第八十六話 連行
襟首を掴まれたままの俺は、ギルド長に紙袋と水筒を持ったままテーブルまで引き摺られてきた。
「逃げないから、放してくれないか?」
「駄目だ。こちらの話が終わるまで、放す訳にはいかない」
どうやら、逃れる事は出来ないらしい。
ここは……諦めるしかないのか。
「飯を食いながらで構わないな」
二日近く飯を食っていない。
せめて、これだけは何としても認めさせなければ。
「構わないよ。そう時間も無い事だしね。君でも理解できる様に簡単に話そう」
その意外な言葉に驚く。
てっきり、後にしろと言われるかと思っていたのだが。
まあいいか。
ギルド長のお墨付きだ。
約二日振りの飯を食わせてもらおう。
水筒をテーブルに置き、紙袋から中身を取り出そうとして気付く。
テーブルを囲んでいるギルド幹部達の前に、俺が持ってきたのと同じ紙袋と水筒が置かれている。
ギルド長達は、あれから休む間も無くここで指揮していたらしい。
それなら……俺も遠慮無く食わせてもらおう。
紙袋を開き、中身を見る。
何種類も具材が挟んであるバケット。
何が挟んであるか確認せずにかじりつく。
「現在……地下一階の階段前広場で、辛うじてモンスターの突破を防いでいる状態だ。当然、多大な犠牲を出しながらだがね」
ギルド長の説明を、咀嚼しながら聞き流す。
「原因は、下の階から多種多様なモンスターが上がって来るからだ。ダンジョンの管理者を名乗る魔族からの情報だと、地下九十階辺りまでのモンスターが地下一階に向かって移動しているらしい」
その話を聞いた瞬間、驚愕で動きが止まった。
地下九十階から、モンスターが上がって来るだと!?
そんな下の階のモンスターを倒せる奴なんているのか?
当然ながら、俺が倒すのは不可能だ。
そんなのが来たらどうするんだ……。
「誰も、君に倒して来いとは言わない。黒の紋様持ちでも無理だろうからね。まあ、地下五十一階より下のモンスターは、ダンジョンの管理者側が引き受けてくれる事になっている。その点は安心してくれ」
また、顔に出ていたのだろう。
ギルド長が、俺の顔を見て笑みを浮かべながら言う。
流石に、管理者も探索者の戦闘力を知っているから、全て倒せとは言わないか。
「まあ、それは置いておいて本題に入ろう。君には一人でダンジョンに潜り、モンスターを倒して回ってもらいたい」
冗談だろう。
ギルド長は何馬鹿な事を言っている?
「寝言は寝て言え。いや、寝てても言うな。傍迷惑だ」
口の中のものを水で流し込んで、言い放つ。
「失礼だね。寝言は言っていないし、起きているよ。現在、この街にいる現役探索者で戦闘力が最も高いのが君なのだ。アルテス君」
おだてられても、そんな馬鹿な真似をする気は無い。
今思い出したが、オーガの迎撃は無茶もいい所だった。
そんな事、何度もしたくはない。
何とか回避しなければ。
「冗談は止めてくれ。俺より上の奴は、幾らでもいるだろう。そいつらにやらせろ」
「冗談ではない。“ダンジョンニュース”の反対側の石板に表示されている“戦闘力ランキング”を見て言っている。“戦闘力ランキング”は、魔道具で戦闘力を計測した結果で随時更新されているそうだ。これは、ダンジョンの管理者が教えてくれた事だが。私としては、“戦闘力ランキング”も“ダンジョンニュース”同様、信用していいと思っている。“ダンジョンニュース”の正確さは、君が証明してくれたからね」
何とか反論したいが、“ダンジョンニュース”で俺に関するものは全て事実だ。
反論出来ない。
「因みに、二時間前の更新で、君が冗談の様な死に方をしてから帰って来るまでの事をさっそく記事にしていたよ」
何だと!?
それは、ダンジョンとは全く関係無い。
何故、記事になるんだ?
