第八十九話 “行き遅れかけ”
「身体強化、最大発動!!」
行き遅れかけの女魔族から逃げる為、最大の切り札である身体強化を発動。
本来の使い方ではないが、仕方無い。
腐れた駄女邪神の呪縛により、倒せたとしても止めを刺せない以上、戦闘するのは時間の無駄だ。
さっさとこの場から離脱して、次のモンスターを探した方がいい。
『身体強化発動開始。発動時間は六十秒』
蒼い光に包まれ、一気に加速。
この速度なら、何とか逃げ切れるだろう。
『……五十八……』
遠ざかっていく“行き遅れかけ”を見て、そう判断する。
それにしても、腐れ甲冑に複数の事を同時にこなすという芸当が出来たとは。
『失礼な事を言いますね、主。私にとって、この程度は当然の事です。……五十五……(父様にお願いして、主に今まで以上のお仕置きが出来る様にしてもらわなければ)』
「逃げられると思ったの?」
上から聞こえる、俺を嘲笑う様な声。
視線を向けると、黒い翼を生やした鎧が俺の真上を飛んでいるのが見える。
「なっ……飛んでいるだと!?」
『……五十三……』
驚愕する俺に、追い討ちを掛ける様に言葉が続く。
「貴方を逃がさない為に、色々準備したのよ。それを無駄にする気はないわ。“軍団・盾騎士”!」
何かした様だが、真上を飛んでいる奴に変化は無い。
魔族だからと、過剰に警戒し過ぎた様だ。
もう気にする必要は無い。
何があっても、何とか対処すればいい。
後は……ひたすら逃げるだけだ。
『……五十……』
前を向き、前方にだけ注意を払う。
直ぐに、前方に異変を確認。
五十m先の地面。
通路を塞ぐ様に、多数の魔法陣らしきものが出現。
その全てから、一斉に光の柱が天井に向かって伸びていく。
光の柱が消えると、見覚えのある鎧を纏った者達が通路を塞ぐ様に出現した。
先程の奴ららしい。
『……四十六……』
「転移したのか!?」
どうやって転移したかは知らないが、通路を封鎖された。
宣言通り、俺を逃がす気は無い様だ。
だが、突破する方法はある。
『……四十四……』
加速し、左の壁面に向けて跳躍。
壁面を足場に更に跳び、三角跳びの要領で通路を封鎖している奴らの上を跳び越えればいい。
壁面に着地し、再度の跳躍に掛かる。
『……四十二……』
よし、これで封鎖は突破した。
“行き遅れかけ”から逃げ出せる事を確信した安堵から、気が緩んだのか。
周囲への警戒が疎かになった所へ、背後から金属がぶつかり合う音が響く。
何かからの攻撃を、可変盾が防いだ様だ。
『……四十……』
「逃がさないと言った筈よ」
間近で聞こえてきた、“行き遅れかけ”の声。
その直後、可変盾ごと足場にした壁面に叩き付けられた。
『……三十八……』
「グフッ!?」
衝撃により、肺から空気が強制的に吐き出される。
そのまま、壁を滑り落ちていく。
『……三十六……』
体勢を立て直し、地面に着地する直前。
下から突き上げる様な衝撃。
それにより、俺の体が宙に打ち上げられる。
「ぐっ!?」
可変盾の防御が追い付かない攻撃だと……。
それに……一瞬だが紫の光とその中にマントがはためいているのが見えた。
もしかして、“行き遅れかけ”の鎧は腐れ甲冑と同様の身体強化が出来るのか?
『その様ですね。ですが、身体強化の性能は私の方が遥かに上です。主が押されているのは、単純に使い手の腕の差でしょう。三十二……』
言ってくれる。
確かに、“行き遅れかけ”の方が腕は上だろう。
それは認める。
これは……逃げるのは不可能か?
どうやら、行き遅れかけ”と戦うしかないらしい。
『……三十……』
左右から同時に響く金属音。
左右の可変盾が攻撃を防いだ様だ。
だが、どうやって同時に左右から攻撃した?
飛行している奴は一体だけだった筈。
『……二十八。現在、主の周囲に展開する飛行する敵は五体。その内の一体が、劣化版の身体強化を使用。因みに、通路を塞ぐ敵は百体以上。突破による離脱は、現在の主では不可能と判断。身体強化、限界が近づいています』
「チッ……」
腐れ甲冑の頼んでもいない現状報告。
その内容は、俺にとって最悪と言える。
逃走を諦めて、“行き遅れかけ”と戦うしか選択肢は無いのか。
「身体強化、停止」
逃げられない以上、甲冑の身体強化を発動し続けてマナを無駄遣いする理由は無い。
『……二十五。身体強化、終了します』
甲冑各部の水晶体から発していた、俺を包む蒼い光が弱まっていく。
それと共に、攻撃が止む。
何故、攻撃を止めた?
