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舞姫、ストリップティーズ!  作者: 寒野 拾
15/42

15 第二作戦

     ♂

 

「最近スズメちゃんが明るくて嬉しいわあ。お仕事も順調みたい」

 夜二二時の遅い食事をもりもりこなした後、スキップを踏みながら階段を上がってゆくスズメの後ろ姿を眺めて、母が喜んだ。

 スズメのバイト先について、紘太朗は母に『友達の兄が経営するレストランでアルバイトを募集していた』と嘘をついた。風俗街のメイドカフェだと正直に説明できるわけなどなかった。

「俺たちがモダンジャズで働いていることは絶対に秘密だ」

 紘太朗はスズメにそう言い含めた。

 スズメは俺の友達の兄貴のレストランで働いている。俺は図書館で受験勉強をしている。夜道はスズメ一人じゃ危ないから、俺が図書館から迎えに行く。そう口裏を合わせることで二人は合意していた。


 ――一つ目の作戦は成功しつつある。

 紘太朗は夕食のしょうが焼きを食みながらほくそ笑んだ。

 一つ目とはつまり、スズメに餌を与えて山科家に飼い慣らすことだった。スズメはウチに来た当初よりずっと明るくなった。人生が楽しくて仕方がないという顔をするようになった。

 一方で、少し明るすぎやしないか、と紘太朗は疑問に思った。

 計画では、今の段階のスズメはちょっと苦しいはずなのだ。なぜならスズメは今、ストリップの厳しさというものを身をもって体験し、挫折を味わう時期のはずだからだ。

 ところがスズメはバイトの帰り道、ストリップの稽古のことを楽しげに話してみせる。結愛さんと仲良くなった。咲良ねえさんがバレエを教えてくれることになった。どうもスズメはストリップのお稽古を満喫している気がしてならない。

 話が違う、と紘太朗は思った。

 試しに亮を問い詰めもする。

『亮さん、本当にストリップの厳しさをスズメに叩き込んでくれてます?』

『う、うん』

 亮は頷いて、目を泳がせた。


 ――いかにも怪しい。

 けれど、そっちは亮に任せるしかないのだから、自分にできることを考えるしかない。

 一つ目の作戦の次には、二つ目がくるのが秩序だった。

「スズメを預かる話、あっちとは話つきそうなの?」

 紘太朗は食器を洗う母に、第二作戦の進捗状況を確認する。あっちとは勿論おばのことだ。食器を洗う母の手が雑になったのがわかった。

「あんたは余計な心配しなくていいの。大人の話に口を出すもんじゃないわ」

 心外だった。スズメの身を案じて陰で大躍動する山科紘太朗がここにいると知ったほうがいいと思った。

 ともあれ、交渉が上手く進んでいない、と察するには十分だった。「心配するな」のトーンが尖っている。問題なく事が進んでいるのなら、「心配しなくても大丈夫よ」と柔らかくなるはずだ。

「あんたはすぐ無駄に頭ばっかり回して……」

 母がぐちぐちと言葉を並べる始め、不快なスイッチに触れてしまったと知る。「スズメちゃんの思いっきりの良さとアンタを足して二で割ればちょうどいいのにねえ」そんな言葉を背に受けながら、紘太朗は逃げるように部屋へ向かう階段をのぼった。


 部屋に戻った紘太朗は、机に向かい、英語の教科書を開き、懲りずに考え続ける。

――第二作戦も進捗が思わしくない。

 紘太郎がこの第二作戦を捻りだすにあたり考えたのは、やはり愛猫マグナカルタの過去だった。

 食と住を満たされた迷い猫マグナカルタは、山科家で暮らすことを望んだし、山科家もマグナカルタがいることを望んだ。だが、迷い込むようにして家にやってきたマグナカルタを、このまま漠然と飼ってしまって良いのだろうか、という疑問が残った。真の飼い主がどこかにいる可能性があった。マグナカルタは山科家の一員であるという太鼓判が、法によって押される必要があった。