「それは……貴方が神々の要監視人物だから。そして、今の状況では記事のネタが無いかららしいわ」
心を読まれている!?
聞き覚えのある女の声で返事が返ってきた。
振り返って確認しようとして、何者かに襟首を掴まれる。
「管理者殿か。どうしてここへ?」
突然過ぎる、管理者の出現。
管理者だと!?
一体、何処から湧いてきた。
ギルド長を筆頭に、この場にいるギルド幹部達の顔が引き攣っている。
「彼が目を覚ましたと聞いたから、そちらとの打ち合わせ通りに彼をダンジョンに放り込みに来たの」
打ち合わせ通り?
ダンジョンに放り込むだと!?
「……そうですか。彼に説明を始めた所でしたが、後はよろしくお願いします。どうぞ、連れて行って下さい」
「そうさせてもらうわ。そちら側の対処は、打ち合わせ通りお願いするわね」
言い終えると、管理者が俺の襟首を掴んだまま動き出す。
「ちょっと待て。俺は飯を食っている最中だ。飯ぐらい、落ち着いて食わせろ!」
いきなり俺を引き摺り出した管理者に抗議。
「残念だけど、貴方にゆっくり食事させる時間は無いの。ダンジョンに入る迄に食べ終わってね」
だが、返ってきたのは抗議を切り捨てる冷たい言葉。
助けを求める為、ギルド長達の方を見る。
ギルド長達は、重圧から解放され安堵していた。
俺の視線に気付くと、何故か申し訳無さそうに揃って拝み出す。
「拝んでないで、助けてくれ」
「無理だ。諦めてくれ」
「彼女達……魔族を敵に回したくは無い」
「死なないのだから、さっさと行ってこい」
「このグランディアを護る為に、生け贄になってくれ」
助けを求める俺から、一斉に目を背けるギルド幹部達。
言っている事が、次第に酷くなっていく。
それに、生け贄ってどういう事だ?
「アルテス君、君の健闘を祈る」
厳粛な声で、胡散臭く激励してきたギルド長。
腹が立つので睨み付ける。
だが、他のギルド幹部達同様俺から目を背け、申し訳無さそうな表情で俺を拝み出す。
その様子から、この後確実に碌でもない事になるのが分かった。
これは……自力で逃げるしかないか。
「……私から逃げられると思っているのかしら?」
また……心を読まれたのか。
「心を読まなくても、貴方のこれまでの行動や言動から予想出来るわ。後でお仕置きしないといけなくなるから、逃げようとしないでね。尤も、女神の呪いで体に力が入らないから不可能でしょうけど」
全て見透かされているな。
管理者の言う通り、今は身体に力が入らない。
諦めるしかないか。
「くだらない事を考えている暇があったら、さっさと食べ終わりなさい。食べ終わってなくても、ダンジョンに放り込むから」
俺は、管理者に引き摺られながら警備員詰所を出た。
広場にいる者達の好奇と畏怖の視線を集める中。
管理者に引き摺られながら、食べ掛けのバケットを無理矢理口に捩じ込む。
そして、水筒の水で胃に流し込んでいった。
モンスター氾濫のせいで、約二日振りの飯をゆっくり食えないとは。
しかも、襟首を掴まれて引き摺られながら食わなければならない。
やってられないな。
そうしている内に、ダンジョンの入口に着く。
「酷い目に遇った……」
掴まれていた襟首を擦りながら、溜息を吐く。
ダンジョンの入口に着き、俺は管理者からようやく解放された。
「何が……酷い目に遇ったなのかしら? 貴方の自業自得でしょう。自分で魂の緒を切って冥界に行かなければ、こんな事になって無いわ」
冷めた目を俺に向け、あきれた様子を隠さない管理者。
「折角……いや、腐れ甲冑の呪縛を断ち切り、“行き遅れ”から逃げられる唯一の機会。無駄にする気は毛頭無い。冥界に逝ってしまえば、生き返らされる事も無いと思ったからな」
「思い違いをしているみたいだから言っておくけど……あの鎧に選ばれた時点で、貴方の言う呪縛から逃れる事は不可能よ。冥界に逝けたとしても、冥界の神に強制送還されていたわ」
管理者の言う通り、冥界の神は魂の審判所で俺を送還しようとした。
尤も、その前に迎えに来たバスタードソードと共に還ったが。
「済んだ事を言っても仕方無いわね。これからの事だけど、貴方は私の指示に従ってもらうわ。これはギルドとの取り決めだから、拒否は認めないわよ」
“ギルドとの取り決め”
その一言で、ギルド幹部の言葉を思い出す。
“生け贄”
この言葉から想像出来る事は一つ。
どうやら、ギルド長……ギルドは俺を管理者に売ったらしい。
「……下らない事を考えてないで、話を聞きなさい」
「何故、分かった?」
また心を読まれたのか……
一体、何度目だ?
