第八十四話 冥界からの帰還
「ぐっ……」
魔法陣から放たれた虹色の光に飲み込まれた俺は、“爆波”擬きの数倍の圧力に歯を食いしばり、吹き飛ばされない様に堪える。
なんて威力だ。
これは……長くは持たない。
何か凌ぐ手は……。
『楔形の障壁を張って圧力を左右に逸らせ。暫くは何とかなる筈だ』
不意に聞こえた、聞き覚えのある声。
迷っている暇は無いか。
その言葉に従い、浮かび上がってきた魔法を発動させる。
「カオス・ウォール……カイル」
それまで俺を襲っていた暴力的な圧力がかなり軽減された。
一応、魔法は発動した様だな。
虹色の光の奔流の中、おそらく同じ虹色に輝く障壁を確認するのは難しいだろう。
俺にはその境目すら分からない。
取り敢えず、その場凌ぎが出来ただけ良しとするか。
『久しぶりだな。元気にしてたか?』
相変わらず馴れ馴れしい奴だ……って誰だ?
『分かっている癖に惚けるな。今回も時間が無いから、結論を先に言っておく。お前は、未来永劫冥界に逝けない』
前に会った虹色の光球か。
虹色の奔流の中、何処にいるか分からない。
それより、冥界に逝けないとはどういう事だ?
『理由は冥界の神から既に聞いている筈だ』
冥界の神!?
あの声は冥界の神だったのか。
確か……混沌の力を持つ俺が逝くと、それだけで冥界が混乱するからか。
『そうだ。冥界の神は言わなかったが、もう一つ理由がある』
何だと!?
『冥界そのものが、お前の受け入れを拒否しているからだ』
冥界が拒否だと!?
冥界に意思があるのか?
『ある。冥界だけではない。現世である地上界や天界……それぞれの世界には意思がある。動物にだってあるのだ。世界に意思があってもおかしくはあるまい』
……よく分からないが、そうなのだろう。
考えるだけ無駄か。
『時間が無いから、話を戻すぞ。冥界は、自らの内でお前の混沌の力が覚醒する事を恐れている。神話の時代に混沌神ケイオスが混沌の力に覚醒した際、その余波で地上界は一度滅亡しかけたらしい。その時はケイオスが神であった為、地上界が滅亡する手前で辛うじて混沌の力の制御に成功した。だが、お前はただの人間に過ぎない。覚醒したてでは、混沌の力の制御は不可能だろう。もし地上界で混沌の力が覚醒したら、神々が完璧に対処する筈だ。既に、ケイオス相手に一度やっているからな。しかし、冥界は魂の安息の場であるから神々が降臨する訳にはいかない。だから、冥界はお前の混沌の力の覚醒による滅亡を恐れて、お前を拒絶している』
俺が冥界に存在するだけで、冥界の存亡の危機になるとは。
“無能の中の無能”が、冥界を滅亡させるとか。
冗談としては面白くないし、笑い話にもならない。
『冗談とか笑い話で済ますな。冥界が滅亡したら、地上界も天界も連鎖して滅亡する。お前が無茶してここまで来たから、お前に秘められた混沌の力の大きさが分かった。覚醒に程遠い今のうちに発覚したのは、三つの世界にとっては幸いだな』
何が幸いだ。
俺は不幸だ。
腐れ甲冑の呪縛を永遠に断ち切れない上、行き遅れを押し付けられるんだぞ。
『諦めろ。どれだけ足掻いても、どうにもならない時もある』
実感のこもった言葉。
まるで経験者の様だ。
『実際に経験しているからな。理不尽は、更に強大な理不尽で捩じ伏せるしかない。理不尽を捩じ伏せたければ、それが出来るだけの力を手に入れろ。俺の様にな』
簡単に言ってくれる。
そんな事が出来る力など、そう簡単に手に入れられる訳無いだろう。
『お前は、それが出来る力を既に持っている。そう……混沌の力を』
混沌の力は、理不尽を捩じ伏せられるのか……。
『ああ。もっとも、使いこなせればの話だ。未だ覚醒していない、今のお前ではお話にすらならない。混沌の力を必要とするなら、さっさと生き返るのだな』
……俺の事を知り尽くした上で、挑発しているみたいだ。
いいだろう。
その挑発に乗ってやる。
だが……どうやって生き返ればいい?