 そこで、紘太朗は母親と一緒に警察に行き、遺失物法(遺憾ではあるが、法において迷い猫は物――「逸走の家畜」として扱われる)にのっとり、マグナカルタを拾得物として届け出た。

 窓口の警察職員は、今後三か月間飼い主の名乗り出がなければ正式に所有権を主張できる旨を説明をした。マグナカルタの真の飼い主が現れることはなかった。やはり元々飼い主などいない野良猫なのかもしれなかった。

 しかしながら、スズメは違う。彼女には養母のおばという法的な親権者がいる。スズメにひとり立ちを迫っていたらしいおばが、スズメに帰還を強制するとは思えない。しかし、一族ではトラブルメーカーと呼ばれてきたおばだ。母と仲が悪いこともあるし、どんな難癖をつけてくるかわからない。万が一スズメを返せなどと言ってきたときに、スズメを守る法的な対抗手段が必要だ――。


――家族法にのっとって、スズメを山科家に迎え入れる。

 第二作戦とはつまり、スズメをこの家で法的に保護することだった。

 現実的な方法としては、スズメを山科家の「養子」にすることだ。

 養親の条件は、成年者(二〇歳以上)でなければならないとあるから、当然養親となるべきは両親ということになる――。

 ふと五年前の騒動が思い出され、紘太朗はため息をついた。

そもそも五年前、スズメの両親が亡くなったとき、一族でスズメを引き取るべきに立場にあったのは、経済的にも環境的にも山科家だったのだ。

 紘太朗の母方の親族は、祖父、三人きょうだいの長女である母彩花、次女のおば莉花の三人しかいない。祖母はすでに他界していたし、三人きょうだいの長男は亡くなったスズメの父親だ。スズメの母親には親族がおらず、その辺りの事情を紘太朗が教えてもらえたことはなかった。

 ともあれ、祖父は介護サービスに生活の一切を頼りながら、子の手は借りまいとする頑固者だし、おばは生粋のトラブルメーカーだ。それを考えたとき、当然山科家がスズメを預かってしかるべきだった。

 問題だったのは、当時、子宮筋腫を患った母が、患部の全摘手術を受けた直後にあったことだった。だが父と紘太朗が頭を悩ませたのはそれ自体ではなく、女性としてのアイデンティティを過剰に見失った母が、心の病を患ったことだった。紘太朗は母を見舞いに行った際、視点のぼやけた瞳で見つめられ「女の子が良かったのに」と、真顔で言われたりもした。夜、父がリビングでひとり頭を抱える姿も見た。婦人科から病院を移された母が、そこを退院できるまでには三か月もかかった。正直、当時の山科家は、事故で両親を失ったスズメを十分に慮ってやれる環境ではなかった。余裕がなかったのだ。

 誰がスズメを引き取るか――祖父の家、母抜きで行われた親族会議がどう展開したのかは、外でスズメと遊ぶよう命じられた紘太朗は知らない。葬式のように静まりかえった部屋の中から、おばが「普段は常識ぶってるくせに」と、怒鳴りながら飛び出してきたから、それは強く印象に残っている。当時はまだ存在していたおばの夫――その一年後に離婚した――が、みんなに深々と頭を下げていた。おばはスズメの手を強引に引いて車に乗り込んだ。


 それ以来、つい先日までの五年間、紘太朗がスズメに会うことはなかった。

「トラブルを防ぐためにも、スズメを養子にする法手続きをきっちり踏むべきだと思うな」

 そう提案した紘太朗に、「簡単に言うがな」と父が返した言葉――

「五年間スズメちゃんを養ってきたあちらさんの立場だって尊重する必要があるんだぞ。この五年間、うちがスズメちゃんに何をしてやったと聞かれたら答えられる立場にない」

 紘太朗にも返す言葉が浮かばなかった。自分だって五年間指をくわえて見ていただけだ。スズメの存在を忘れかけてさえいた。

「大人の話に口を出すもんじゃないわ」と母に言われてしまえば、第二作戦も両親に任せるほかないように思えた。自分にできることは何かないのかと脳汁を絞ってみるけれど、これといって見当たらない。

 あれ?