「顔に出てるのよ!」
そっちか。
これは……一生直りそうに無いな。
「話が進まないわね……。本題に入るわ。貴方はこれからダンジョンに突入して、モンスターを倒して回って来て。拒否や抗議は受け付けないから」
言いたい事を言った管理者は、俺に背を向け先導する様にダンジョンに入っていく。
今気付いたが、お付きの連中がいない。
今なら、逃げられる気がする。
だが、止めておいた方が良さそうだ。
管理者に何度も心を読まれている以上、初動で阻止された挙げ句、直ぐに捕まるのがオチだろう。
足掻いても、疲れるだけ無駄か。
逃走を諦めた俺は、管理者の後を追い、階段を下りていった。
階段前の広間。
警備隊員や探索者が、必死な形相で行き交っている。
だが数時間前と異なり、その人数が半減していた。
その様子から、ギルドの受付の広間を思い出す。
あれだけ重傷者を出しながら、半分も残っていれば上等か。
まあ、何時までモンスターを凌げるか分からんが。
一人でダンジョンに突入させられる俺よりはましだろう。
そんな事を考えていると、バリケードの前に着いていた。
「ここに着くまでに心の準備は出来たかしら? まあ、出来て無くても行ってもらうからあまり関係無いけど」
「なら聞くな。時間の無駄だ」
あまり時間が無いと言っておきながら、時間を無駄にしている管理者の話を切って捨てる。
「心の準備は出来ているようね。なら行って……」
心の準備など出来ていない。
仕方無いから行くだけ。
バリケードの向こうに放り込まれる前に、さっさと行こう。
「待ちなさい」
「グッ!?」
錬気し、自力でバリケードを飛び越えようと跳躍した所で、何者かに襟首を捕まれる。
そのまま、叩き付けられる様に地面に引き摺り下ろされた。
「グゥッ!?」
両脚と地面から発した、何かが砕けた様な音。
その直後、両脚から感じる激痛。
「グゥアァァァァァ!!」
その激痛に耐えきれず、痛みを逃がすように叫ぶ。
そのまま、崩れ落ちる様に倒れ込む……
「……あら? 力を入れ過ぎたかしら?」
……その前に何者かによって倒れ込むのを止められた。
「……」
激痛に耐えながら振り返る。
視界に入るのは、俺の襟首を掴んでいる白く細い腕。
それを辿り、いきなり俺の襟首を掴んだふざけた奴の面を拝む。
首を傾げ、少し驚いた表情の管理者の顔があった。
それを見た瞬間、激痛の原因を作った管理者への怒りが、激痛の苦しみを凌駕。
「この馬鹿女が!! いきなり何しやがる!」
怒鳴ると同時に、激痛が潮が引くように消えていく。
何が起きた?
訳が分からないが、まあいい。
取り敢えず、管理者に報復しなければ。
身体を回転させ、管理者の手を振りほどく。
回転の勢いと気、怒りが乗った右拳を管理者の顔に叩き込んだ。




