仕事1
「この条件でよろしいでしょうか?」
爽やかな男との対談は思いのほか早く済んだ。
「はい。それでは、これからそちらに向かいます」
何故なら、報酬がべらぼうに高かったからだ。
とある少女の護衛。
その人物に対する質問も許されず、また、仕事中に見た事に関しては口外できない といった簡単な条件だ。
後は普通の人身警護。
引き出しの中からメモ帳を取り出す。
暇な時に書き溜めていた短編だ。
「エマ」
呼んで一秒も経たずに、床から生えてきた。
にゅん、という効果音でも出そうな生え方で、普通に気持ち悪かった。
メモを彼女へ放り投げる。
「まいどどうも」
そして、メモを読まずに食べた。
「なかなかのお手並みで」
「仕事だ。できれば床から生える以外の方法で目的地まで送って欲しいんだけど」
「場所」
地図を広げて目的地を指す。
次の瞬間、視界が揺らいだ。
出てきた時、その場の空気は凍り付いていた。
「エマ」
「まだくれるの?」
「いや…」
昼間なのに薄暗い。
この空気、おそらく地下だろう。
気付いたら黒服たちの真ん中で、20人程に囲まれていた。
しかし、そんな事よりも。
床から生えるのは確かに嫌だった。
「天井から生えるのもできれば遠慮したかったんだけどな…」
静かに呟くが、エマは表情を変えない。
立体駐車場には黒塗りのリムジンが停まっていて、その中に中学生程の少女が居る。
金髪碧眼に人形のような顔立ち。
表情には気品を感じられ、ゴシックな服はさらに人形のような見た目に拍車をかけていた。
問題は、天井から生えた自分達が、リムジンの上に出てきてしてしまった所にある。
そして、どういった理屈かリムジンの屋根をすり抜けて、後部座席の少女を挟み込むように腰掛けてしまっていた。
黒服達は胸元に手を入れる。
内心焦りながらも、名詞を少女に渡して、言い放つ。
「あなたの身の安全を保障させて頂きます。椿と申します」
少女は緊張を解かずに、
「そういう事でしたか。常識の無い方達ですね」
車の外の黒服達は胸元の手を戻した。
「後は大丈夫です。下がりなさい」
その一言で、黒服達は礼をして車から5歩程下がる。
「出して」
黒塗りのリムジンが静かに走り出す。
「どこに向かうんだ?」
「ホワイトハウス」
「くだらない冗談はエマだけにしてくれよ」
「やっぱりそういう扱い?」
「うれしそうだな」
「割と」
「私を挟んでイチャイチャしないで貰えますか?」
不機嫌そうに少女が言う。
というか明らかに不機嫌。
「ホワイトハウスなんだよねーはいはい」
面倒なので、軽くあしらう事にした。
30分後。
三人は官邸に到着していた。
「ごめん」
「私の語彙が足りなかっただけですから。それと許しません」
「ほら!エマからも何か言ってやって!」
「金髪ちゃんが許さなくても、私は椿を許すよ」
「ありがとう。意味わかんないけどありがとう」
「私は許しませんけどね」
あの後車の中でかなりおざなりな扱いだったのを根に持っているようだ。
「護衛はここまでで結構よ。じゃあね」
と彼女が歩き出そうとした時。
エマが反応した。
何かに反応して、こちらに少女を突き飛ばす。
辛うじて、アスファルトが抉れるのが確認できた。
そのまま彼女を抱きとめて、二人まとめて移動させられた。
その間僅か1秒。
エマが運転手を保護する為に動いているのを確認できたと同時に視界が捩れた。
気付いたら、公衆トイレの個室。
恐らく官邸の近くの公園のものだろう。
咄嗟の空間移動なら、目視できる範囲までしか飛ばせない。
「便器から生えるなんてできれば一生経験したくなかったわ」
「こちとら週一だぞ」
「知らないわよ。なんでわざわざトイレに飛ばしたの?」
「空間移動には条件があるんだ。四方が壁に囲まれている事と、現れる時なるべく人目につかない事。それと、近くに水があると安定するらしい」
「通りでさっきは車の中に現れたのね」
「君を挟むように現れたのも、君の体内の水分を利用して座標を安定させたかったんだろうね」
「で、どうするの?」
「しばらくは動かない方がいい。エマも転送先分かってるだろうし、安全になったら迎えに来るさ」
「空間移動なんて初めて経験したわ」
「初体験のお相手が僕で恐縮だよ」
「しかも公衆トイレでなんて」
「思いのほか好みのシチュだった」
「同意しかねるわ」
「同意の上では無かったのか。燃えるな」
「あなたも十分くだらない」
「あいにくウィットに富んだ話題なんて持ち合わせが無いもので」
「十分湿った話題だったけどね」
「便器から生えたんだぞ。そりゃ湿った気持ちにもなる」
「それには同意できそう」
と、突然空気が変わる。
「来たな」
何が、なんて聞くのは野暮だと彼女も理解しているのだろう。
この状況でこの個室に来るのは、敵かエマかしか居ない。
これだけ殺気を振りまいているなら後者はまず無い事くらいは誰でも分かる。
「見上げた空にはいつも虹が掛かっていた。形の無いものに憧れて、手を伸ばしても届かない物を追い続けた。それはいつしか安心に変わり、達成できない目標を諦めと惰性をもって追い続けた。いつしか彼は気付くだろう」
「ちょっとどうしたの突然」
「虹なんて見えていなかった」
次の瞬間、便器からにゅ、とエマが生えてきた。
「そのオチは無い」
「悪いな、即興は慣れてないんだ」
トイレから足音が遠ざかっていく。
「何?今の?」
「エマを呼び出すのと、彼から見つからないようにする為の詩みたいなものだよ。”虹”は僕達、”形無いもの”はエマ。”彼”はさっきの足音。虹と形無いものを同列に語る事で同じ空間に呼び出して、虹をがんばって追い求めたけど絶対手が届かない、みたいな状況を作り出す。錯覚だけどね」
「15点」
「厳しいな。エマ」
「そこは妥協できない所。私の存在にかけても」
「エマの存在か。そこまで重要なファクタじゃないな」
「安定のこの扱い」
「早く出ましょう。こんな個室に三人も入って居心地最悪よ」
「私はそうでもない」
「僕もそうでもない」
「あんたらトイレ好き過ぎでしょう!私は出るわよ!」
「個室って落ち着くよね」
とエマ。
「話を聞けええええ!」
「まあちょっと待てよ。さっきの詩の効果範囲はせいぜいこのトイレの中。エマに安全な場所に転送してもらおう」
「どこのトイレ行く?」
「トイレはやめて」