『もうすぐお迎えが来るから心配ない。そろそろか』
突如、空から硝子が割れた様な音が響いた。
続けて何かが落ちて来るような音が聞こえてくる。
何だ?
何が起きている?
『問題無い。お迎えが来ただけだ』
お迎え!?
一体誰が?
『俺も知らない。だが、生きているお前を必要とするものなのは確かだ』
俺は、そんな真似が出来る奴に心当たりはない。
管理者なら可能だろうが、俺を迎えに来る暇など無いだろう。
一体、誰が迎えに来たんだ?
『会ってからのお楽しみにするんだな。今回はここまでか。また会おう』
その言葉を最後に虹色の光球の気配が消えた。
どうやら、去ったらしい。
虹色の光の奔流は、未だ収まらない。
障壁も何時まで耐えられるか。
お迎えを何時まで待てばいいのか。
そう考えていると、右側から何かが刺さる音が聞こえてきた。
『主、お迎えにあがりました』
続いて聞こえてきた女の声。
誰なのかと思いながら、声の方に視線を向ける。
そこには見覚えのある剣……いや、俺のバスタードソードが突き立っていた。
柄には、何故か半透明の紐の様なものが巻き付いている。
その半透明の紐らしきものは、天に向かって伸びていた。
「何故……俺のバスタードソードがここにある?」
まさか……俺を迎えに来たのは、こいつなのか。
『主、私を手にしてください』
再び聞こえる女の声。
声の主を探すが、バスタードソード以外何も見当たらない。
やはり声の主は、バスタードソードらしいな。
俺の問いには答えないが。
俺のバスタードソードは、大将が打ったただの剣の筈だ。
魔法陣で多少の強化はしてもらったが。
間違っても知性ある武具ではない。
いつの間に知性ある武具に変化したのか?
『主! 急いで下さい! 冥界の神に何処とも分からない所へ飛ばされる前に帰りましょう!』
細かい事を気にしても仕方無い。
バスタードソードの言う通り、さっさと帰った方が良さそうだ。
冥界の神にここから排除されて、幽霊になるよりは遥かにましだろう。
バスタードソードの柄に手を伸ばした所で、ある事に気付く。
死んで魂だけの存在になった俺が、手にする事が出来るのだろうか。
まあ、気にしても仕方無い。
やってみれば分かるだろう。
切羽詰まった様子のバスタードソードを信じて、柄を掴む。
手に感じる、生きていた頃と何ら変わらない柄の感触。
それほど時間は経っていない筈だが、懐かしく感じる。
「手にしたぞ。次は……」
バスタードソードに確認しようとしかけた所で、柄に巻き付いている半透明の紐が腕に巻き付くと、溶けるように俺の中に入り込んだ。
その瞬間、全身に焼き尽くす様な激痛が全身を駆け巡った。
「……」
激痛を歯を食いしばって耐える。
『主……その痛みは、切断された魂の緒を繋げているからです。完全に繋がれば痛みは無くなりますので、それまで耐えて下さい。何処かに飛ばされる前に帰りましょう』
話が終わると同時に、俺の身体が何かに引っ張られるかの様に宙に昇っていく。
半透明の紐が伸びている先に、空間の歪みが見える。
どうやら、あそこからやって来たらしいな。
そして、あれを通って帰るのだろう。
全身の激痛に耐えながら振り返った俺の視界に、遠ざかっていく灰色の審判所が映る。
俺は諦めない。
いつの日か……腐れ甲冑と行き遅れから逃れる為に、もう一度ここに来る。
そして、人として死を迎える為に……必ず。
俺は空間の歪みに引き込まれると同時に意識を失った。
 




