第八十三話 冥界の入口
拘束され吊り下げられた状態で淫乱メイドに身体を高速回転させられるというふざけた理由で、俺は三度目の死を迎えた。
その後自ら魂の緒を断ち切り、死神に導かれて宙を浮きながらあの世――冥界に向かっている。
「ここがあの世か……」
漆黒の空。
地平線の果てまで広がる、生命の存在しない地肌剥き出しの荒野。
光差さない世界だが、何故か普通に景色が見える。
「ここは、地上と冥界の境です。なので何もありません。この先に冥界があります。冥界は死者の魂が転生するまでの間、魂の傷や疲労を癒す場所」
俺の呟きが聞こえたのだろう。
死神が振り向かずに答えてくれた。
「そろそろ、冥界に着きます」
生前果たせなかった、飛行の時間が終わりを告げる。
前を見ると、荒野の真っ只中に灰色の巨大な建物がぽつんと建っている。
「あれは何だ?」
「あの建物は、冥界の入口となる魂の審判所です。生前に犯した罪に応じて、魂の行き先を決定します。大半は冥界に行く事になります。ですが、大罪を犯しているとしばらく地獄で贖罪する事になります」
特に大罪など犯してない俺に、地獄は縁の無い場所だな。
死神の話す魂の行き先について考えている内に、高度が次第に下がっていく。
「これは……」
近付くにつれ、審判所の様子がはっきりしてくる。
灰色の巨大な建物と思っていたが、実際は違っていた。
中心にある審判所の建物の回りが、灰色の高い塀で囲われている。
建物と塀の間も灰色。
全てが灰色で塗り潰されている様だ。
これでは、遠目では巨大な建物と思っても仕方無いか。
塀は勿論だが、建物にも入口らしき所以外の凹凸が見当たらない。
「殺風景な所だな……」
「直ぐに立ち去る場所なので、殺風景でも問題無いでしょう。何も無いからこそ、直ぐに冥界へ行く気になるのですから」
「確かにそうだな。ついでに聞くが、ここまで来て逃げようとする奴はいるのか?」
「いますよ。未練がましくて無理矢理連れて来られた魂がよく逃げますね。ですが、直ぐにここの衛兵に捕まって、審判所に引き摺られて行きます」
「いるのか……」
諦めろよ……全く。
未練がましいにも程があるな。
人間、諦めが肝心な時もある。
たとえば……死んだ時とか。
それに、ここから逃げても生き返られる訳でもない。
俺の様に、化け物に成り果てる前に死ねるなら死んだ方がいいと思う者もいる。
下衆な奴ほど未練がましいものなのだろう。
「到着しました」
その声と共に感じた、地面の感触。
審判所に着いたらしい。
「一面灰色だな……」
ここに来るまで上から見ていたが、全て灰色だ。
目の前にある審判所らしき建物。
入口らしきもの以外、何も無い。
左右の塀や地面も灰色。
振り返ってまで見ていないが、後ろの塀も灰色の筈だ。
改めて傍で見たが、全てが灰色。
長居する気の起きない場所だな。
そろそろ、あの世に行くか。
「あの入口……」
死神の方を向き、行き先が合っているか確認しようとして気付く。
俺と死神以外、何者も存在しない事に。
「逝く前に、もう一つだけ聞きたい。今日、世界中で死んだのは俺だけなのか? 毎日、多くの人が死んでいる筈だと思っていたが……」
「いえ。毎日数千人は死を迎えているので、それはありません。言われてみれば……確かにおかしいですね」
辺りを見回して確認しながら、死神が首を傾げる。
「冥界で何かあったのでしょうか……?」
『あったのではない。今、起こっている最中だ』
天から掛けられた様な、威厳に満ちた声が辺りに響く。
「誰だ! 何処にいる!?」
声の主を探すが、何処にも見当たらない。
目に映るのは、灰色一色の景色のみ。
「いるのなら……さっさと出て来い!」
焦れて叫んだ途端、目の前の空間が歪み黒づくめの者達が出現。
その顔は黒色の二本の角が生えた面当に覆われ、黒色の槍か棒らしきものを手にしていた。
周囲を見回すと、そいつらは正面だけでなく左右と後ろにも現れている。
どうやら、包囲されている様だ。
「こいつらは一体……」
「何故!? 冥界の獄卒がどうしてここに……」
俺達を包囲している奴等を見て、後ろの死神が驚愕の声を上げている。
冥界の獄卒?
守衛みたいなものだろうか。
「そんな事はどうでもいい。それより、俺は冥界に逝けるのか?」
俺にとって重要なのは、腐れ甲冑の呪縛を断ち切る事。
その為なら、手段を選ぶつもりはない。
最悪、この包囲を強行突破してでも冥界に行く。
『そなたを冥界に行かせる訳にはいかぬ。大罪を犯せし者よ』
再び聞こえてくる、威厳に満ちた声。
死神に尋ねた筈だか、死神は何故か口を開こうとしない。
代わりに、謎の声が俺に答えている。
「大罪だと!? 誰かは知らんが、俺は大罪を犯した覚えは無い!」
『無知というのも罪なものだな。教えてやろう。そなたが犯した大罪を』
そのまま、俺が犯したらしい大罪を挙げていく。
『一つ目。自らの手で魂の緒を断ち切った事だ。魂の緒は本来、死神が死神の鎌で断ち切る以外では断ち切れないもの。それを、世界の摂理を無視して自ら断ち切った。これだけで大罪に値する。だが……死んでいる以上、この事だけで冥界に行けない訳ではない』
魂の緒を断ち切った事が一つ目だと!?