 自分は本当にスズメのために何かしてやれているのだろうか――


「こーちゃーん。パソコン貸してー」

 背後のドアがノックもなく開いて、紘太朗は我に返った。

 振り向くとスズメは茹でたての卵のように蒸気を噴いている。風呂上がりらしかった。

「ちょっと待って」と紘太朗は立ち上がり、テーブル上のノートパソコンをぱちんと畳む。「勉強中ごめんねー」と、スズメはテーブル脇の座布団に陣取った。

 同世代の女子が同じ家にいる。その環境自体に紘太朗は慣れつつあったけれど、五感を刺激される行動にはやはり惑う。それは何気なく触れる体の触覚だったり、今こうして部屋を支配しているシャンプーの甘い嗅覚だったりする。

 紘太朗はパソコンのバッテリーをコンセントから抜いて、マウスのケーブルと一緒に畳んだ。

「ネットでいつも何見てるんだ?」

 スズメは、バッグからはみ出した現代文の教科書を開いていた。

「ストレッチの動画を調べようと思って」

「ストレッチ?」

「うん。ストレッチはダンスの基本中の基本だからね!」

 スズメは教科書を無造作に放り投げると、唐突にショートパンツの脚を開いた。日常生活のふとした拍子に覗く際どい視覚も、紘太朗を惑わせるものの一つだ。んんん、と唸りながら開脚したまま体を前に倒すスズメ。今度はTシャツの胸元が開く。

「こーちゃん押して。背中、思いっきり押して」

 言われるがまま、紘太朗は後に回って背中を押す。背中の斜度が四五度になろうかというあたりで、前の方からぐええと声が出た。

「全然曲がらないじゃないか……」

「うん、それが問題だ」

 うー、とため息をついてスズメは体を戻す。バッグから今度は世界史の教科書を引き抜いた。

「やっぱりストリップなんて向いてないんじゃないか?」

 紘太朗は探りを入れる。

「ウチにいれば無理してストリップなんかやる必要ないだろ。カフェのバイト代だけで十分な小遣いになる」

「でも、こーちゃんちにずっとお世話になれるわけじゃないから」

 またそれだ、と紘太朗は思う。

「素直じゃないな。母さんたちだって、スズメがストリップなんかをやろうとしてるって知ったら悲しむ」

「さっきからストリップなんかなんかって……こーちゃん、ストリップティーズを見たことないくせに」

「ティーズ? 見なくても想像はつく。公然わいせつまがいのダンスを客のおっさんたちに見せなきゃいけないんだぞ?」

「……やっぱりわかってない」

 顔をそむけたスズメはまたバッグを漁りだす。取り出したのは、紘太朗が手慰みに読むポケット六法だった。

 六法をめくるスズメの不機嫌そうな横顔が、紘太朗には理解できない。いずれにせよ由々しき事態だと思った。ストリップの魅力は自分にしかわからないと言わんばかりのスズメの沈黙は、その道に嵌りこんでいる証拠にしか見えなかった。

「全然わかんないナー」とスズメは六法を放って、またバッグを漁り始める。

「……パソコンいいのか?」

「あ、そうだった!」

 スズメは数学の教科書をばちんと畳む。パソコンを抱えて立ち上がると、拍子にころげ落ちた有線マウスをかつかつ散歩させながら、「借りてくねー」と、部屋のドアを後ろ蹴に閉めた。

スズメの余韻を残しつつも唐突な静けさを迎える部屋。フローリングの床にはスズメが放り散らかした教科書が取り残されていた。

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