学園長
この世界には、Unknownと呼ばれる物が存在する。
物では無いかもしれない。概念としてそういったものが存在しているだけかもしれないし、概念ですらないのかもしれない。
有機物か無機物かも判断がつかない。
形も不明瞭である。
そういった招待不明のエネルギー、又それが集まってできた"個"の事をUnknownと呼ぶ。
人と同程度の思考能力と、人智を超える力を持ちながら、
彼らは自力で何かを創造する事ができない。
故に、人が及びもつかぬ力を保持していながらも、
何かを生み出す人に付き従う事がある。
それは、画家であったり、音楽家であったり、小説家であったり。
Unknownの欲求を満たすという条件さえクリアしていればどのような者でも構わない。
彼らが付き従う人。
Unknownと契約をした人間を、人はアーティスト、もしくは契約者と呼ぶ。
契約。
それはUnknownがアーティストを縛り付ける為に行うものだ。
その名の通り正体不明の力でもって契約者を縛り付ける。
それには、副次的効果を伴う事が多い。
寿命が延びたり、空を飛べたりが大半を占めるが、中には服が透けて見えたりなんてものも。
また、複数の効果が伴う例も確認されている。
契約は、アーティストを縛り付けると同時に、Unknownも縛り付ける。
一般的にその代償は大きく、ひどいものになるとアーティストに絶対服従だったり、アーティストの死亡時にUnknownも消滅するといった例も確認されている。
また、Unknownに姿形は存在しない。
契約済みのUnknownは契約者の望みの姿を取る事が多い。
Unknownは嘘をつく事ができない。
その一説には、嘘も作り話、創造とみなされるからだとされている。
と、ここまで一気に教科書を読み上げる。
そこは、古びた教室だった。
学校や病院等の大きな建物を除いて、木造が一般化してきた昨今、完全にレンガのみで構成されたこの建物は過去の遺産であり、遺物でもあった。
ふと、視線を窓の外へ向けると、咲き始めの桜が見えた。
まだ肌寒い訳だ、とコートを羽織り直して視線を生徒達へ向ける。
すると、期待を帯びた多くの眼差しがそれに答えた。
ここはレイビス高等学校音楽科だ。
国内でも大手のアーティスト養成学校で、中学から大学までエスカレーター式に進学できるようになっている。
アーティストとは、Unknownという特殊な存在と契約を結んだ芸術家の事を差し、彼らはUnkonwnを従え、あるいは共存し、この世界で行きている。
この養成学校内でも、アーティストとなれるのはほんの一握りで、学年で10人いればいい方。
その他大勢の生徒は普通の芸術家となるか、別の職業につく事になる。
今読み上げている教科書は、恐らく何度も何度も読み上げられた事だろう。
中には暗記している者だっている筈だ。
しかし、そんな話を繰り返しているのにも関わらず、少年少女達の目にはどこか期待の色が伺えた。
それも、自分がその数少ないアーティストとしてここに立っているからだろう。
尊敬、畏怖、憧れの眼差しを受け、溜息をつく。
「こんなカビの生えた教科書なんてもう読まなくていいよね」
教科書を真上に放り投げる。
空中でグニャリと形を変えて。
少女の形となって着地した。
生徒達が驚きの声を上げる中、少女はそちらには目もくれずに僕の方へ抗議の声を上げる。
「カビが生えたなんてひどい」
驚くほど無表情。
肩まで伸びた髪は漆黒。
背丈は150あるかないかだろうか。
愛くるしい姿だが、その細い体に恐ろしい程の力を秘めている。
「冗談だよエマ」
「冗談じゃなかったら殺してたわ」
「…」
「冗談よ」
ざわめく教室に向き直る。
「こいつが僕の契約しているUnknownだ」
「エマです」
「こんな風に、ある程度自由に姿形を変えられるし、質量を無視した変化も可能だ」
一瞬で、エマは一番前の席の女子生徒と同じ姿になり、その子と至近距離で向かい合っていた。
栗毛に丸い瞳をした、かわいらしい少女だ。
それが二人見つめ合っている姿は、色々そそられるものがあった。
当然生徒達の目線は彼女らに集中する。
それを遮るように、説明を重ねた。
「見ての通り、人とは違う動きを、認知できない速さで行う事もできる。見た目こそ人の形をしていても、全く異なる存在である事を忘れちゃいけない」
少し怯えた表情の女子生徒に無表情な女子生徒の姿をしたエマが話しかける。
「心配しなくても、とって食ったりはしないわ」
その姿がグニャリと曲がって元の少女の姿に戻る。
「何か擬態してほしい物とかあるか?」
生徒達に問いかけると、一人の男子生徒が消しゴム、と呟いた。
「エマ」
「嫌」
「消しゴム」
思いっきりこちらを睨んだ後、空間がグニャリと曲がり、手のひらに消しゴムが残った。
と同時にチャイムが鳴る。
「それじゃ」
手を振りながら、まだ肌寒い廊下へ足を向けた。
ポケットの中の消しゴムを握りながら考える。
人間に擬態して間もない固体は、感情表現を苦手とする傾向にある。
しかし、彼らに感情が無い訳ではなく、人の感情表現方法が分からないだけだ。
というのが持論なのだが、やっとそれが証明されつつある。
最近、無表情なエマにもほんの少し表情が見え隠れしてきたのだ。
