序~1
(序)
ストリップ、という言葉で天乃雀が連想するのは、露出多めの女性がステージの上でポールをぐるぐる回る光景だった。
暗く妖しい照明。さらにはだけられる衣装。拍手喝采の男たち。舞い踊るお札。ステージに立つ女性の踊りはさほど上手くはない。彼女たちは重要なのが踊りだなどとは考えてないからだ。ストリップ劇場の踊り子たちが、若くて可愛いという印象もない。
――そこでわたしの登場だ。
スズメは考えた。
「踊ってみた」動画では「マジ天使」「俺の嫁決定」と求愛コメントを貰うことも少なくないわたしであるからして、そんな一六歳でぴちぴちの踊り子が登場となれば、お客さんを魅了してしまうのは間違いないだろう。しかもわたしは踊りもおろそかにしたりしない。だって踊るのが大好きだから。わたしのように踊りを真摯に考える若い踊り子は、ストリップ劇場にはあまりいないタイプに違いない。
舞台に立つだけでお客さんが呼べる存在。
アイドル舞姫。
歌にも自信があるから、必要とあれば歌でも楽しませてみせよう。
もちろん、それだけで済まされるほど甘い世界だと思ってはいない。
――わたしだって下着姿になるくらいの覚悟はできている。
大勢の前で服を脱ぐのは抵抗があるけれど、そこはやはりストリップ劇場だ。いくらアイドル舞姫とはいえ、キャミソールの一枚も脱がなければお客さんは満足しないだろう。男性が女性の下着に著しく関心を示すのは、わたしとてよく心得ている。
「――そこでわたしの妥協案としましては、下着っぽくみえる水着を着けることです。グラビアアイドルがよく着けているやつです。水着姿で踊るのであれば、恥ずかしさは圧倒的に減ると思うんです」
スズメはそんな志望動機を支配人に熱く語った。
顔をあげた支配人は、少し恐い目をしていた。
(1)
♂
リビングの電話が鳴ったのは、山科紘太朗が高校から帰宅し、部屋で今日の復習と明日の予習を一時間で済ませ、『よくわかる民法・家族法編』を開いてからさらに一時間が過ぎたとき――手短に言えば午後六時ぐらいのことだった。
「もしもし、山科です」
「え? あー、あんた紘太朗? あの女いる?」
紘太朗は速やかに頭を回す。
あの女と言うのはウチの母のことだろう。なぜならこの家には母しか女性がいないからだ。ということは、母を「あの女」と呼び、かつ自分を声だけで紘太朗と判断できる女性――電話の主は、我が家とは絶縁状態にある母の妹、おばの天乃莉花に違いない。
そう結論を出した紘太朗は即座に、しかしむしろ冷静に、受話器をフックの上に置いた。
だが電話は再度ぷるぷる鳴いた。
「ちょっとあんた、ナニいきなり切ってんのよ!」
ぎゃあぎゃあと放縦されるおばの異議申立てを聞き流しながら、紘太朗は思案に暮れていた。
即座に電話を切られた意味がわからないとは、あまりに愚鈍ではないか。無言で電話を切ったのは、おばのそういった愚鈍こそが原因だったのだ。しかし考えれば、おばはその己の愚鈍さに気付かないほど愚鈍だからこそ、再度電話をかけるなどというつまらない行為に及んでしまった。つまり、自分はおばに嫌悪を伝える方法を間違っていた。おばが愚鈍であることを知りながら、意思を伝える方法として最も簡単な「言葉」というツールを選択しなかった自分こそが真の愚鈍だったのではないかと反省さえした。
「――ま、いいわ。よく考えりゃあの女よりあんたの方が都合がいいし」
いいんかい。と紘太朗は思った。
「ねえ、スズメがソッチ行ってない? なんか家出したみたいでサー、携帯にも出ないのよね」
スズメ。天乃雀。数年ぶりに耳にするいとこの名前。
来てない。紘太朗は淡泊に答える。おばは「そう」と少し消沈したようだった。
おばが仕事から帰ると、ちゃぶ台の上に『今まで本当にありがとうございました』と、藪から棒を突き出したような書置が残されていたのだという。そしてスズメの部屋を覗いてみると必要最低限の荷物が無くなっていた。家出の原因になるようなこと――喧嘩したとかは心当たりないんだけどぉ、とおばはあっけらかんと言った。
