12 朝河結愛
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スズメが拾い上げたふわふわなものは、白いファーに包まれたうさ耳ヘアバンドであったうえ、あろうことかたれ耳だった。
「あの、これ……」
スズメは拾い上げたうさ耳を、うつむいているの持ち主に戻す。「ありがとぉ」と、受け取る手もふわふわしている。うさぎの手袋だとわかったのは、その人がうさぎを模したピンクのパーカーを着ていたからだった。
「ところで、誰?」
「昨日からここで踊り子見習いをしている天乃雀と言います! よろしくお願いします!」
「あ。昨日、リハのとき客席におった子や?」
「はい! 昨日のリハーサルを見学させていただきました! わたしは結愛さんのうさぎのダンスがとっても可愛いと思いました!」
結愛は「ふふ」と微笑むと、ふいにスズメに顔を寄せる。顔ちっちゃい。
「あ。おでこ腫れてるやん」
こっち来て、と結愛はぐいぐいスズメの手を引く。スズメが引き込まれたのは畳三畳分ほどの部屋だった。小さな和室。なすがまま花柄座布団に座らされ、部屋をぐるぐると眺めていたら、急におでこがひえびえした。
見ると、うさぎの手で器用に冷却シートを貼る結愛がいる。
「さっきからずっとキョロキョロしとるね」
「わたし、踊り子さんの楽屋を初めて見ました」
旅行用のキャリーバッグ、スーツケース、小型の電気ポット。仮眠用?の布団。うさぎのぬいぐるみが白桃二体、ヴィトンのポーチ、カールドライヤー、ハンガーに掛けられた三本線のジャージ、高そうなバスタオル、お裁縫セット、開きっぱなしのピルケース、無数の化粧品……所狭しと部屋に並んで、化粧台の大きな鏡がそれらを映し出していた。
「こんなにたくさん荷物があったら、楽屋が狭くて大変ですね」
「えー、全然狭いことあらへんよ。楽屋が個室の劇場なんてありえへんって感じ。楽屋って普通はみんなごちゃごちゃのたこ部屋やねん。そこでみんな一緒に寝るんやからもう大変。寝相の悪いおねえさんの足が、がつーんって頭に飛んできよったりな。まあそれはそれで楽しいねんけど」
「楽屋で寝るんですか?」
スズメの問いに、結愛は目を丸くする。
「ほんまに何も知らんのやね……」
哀れむように言った後、結愛は色々と教えてくれた。
踊り子は荷物を抱えて一〇日間隔で全国の劇場を転々とするのだということ。一〇日間隔なのは、ストリップ劇場は全国共通して一〇日で踊り子が入れ替わるからだということ。だからストリップの世界で「一週」と言ったら七日ではなくて、一〇日なんだということ。
「モダンジャズは二〇日で入れ替えみたいやけどね。まあ、近所の大手もそうやから珍しくもないんやろけど。ここはほんま環境良くて羨ましい。二〇日と言わず二、三か月おりたいわ」
「踊り子さんって、ホテルに泊まるんじゃないんですか……」
「ホテルになんて泊まってたらギャラ飛んでまうよ。家近い人以外はみんな楽屋で寝させてもらうねん」
傍らの布団をぽんぽんと叩く結愛。
結愛の話に、スズメは踊りながら街から街へと旅するジプシーを想像する。
現代に生きるジプシー――
「スズメちゃん今、あちこち旅行できてええな、とか思たやろ?」
「思ってません」
「嘘やん。だって目ぇ輝いてた」
スズメはごしごし目をこする。
新人のクセに甘いことを考えてると思われたら、いじめられてしまう。
「うそうそ。実は私もそない思うてた時期があってん……あ、お茶でも飲もか」
結愛はカップに紅茶のティーバックを入れてお湯を注ぐ。
「あの……結愛おねえさんは、どうして踊り子になろうと思ったんですか?」
結愛が元アイドルという肩書きを持っていると知って以来、聞いてみたかった質問だった。
憧れのアイドルの世界。
憧れのアイドルの世界だったのに。
「やだ、おねえさんなんて呼び方やめてや。私まだ二〇よ。結愛でオッケー」
結愛は笑う。
「ねえ、スズメちゃんはいくつなん」
「一六です」
「えー一六? マジ若いやん! ねえねえなんでストリップをやろうと思ったん?」
言葉に詰まるスズメ。
いくら相手が結愛とはいえ、他人にさらけ出すには抵抗がある過去だ。決して楽しい話にはならない。
どうかい摘んで話そうかと、スズメは逡巡する。
「ね。スズメちゃん」
先に口を開いたのは結愛だった。
「なんで踊り子になったかなんて、おねえさんたちに訊いたらあかんよ。理由は……説明いらんよね?」
スズメはうつむく。紅茶を啜りながら能天気にそれを訊いたわたしは、いったいどんなアホづらをしていたんだろうか。
スズメは想像しただけで、布団に顔を突っ込んで奇声を発したくなった。
「あの……わたし、結愛さんが元アイドルって聞いたからすごいなって思って、話を聞いてみたいと思っただけなんです」
すみませんでした、とスズメは頭を下げる。
「ちゃうちゃう。そない深刻なことちゃうねん。昔話はタブーのおねえさんも多いから気ぃつけてねってだけやねん。私は気にせえへんよ。それに私、アイドルって言うてもただの地下アイドルやし。大阪の地下アイドル。誰も知らんねん」
くすくすと笑って、結愛は紅茶を傾ける。
「地元の深夜番組の『地下アイドル特集!』みたいのんに一分だけ出たときが人気のピークやったかな。その程度やから結局行き詰まってん。他の仕事するにも私、高校中退の馬鹿やろ。ダンスは好きやったから、よしじゃあいっちょストリップでもやろか! って思ってん」
結愛の口調は明るい。でも芝居がかっている。
わたしと似ているのかも知れない、とスズメは思う。
だから、高校中退のダンス好き少女がストリップをやろうと決心するまでには、きっと複雑な経緯があったに違いない。
「――スズメちゃんもダンスが好きなん?」
「はい!」スズメは大きく頷く。「インターネットにダンスの動画をアップしたりもしてるんです」
「あ! 『踊ってみた』とか言うヤツやろ。昔、同じユニットの子がやってるの見てん。そっかあ。じゃあさ。今日はダンスの先生来るらしいから、スズメちゃんもダンス見てもろたらええんちゃう?」
「ダンスの先生、ですか?」
「そそ、モダンジャズは五日に一回ダンス指導の先生が来るんやって。あ!」
結愛の視線がスズメの後方で固まる。
なになに? と振り向くと――
「ダンスの前に、まずお前はごみ回収な」
――半開きのドアから覗く亮がいた。
「見習いのクセに、こんなとこで茶ぁしばきやがって!」
「だって亮さんがどこかに行ってしまったので――」
「うるせえ。あとシャワー室掃除とトイレ掃除もだかんな」
スズメは首根っこを掴まれて、楽屋からずるずる引きずり出された。