訳が判らないが、無事に着地出来そうだ。
体勢を立て直し、周囲の奴らを警戒しながら着地。
その俺の背後から、いる筈の無い“行き遅れかけ”の声が聞こえてきた。
「やっと、逃げるのを諦めた様ね。手間を掛けさせないでよ」
「俺は、ここにいる正体不明の何かを確認しにきただけだ。モンスターでは無かったた以上、ここにいても仕方無い。何故か知らんが通信が妨害されているから、通信出来る所まで移動しようとしただけだ。別に逃げた訳では無い」
“行き遅れかけ”の方を向き、その姿を見て驚く。
腐れ甲冑によく似た、各部に水晶体が配置された紫色の鎧を纏い、顔全体を覆う白い仮面を着けていたからだ。
何時の間に鎧を変えたんだ?
動揺を抑えながら、“行き遅れかけ”に答える。
本当は、駄女邪神と関わり合いがありそうな“行き遅れかけ”と関わり合いたくなかったからだ。
口にしたら、碌な事にならないのは分かっているから言うつもりはないが。
「……まあ良いわ。私から逃げようとしたのは分かっているから」
凍てついていく“行き遅れかけ”の声。
もし、仮面の下の顔を見る事が出来たら、おそらくその目はつり上がっていることだろう。
何故、ばれた?
気のせいか、この場だけ温度が下がっている気がする。
「顔に出ているのよ!! 私を馬鹿にしているの?」
また……顔に出ていたのか。
“行き遅れかけ”に言ったことは嘘ではない。
まあ、表向きの理由ではあるが。
だが、言ったら碌な事にならない本音まで知られているとは。
「あんたを馬鹿にしていないさ。ただ、“行き遅れ”女神のお告げを聞いてホイホイやって来た“行き遅れかけ”の相手をしたくなかっただけだ」
「何ですって!? 私を“行き遅れかけ”と侮辱するだけでは飽き足らず、ミラ様を“行き遅れ”呼ばわりするとは!! 絶対! 赦さないぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
思わず、本音を言ってしまった。
その内容が逆鱗に触れたのか、“行き遅れかけ”が怒り狂う。
仮面から覗く赤い目は、限界を超えた怒りからか凍てついている。
この場の温度が、気のせいではなく下がっていく。
「逃げるか、ここは……」
前言撤回だ。
あんなの、相手にしてられるか。
意地でも逃げるぞ。
「何処へ行くのかしら?」
全てを凍り付かせられそうな冷たい声。
同時に、再度逃げ出そうとした俺の右肩が掴まれ、身体から力が抜けていく。
「……お仕置き、ひ・つ・よ・うね……」
振り返ると、紫色の光に包まれた“行き遅れかけ”が右腕を振りかぶっている。
何時の間に!?
そう思った瞬間には、“行き遅れかけ”に殴られて壁に叩き付けられていた。
「グフッ!?」
そのまま、壁を削る様に崩れ落ちる。
右頬に感じる激痛。
取り敢えず、顎と歯は砕けていない様だ。
突然、戦闘力か上がった“行き遅れかけ”。
身体強化を計算に入れても、想定外の上昇だ。
どうやら、今までは手加減されていたらしいな。
怒り狂わせた今、勝ち目どころか逃走すら出来そうにない。
玉砕覚悟で戦うしかないか。
勝てるかは分からないが、このままやられっぱなしで終わる気は無い。
「早く立ちなさい! お仕置き出来ないでしょ!」
身体強化を止めた“行き遅れかけ”が、俺を睨み付けながら言い放つ。
理不尽だな。
何故、立つことが前提だ?
構わず攻撃すればいいだろうに。
痛みに耐えながら、立ち上がる。
「さあ、剣を抜きなさい。戦ってあなたを叩き潰さないと、お仕置きに為らないのよ」
なら……お望み通り、全力で相手してやる。
その台詞、泣いて後悔させてやろう。
“行き遅れかけ”を睨み付けながらバスダードソードを抜き、構える。
「やっと、やる気になったのね。たっぷりお仕置きしてあげるわ」
「エンチャント・カオス……ブレイクナックル!」
“行き遅れかけ”の言葉を無視して、包囲している集団に虹色に輝くブレイクナックル――四基全てを撃ち放つ。
通路を塞ぐ両方の奴らに一基づつ。
頭を抑えている奴らに二基。
俺の邪魔をしない様、奴らを抑えてくれれば上等だ。
――必ず殺せ。
――完全に破壊しろ。
毎度の事だが、破壊衝動が叫んでいる。
だが、何時もと違う。
……必殺に完全破壊だと?
完全破壊はともかく、今回こそは必ず殺す。
これ以上、“くっころさん”を増やす気は無い。
目の前の“行き遅れかけ”は敵。
敵が何者だろうが、俺の知ったことでは無い。
今度こそ……“くっころさん”になる前に息の根を止めてみせる。
「身体強化……全開!」
『身体強化発動。発動時間は三十秒。カウントダウン開始。三十……』
全身が蒼い光に包まれていくのを横目で確認しながら、“行き遅れかけ”に突撃。
「身体強化発動!」
“行き遅れかけ”の全身が、再び紫の光に包まれていく。
『……二十八……』
来る。
防御は……可変盾だろうが簡単に突破されるだろう。
それに、性に合わない。
攻撃だ。
上手くやれば“行き遅れかけ”に隙が出来て、この場から離脱出来るかもしれない。
俺は、怒り狂った“行き遅れかけ”との無謀な戦闘を開始した。




