいことで知られている。

 川田は渋い表情で、生徒指導室に紘太朗を促す。

 と、目が丸くなった。


 ――そんなに大袈裟なことか?

 指導室に母がいる。仕事中のはずの母がここにいる。わざわざ呼び出したのだろうか? テストが悪かっただけで?

 母の厳しい視線が刺さる中、紘太朗はその隣に腰かける。川田が対面に座ると、母が頭を下げる。川田は突然呼び出したことを母に詫びた。

「今日は紘太朗くんの素行について、少しお話がありましてご足労を願いました」

「この度はとんだご迷惑をおかけしまして……」

 母が再び頭を下げる。

 紘太朗は嫌な予感がした。テストが悪かっただけで素行云々の話になるのはおかしい。

「山科。お前、学校と親御さんに隠していることがあるな?」

 川田が紘太郎に鋭い視線を向ける。自分の顔から血の気が引くのがわかった。

「どうしてあんたは無断でアルバイトなんて――」

 母が声を歪める。紘太朗がこれまで学校で起こした、親に話を通されるほどの問題といえば、小学生のころ友達と小競り合いをした程度のものだった。紘太朗自身、これまで親に迷惑をかけることなく、むしろ優良に生きてきた自信がある。その結果として今、それなりに名が知れた進学校の特進クラスに在籍している。

 だがこの名門校はアルバイトが禁止されていた。

 青天の霹靂に動揺しつつも、紘太朗は腑に落ちない。バレないように注意していたのに。

「なんで……バイトがわかったんですか」

「学校に匿名の通報があった。山科というのはあんたのとこの生徒か。おたくの学校はアルバイトを許可しているのか、とお叱りを受けた」

 一体誰が、と紘太朗は思う。

 真っ先に思い浮かんだのは、いつぞやフランクフルトの焦げた部分をポテトで隠して提供したら激怒した客だった。カフェでは名札を付けているから名前がばれたに違いない。だがどうして学校までわかったのだろう。バイト中はカフェの制服を着ている。

「先生。息子は停学とか退学とかいったことになるんでしょうか?」

 母が不安顔で訊ねる。

「いえさすがにそこまでは。学校としてもお子さんの将来に響くような処分をするのは本意ではありません。速やかにアルバイトを辞めてもらって、厳重注意ということで本来は済ませたい話なんですが――」

 ――が?

「バイト先というのが……少々問題でして」

 紘太朗の思考が凍る。

「その店というのが……モダンジャズという風俗街のカフェです。二階が、その……ストリップ劇場になっている……」

 まあ、と母が息を呑んだ。

「私もにわかに信じられなくて、店に足を向けたのですが、確かに店外からも働いている紘太朗くんの姿が確認できました。メイドカフェ……とでも言うのでしょうか。本校の生徒が出入りするのに相応しい店ではありません」

「どうしてあんたはそんな所で……」

 情けなくて仕方がない、母はそんな声を出す。

「山科、事情を説明してくれるか」川田の語気が強まる。

「あんた、なんとか言ったらどうなの!」

 ――事情を説明できないから無断でしたに決まっている。

 沈黙の紘太朗は考える。この場を切り抜ける最善の選択肢を考える。

 本当の理由なんて話せるわけがない。

「……金が欲しくて」

「どうしてそんなに金が欲しかったんだ。まさか、誰かに脅迫されたのか」

「それはないです」

「じゃあどうして、こんな受験を控えた大事な時期にバイトをする必要があった?」

 痛いところを突かれて紘太郎は逡巡する。

 受験生がこの時期に敢えて労働をする必要はない。それを覆してまで金が欲しい理由なんて見つからない。何が欲しいにせよ、やるなら大学に行ってからやれと言われたなら反論の余地はないのだ。

「その……最新版の六法全書が欲しくて」

「私は詳しくないが、六法全書なんてせいぜい一万円かそこらの物だろう。そんな店でバイトする必要性が見えてこない」

 紘太朗にもわからない。今欲しい物で、一番高価で、皆を納得させられそうな物を考えたとき、六法全書が頭に浮かんだだけだった。

「ちゃんとお小遣いあげてるでしょう……」

 母が横槍を呟く。

 そう、六法全書なんて小遣いを少し貯めれば買える。

 答えを間違えたことは、自分でもわかっている。

「あそこは……時給が良いから短期間で稼ぐにはいいと思ったんです。メイドカフェと言っても、制服がメイド服なだけで変な店じゃないですし……」

「山科、それを信じていいのか?」

 頷く。

「あんた本当は何か隠してるんじゃないの!」

「……隠してないよ」

 紘太朗は目を逸らした。

「そんな物のためにおかしな店で働くだなんて……」

 母が六法全書とモダンジャスを同時に蔑んだ。

「山科はもっと賢い判断ができる生徒だと思っていたが」

 失望したと言わんばかりの川田。

 ――たかがバイトでここまで言われるのか。

 だがその憤りは、胸の内で燻らせておくしかない。

 川田は母に向き直った。

「ともかく、風俗街でのアルバイトなど本校では前代未聞です」

「帰ったらきつく言って聞かせますので、どうか穏便に――」

 母は頷いているのか、頭を下げているのかわからなかった。

「ただちにお子さんのアルバイトを辞めさせてください。先日のテストの結果を見ましたが、成績にも明らかに悪影響が出ています――」


 滔々と続く川田の説教は、紘太朗の耳に入らない。

 説教に辱められながらも紘太郎の心の底はどこか安堵で満ちていた。自分の中で描いていた最悪の事態からは話の方向が逸れた。

 今は落胆よりも、しのぎ切った気持ちが勝っていた。

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