序章 さあ、無理ゲーを実況しよう。
―― この会話は、あるボイスレコーダーによって録音されたものである。
(ノイズ)
「 …… って事でさぁ、実況やろうよこれ。三人で! 」
若い男の声が興奮気味に弾んだ。
その奥で不特定多数の声がノイズとなってさざめいている。
中にかすかに混じるオルゴールのような音楽、時折耳を打つ金属音で、ようやくそこがカフェかレストランであると分かる。
相槌打つようにカランと鳴ったのは氷のぶつかる音か。
続けて答える声は、先ほどの声より一段と低いバリトンだった。
「いや、やるっつったってよ……。誰もクリアできてないんだろ、そのクエスト。実況プレイっていうか、そもそも俺らで攻略できんのか? 結局挫折して失踪とかシャレになんねぇぞ」
実況プレイ。
それは市販・フリー問わずゲームをプレイしている様子を、文字通り「実況する」動画の配信形式のこと。
無料の動画投稿サイトが全国の若者に浸透した現在、ゲームの楽しみ方はもはや自分でプレイするだけではない。
他人がプレイしたゲームを見ることもまた、一つの娯楽と化しているのである。
投稿されたゲームの実況動画を見て自分のプレイの参考にしたり。自分がプレイすることなくゲームのストーリーを見たり。
果ては達人の域に踏み込んだ実況動画すらある。
それらを笑うも感動するも、また一つの楽しみ方である。
そして彼らはそんなゲーム実況プレイ動画を投稿する、いわゆるゲーム実況者なのである。
「もー分かってないなぁ、くにひこ君は!」
快諾を渋るバリトンに、最初の青年が熱っぽく訴える。
「誰も攻略してないからやる価値があるんだって!無理ゲーですよ、男のロマンですよ!ここで立ち上がらなくちゃ男じゃないでしょ!これで初攻略できたらさー、むちゃくちゃ格好良いじゃん! 高視聴率間違いなし!」
「そりゃそうだけど、まず現実的な問題だっつーの。これまでどんだけあのクエストで猛者達が散ってると思ってんだよ。だから無理ゲーとか言われてんだろうが」
「諦めたらそこでし……!」
「言わせるかっ」
くにひこ、と呼ばれたバリトンの持ち主は素早く青年を遮った。
諭すように続ける。
「そりゃ俺だってそこそこゲーマーやってるから腕に自信はある。お前らだってそうだろ。だからこそ分かるだろうが。挑戦して盛り上がるか、グダグダになってつまらんプレイになるかぐらいはな」
青年がむー、と唸る。
ストローでグラスをしきりに掻き混ぜているらしく、ガラガラと鳴る音がしばらく響いた。
やけっぱちな氷の音の合間を縫って、少女の声が静かに滑り込んだ。
「私は面白そうだと思いますよ」
「ハルミちゃん…!」
「根拠は?」
落ち着きを払った賛同の言葉に、青年は歓喜の色を滲ませ、くにひこは即座に問い詰める。
くにひこ本人に攻撃の意志はないのだろうが、不機嫌なブルドックを思わせる低音がどうしても刺ついて聞こえる。
しかし少女は全く意に介さない様子で淡々と告げた。
「問題の無理ゲーは、夢堂タクミ監修の唯一のオンラインゲームだからです」
「は? そうだったか?」
「えぇ、間違いありません」
【夢堂タクミ】
ゲーム業界では知らぬ人のいない天才ゲームプロデューサー。
主に RPG の制作に関わっており、その緻密な計算式、複雑なプログラム構造、吟味し尽くされた高度な演出は他から群を抜いている。熟練のプレイヤー達を唸らせる傑作をいくつも生み出した、まさに「ゲーム界の神」とも呼べる人物である。
「夢堂タクミは『難しいゲーム』は作りますが『不可能なゲーム』は作りません。クリアできるかできないか、楽しめるギリギリの一線を熟知したレベル設定が夢堂タクミの癖ですから。だとすれば必ず、どこかにクリアできる要素があるはずです」