これはきっと喜ぶべき事なのだろう。
そのまま、学園長の部屋へ向かう。
給料を貰う為だ。
今まで3回程、頼まれて授業を代行しているのだが、一度も報酬を受け取っていない。
そろそろ暴れてもいい頃だ。毎回こちらか足を運んでいるのに、一度も顔を見せてこない所も腹が立つ。
この学校、レンガ造りの古風な校舎なのに、ほとんど傷んだ様子が無い。
ゆうに100年は経っているはずなのだが、これもUnknownの技術を使っているのだろうか。
仮にそうだとして、校舎全体に影響を与える能力なんて見当もつかない。
しかもそれを何十年も維持していると考えると、非現実的だと思える。
それを実現する”何か”があるのは確かなのだが……
分厚い木の扉をノックして、
返事を待たずにそのまま開けた。
「ちょっとまったあああああああ!」
老人の声が響き渡り、もの凄い力で扉が閉じられていく。
本気で押すが、老人の方が優勢だ。
扉が閉じられる直前、消しゴムをドアと床の間に挟む事で、扉が完全に閉じられる事を防いだ。
「エマ!」
しかし消しゴムは動かない。
「あいつ……」
その均衡状態を保ったまま、10分。
ようやく学園長室の中に入れるのだった。
「よう学園長もどき」
「ま~た来たのか若造。お前のお陰で最近体が鍛えられて仕方が無いのよのう」
そこに居たのは、白い髭に180cmはあろうかという巨体。引き締まった体を見ると、確かに鍛えられているようだ。
しかし断じて僕のせいではない。
日頃から喜んでダンベルを持ち上げているであろう、そういった類の美しく機能的に鍛え上げられた筋肉だ。
白髭の老人は、学校のパンフレットに乗っている学園長の姿そのものである。
実際に教師と顔を合わせたり、生徒の集まる集会なんかに顔を出すのもこいつだ。
しかし、これは学園長ではない。
「本体は?」
「障りがありましてのう。誰ともお会いできぬのじゃよ」
グニャリ と突然空間が歪む。
そこにはゲンナリした(ように見える)エマの姿があった。
丁度擬態を解いた所らしい。
「さっきはなんで呼びかけに答えなかったんだ?」
「何も聞こえなかった」
学園長もどきがニヤニヤしながら
「消しゴムには耳も目も無いからのう。聞こえない指令に関しては反応できなくても仕方が無い事よ」
「またひどい扱いされてた?私」
「ドアのストッパーn」
「待て待て!さすがにそれは言わない方が幸せだって!」
「切ない事よのう」
「私切ない」
エマの頭を撫でながら、学園長室の奥へと足を運ぶ。
突然、違和感を覚えた。
「エマ。そいつ足止めしといて」
次の瞬間、学園長室の中央に鉄の壁が生えてきた。
僕は奥、エマと学園長もどきは手前に分断される形で。
右手と左手に本棚。
真ん中に大きな窓があって、学内の敷地を一望できるようになっている。
しかし、この向きに果たしてグラウンドはあっただろうか?
小さな違和感だが、若干向きが違うような気がするのだ。
真っ直ぐ歩いていく。
窓を目前にしても、速度を落とさずまっすぐ進み、
”窓をすり抜けた”
奥には小ぢんまりとした部屋があり、天蓋付きのベッドがひとつ。
その上には、全裸の少女が座っていた。
衝撃に目を見開き
「うそ…」
とか呟いている。
しかし、それも一瞬の事で、3秒も経たずに布団にくるまって頭だけ覗かせている状態に移行した。
そのせいか、どれくらいの年なのかは判別しずらい。
しかしまあ、高校生くらいには見える。
見えるのだが、
布団から銃口が覗いているのに気付いて横に飛ぶ。
パン、と乾いた音と共に、後ろの鏡が砕け散る、
少女がじっくり照準を合わせる。
「エマ!」
叫んだ瞬間、手のひらに消しゴムが。
「そうじゃねええええええ」
狭い室内に乾いた音が響いた。
結論から言うと助かった。
何故か何度引き金を引いても銃弾は消しゴムに当たり、消しゴムに当たった銃弾は、ありえない事に兆弾して持ち主の所へ跳ね返っていった。
布団に吸い込まれた銃弾は、これまたどういう訳か少女へダメージを与える事無く、玉切れをもって攻撃は止んだのだった。
僕はニヤニヤしながら、エマが化ける教科書を読み上げる。
一時間前に読み上げた節だ。
>>それには、副次的効果を伴う事が多い。
>>寿命が延びたり、空を飛べたりが大半を占めるが、中には服が透けて見えたりなんてものも。
「まさか、契約者御本人の服が透けるとはねぇ」
「やーめーてー!」
「エセ学園長はUnknownが化けてたのか。あーすっきりした」
「見えた…?」
「ガッツリ見ましたよ。いい体してらしゃる」
「わしの事かな?」
「あんたじゃねーよ、いや確かにいい体だけどあんたじゃねえよ」
「やはり殺すしかないのでしょうか…」
「いや、待ちなされ。あなたの事を知る数少ない人間となり得るのではないかの?」
「口外されては困ります」
「口外した所で誰も信じはしまいよ」
「いい体のお二人さん」
「忘れなさい」
「忘れない代わりに口外しない事を約束するよ。また暇な時遊びにくるわ」
目の角度が釣り上がっていく。
「来なくて結構」
「またきなされよ」
「ガリム!」
「はいはい、切ないのう」
いつの間にやら、人の姿に戻ったエマが呟く。
「ガリム切ない?」
「いやあんたの方が切ないだろうよ」
ガリムは心からそう言っているようだった。