警察には届けたんですか。紘太朗は訊く。
おばはからから笑った。
「警察なんて冗談じゃないわよぉ。あたしこれから出かけなきゃだし」
素行不良のおばは、学生時代からよく警察の世話になっていたという。おばが「警察なんて冗談じゃない」というのは、その辺りからくる苦手意識なのだろうと想像がついた。
「あの子がもしソッチ行くようなことあったらサー、家出て行きたいってんなら別に止めやしないんだから、ちゃんと挨拶くらいしていけって言っておいてくんない? ウチはジユウホウニンっていうやつなの。アハハ。あとあたしから電話あったってことは、あの女には絶対伝えなくていいから。あんたで良かったわー、ホント」
そういう言い方はないだろう、と責めようとしたところで、電話は一方的に切られた。
紘太朗は自分の部屋に戻り、パソコンの電源を入れるや否や、検索サイトの小窓の上で「家出人 警察 捜索願」とキーを叩いた。捜索願の届け出はいとこでもできるのか、管轄以外の警察署でもできるのか、できるとすれば何が必要なのか――。
警視庁のホームページをあちらこちらと飛び回りながら、紘太朗は五年前に両親を亡くしてあのおばに引き取られた二歳下のいとこ――今はもう一六歳か――を、久しぶりに不憫を思った。
『家出て行きたいってんなら別に止めやしないんだから――』
おばはそう言っていた。
スズメは義理の母の家で、どれだけぞんざいな扱いを受けているのだろう。
おばの楽観的な態度は、実の娘ではないがゆえの無責任に思えた。多分スズメが家出するのは日常茶飯事で、だからあんなに落ち着いていられるのだ。
しかしその考えは単純過ぎるのかもしれない、と紘太朗はすぐに思い直す。
母と絶縁状態にあるおばが、わざわざウチに電話をかけるくらいなのだから、あのおばなりに焦ってはいるのだろう。いや、むしろ非常事態なのかもしれない。おばがウチに電話してきたことなど今までなかった。電話の言いぶりを思い返せば、スズメの家出は初めてとも取れる言い方だった。
初めての家出だとすれば、スズメはどんな思いで家を出たのだろうか。
――スズメは本当は探してほしいのかもしれない。
何かから本当に逃れたいのであれば、わざわざ書き置きなど残さない。自分の存在意義を見失った少女は、誰かに必要とされることを極端に欲するという。その欲求を下種な男に嗅ぎつけられ、いかがわしい世界に堕とされ、骨の髄までしゃぶりつくされる哀れな少女が世の中には数多く存在するらしい。そんなドキュメンタリー番組を紘太朗は見たことがあった。
紘太朗は闇の世界に墜ちていくスズメを想像した。全裸だった。まるで天真爛漫の権化のようだったスズメ。彼女の口癖だった「まあなんとかなるよ」の精神で、知らない道を突き進みよく迷子になっていたように、今度は人生の迷路に嵌りこんでしまうのではないだろうか――。
警視庁のQ&Aによると、捜索願の届け出――行方不明者届は親族でも可能らしかった。だがいなくなったときの事情を色々と尋ねられるらしいし、本人の特徴を詳細に尋ねられるらしくもある。写真があればなお良いともあった。届け出はやはりおばでないと難しいのかもしれない。それに未成年者である自分が届け出にいったところで、警察は相手にしてくれるだろうか。
――未成年だからと言って、法律家を目指す身の自分が舐められるわけにはいかない。
理論武装の必要性を感じた紘太朗は、ネットで見つけた『国家公安委員会規則第一三号・行方不明者発見活動に関する規則』に法手続きの規程を認めて、頭に叩き込むと同時に、念のためそのページを印刷してボディバッグに潜ませた。
「あら、こんな時間にどこに行くの?」
玄関で靴を履いていると、役所勤めの母がちょうど帰ってきた。
そんな時間かと、腕時計を見ればすでに一九時を指している。
「うん。ちょっと行方不明者届を出してくる」
ごく自然に答えて玄関を出ようとすると、紘太朗は母に首根を掴まれた。