「つまり、今までの挑戦者たち全員がフラグを見落としていた……?」
「可能性はあると思いますね。少なくとも、挑戦する価値は十分かと」
「うーむむ」
「ねっねっ! やっぱやろうよ!」
仲間を得た青年が畳み掛けるようにくにひこを促す。
「……ジェイ。お前やけにこのゲーム推すな。なんかあんのか?」
「え? あ、いや、その……べ、別に〜? 何でもないよ、っていうか……」
「あるんだな」
「あるんですね」
「う……」
「よし、吐け」
がたんっと突然鈍い音が響き、やがてジェイ青年の悲痛な叫びをマイクが拾った。
「あ、いたいいたい!ごめん、ごめんって!ギブギブ!ちょ、くにひこ君締めすぎっ!」
「マシンジム仕込みの筋肉舐めんな。それで?」
「あうぅ……、実はさぁ、この超難関クエスト、あんまりに誰も突破できないから、運営から初回攻略者に報酬出すってゲーム利用者へ通達が……」
「んなっ」
絶句。
「……い、いくらだ?」
「えっと、0が六つほど?」
「…………」
すぐそばを子どもの甲高い笑い声が通っていった。
ふうっと誰かが息をつく。
「やるか」
「やりましょう」
財布の中身の問題は誰しも抱えているものだ。
話はまとまったようだった。
(ちょうどここで注文していたデザートが届いたので、編集にて割愛)
「それで、やると決まった訳だが。お前ら当然ブレイバーズ・アドベンチャーオンラインのアカウント持ってるんだよな?」
【ブレイバーズ・アドベンチャーオンライン】
五年前に開放されたクエスト攻略型オンラインゲーム。今年4月現在、運営調べで利用者数三百万を超えた。 PC ゲームとしては〈新感覚操縦機〉を導入した ばかりの時期の初期型ではあるが、新クエストの追加や定期的なイベントの開催により未だに多くのファンから支持を得ている。通称・ブレバ。
【 新感覚操縦機 】
「想像」を意味するラテン語、「 idea =イデア」から命名された新時代型コントローラー。
ヘッドセットの形をした装置を頭部に装着する事で、脳波を電子情報に変換し入力できる。念じるだけで画面操作を可能にした。現在のPC ゲームでは主流のタイプ。
「嗜み程度でしたら」
「俺も〜ソロで実況したデータなら残ってる」
「十分だ。ブレバはプレイヤースキルでゴリ押しできるからな」
「あ、それでご相談なのですが」
ハルミがふと思いついたように提案した。
「全員レベル1から始めませんか?」
「マジか……」
くにひこは呻く。
「レベル1って、え? まさかチュートリアルクエストから始めるの?」
「えぇ、純粋なプレイだけなら手持ちのデータで十分でしょうが、我々がやろうとしているのは実況でしょう?ブレバを遊んだ事がない視聴者も見る訳です。やはり簡単なルール説明等は配慮すべきでは」
「そりゃそうだがなぁ」
くにひこが苦々しく答える。
「お前、今から挑戦するのは未攻略クエストだぞ?今のデータでも厳しいってのに、レベル1から始めるって、ただの自殺行為じゃねぇか」
「いえ、それがそうでもないのです。現在のブレバは、新たに参入する初心者用にアバター補正機能を採用しています」
「アバター補正……なにそれ?」
「要するに、初期のパラメータをアバターごとに自分で設定できるのです」
訝しげに尋ねるジェイにハルミが説明する。
「昔はプレイ開始時の腕力や敏捷などのパラメータは一律でした。腕力は装備武器や近接系攻撃のダメージ量に関わります。敏捷は言わずもがな、敵の攻撃や罠を回避するのに参照される数値です。
従来は初期設定の5から、レベルアップや装備によってこれらのパラメータを上げる事ができました、ここまでは良いですね?
このパラメータの初期値を、現在は自分仕様に上げ下げできるのです」
「そうなの !? 」
ジェイは素っ頓狂に声を高くした。
ガシャンッという音と共に、「スプーン飛ばすなよ汚ぇ!」というくにひこの怒鳴り声も混ざる。
「対象のパラメータは腕力と敏捷の他に、体力、知恵、魔力、魅力の六項目。つまり30ポイントを各項目に好きに振り分けられるのです。
極端な話、魔力に全振りすればいきなり高位魔術を放てたり、腕力や体力を中心に振り分ければ初心者でも中級騎士並の戦力に化けたりする事があるという訳です。初心者と上級プレイヤーとの差を埋める為の運営側の配慮でしょうね」
「あーなる」
「上限が30ポイントか。成長の方向性さえ最初に固めておけば、レベル1でもそれなりの戦力が見込めるな……。他はプレイヤーの腕によるのに変わりはないけどよ」
「そこは皆さんを信頼します。特に今回は私たち三人で挑む事になるので、パーティのバランスを考えて不足分を補い合えば、そこそこの強敵でも渡り合えるかと」
「本心は?」
「無理ゲーをレベル1でクリアできたら、すごく恰好良くないですか?」
「実質、縛りプレイじゃねーか !? これ本当にクリアできんだろうな!?」
「あ、ぼく! スパイやりたい! 職業スパイ!」
わめくくにひこを他所に、ジェイは早速希望を挙げる。
「ほう、最近登場した新しい職業ですか」
「そうそう! ずばーんって罠解除したり、〈無音歩行〉スキルで敵不意打ちとかしてみたい!」
無邪気に語るジェイ青年に、ハルミが重々しく告げた。
「残念ながら、ゲーム開始時に選べる職業は決まっています」
「なん……だと」
「チュートリアルクエストの制限だと思いますが、最初は必ず傭兵、騎士、魔術師、聖職者、盗賊の中から選ばなければなりません。それに、職業スパイは期間限定イベントをクリアしないと手に入らないはずです」
「 特化が攻撃 か 防御 か 魔法攻撃 か 回復 か 補助スキル か、ってとこか」
「うぅ……じゃあ、盗賊で」
「盗賊とスパイは確か主要パラメータが同じですからね。妥当だと思います。
私は回復役にしますか。後方支援担当で」
「まあ、傭兵だろうな。誰が収録する? 全員実況経験者だから、デスクトップキャプチャーくらい持ってるだろうけどよ」
【デスクトップキャプチャー】
パソコン画面で再生されているゲーム画面や音を録画・録音するソフトウェア。
「オンラインでの実況は流石に初めてですからね……。
プレイ場所は各自の家として、音声はボイスチャットでしょう?
やはり録画と録音は分担しますか?」
「その方が無難だろうな。後々編集する時に便利だし」
「ブレバってホログラムディスプレイ推奨でしょ? 次元変換ソフトなら、ぼくが以前に使ってたヤツが使えると思うよ」
【ホログラムディスプレイ】
ディスプレイに内蔵された小型投影機により、画面の映像を空間に映し出す第二の画面。
従来の 3D とは異なり、あくまで 2D の映像がディスプレイから数センチ浮かび上がって見える事から 2.5D 、または半立体映像などと呼ばれる事がある。 3D 酔いしやすいユーザーからも高い評価を受ける。
ホログラムディスプレイの導入により、フレームを超えたパノラマ映像の鑑賞が自宅で行えるようになった。主にパソコンやテレビに搭載されており、設定によって自由にオンオフができるようになっている事が多い。
【次元変換ソフト】
ホログラムディスプレイの導入に遅れて作成されたソフトウェア。
録画した半立体映像を元の 2D 映像へ変換する事ができる。ゲームの実況プレイを撮影する際に主に使用される。
「ずいぶん普及が進んだとはいえ、パソコンがホログラムディスプレイ非対応のままの視聴者も多いですからね」
「視界が一気に開けて、目がおっつかないもんねぇ。臨場感はばっちりなんだけど、慣れるまでがねー」
苦笑するジェイ。以前やったというブレバのソロ実況は、問題のホログラムディスプレイを使ったテストプレイのようなものだったと説明した。
「じゃあ録画はジェイに任せるか」
「あ、でもぼくのソフト、動画と音を別録りするやり方知らない」
「後で音だけを差し替えられるので問題ないですよ。
録音は私が担当しましょう。後日ボイスチャットの録音テストがしたいので、お二人の空いている日時とハンドルネームを教えてください。
パソコン内蔵のマイクで問題ないはずですが、一応予備のスタンドマイクでも試しておきたいです」
「おけおけ」
「了解だ。なら、編集は俺だな。
念のため、各自の実況設備教えてくれ。ソフトや使っている機器によっては互換性がないもんもある」
「えーっと、ぼくが使ってる録画ソフトはねぇ……」
「あ、ジェイ。ちょっと待ってください」
「え?」
「何だそのボイスレコーダーは !? いつから録ってた、ハルミ !? 」
「もちろんお店に入ってからです」
「消せぇぇぇぇっ !? 」
(……以降、三人のプライバシー情報を含む可能性がある為、録音停止)
駄文職人です。
ちょっとずつ上げていけたら、と思っています。
お目汚しですが、どうぞ宜しくお願いします。