俺が犯したらしい大罪は、一体幾つあるんだ?
『二つ目。三柱の女神……戦女神アテナ、狩猟の女神アルテミス、恋愛神ミラに対して、絶対に言ってはならない暴言を放った事』
何者か分からない奴の声が震えているような気がするが、気のせいだろう。
「行き遅れの駄女神に、行き遅れと言って何が悪い」
変えようの無い事実を突き付けてやっただけだ。
それを大罪とは。
『確かに事実ではあるが……言っていい事と悪い事の区別はつけよ。そなたのせいで、天界がどれだけ混乱したと思っている。もっとも、その罰は天界の神々により既に決定された。そなたに、行き遅れの三女神を押し付ける事でな』
行き遅れを三柱も押し付けるだと!?
タケミカヅチ様の言っていた事は本当だったのか……。
それに、人に言っていい事と悪い事の区別をつけろと言いながら、自分も行き遅れと言っている。
説得力の欠片もないな。
「ふざけるな!! 何が悲しくて、行き遅れを押し付けられなければならない!」
罰のあまりにも酷い内容に思わず叫ぶ。
そんなもの……俺は絶対に認めない。
行き遅れを押し付けられてたまるか。
『諦めよ。これは神々の決定だ。そして……そなたを冥界に行かせない理由の一つでもある』
犯した覚えの無い罪だけでなく、冥界に行かせない理由も複数あるのか。
『これは余談だが……それを聞いた三柱の女神は、“これで結婚出来る”と小躍りして喜んでいたそうだ。“絶対に逃がさない”とも言っていたらしい。あれらは執念深い。無駄な努力は止め、諦めて受け入れろ』
諦めて受け入れろだと?
ふざけるな。
そんなこと認めるか。
無駄になろうが、徹底的に抗ってやる。
「無駄だと? 無駄かどうかは……やってみなければ分からんさ!」
自分を奮い立たせる様に言い放つ。
何事も、諦めたらそこで終わりなのだから。
『忠告しても無駄の様だな。現時点で犯している大罪はこれぐらいだ。精々足掻いて、更に大罪を重ねるがいい。ついでだから、冥界に行けない最大の理由を教えてやろう』
こいつは……何者か知らんが随分偉そうだな。
『そなたが、混沌神に匹敵する強大な混沌の力を魂に宿しているからだ。もっとも未だ目覚めず、片鱗程度の力しか使えぬ様だが』
片鱗程度か……前にも何処かで聞いた様な気がするな。
『だが……未だ目覚めていないとは言え、混沌神に匹敵する混沌の力を宿しているそなたを冥界に逝かせる訳にはゆかぬ。片鱗程度の力であっても、そなたが存在するだけで冥界が想定不可能な大混乱に陥るだろう。故に……これより、そなたをこの場から排除する。そして、二度と冥界に近付けない様に処置する』
その言葉とともに、俺を中心に魔法陣が地面に浮かび上がる。
本気で、俺をここから排除するつもりらしい。
何としても、魔法陣から離れなければ。
何があろうと冥界に行ってやる。
腐れ甲冑の呪縛を断ち切り、駄女神共を押し付けられない為に。
「俺を何処に跳ばすつもりだ? そして、どんな処置をする気だ?」
返答は無いだろうが、問い掛けながら、突破出来そうな所を探す。
だが、何処を見ても厳重で、突破出来そうな所は全く見当たらない。
特に、審判所の入口付近は多数の獄卒によって守られている。
魔法だけでは突破不可能な包囲。
今、この瞬間に俺の内の混沌の力が目覚めてくれれば何とかなるかもしれない。
だが、都合良く目覚めてはくれないだろう。
せめて……バスタードソードとパイルバンカーさえあれば、力ずくであの包囲の突破を図るのだが。
無いものねだりをしても仕方無い。
恐らく、今が腐れ甲冑の呪縛を断ち切る唯一の機会。
それを……みすみす諦めなければならないのか。
『ようやく諦めた様だな。大罪を犯せし者よ、大人しくこの場から去るがよい』
天から響く、不愉快な声。
まさか、俺が諦めたと思っていたのか。
いいだろう。
無理・無茶・無謀はいつもの事だ。
力ずくで、無理を通してやる。
再び包囲の穴を探すが、やはり見当たらない。
しかも、足元の魔法陣の輝きが先程より増している。
どうやら、あまり時間は残されて無い様だ。
俺が冥界に行く為には、審判所の入口まで最短距離を強行突破するしかない。
そう判断した俺は、審判所の入口に向け即座に突撃。
近付いてくる俺に気付いたのか、獄卒共が警戒しながら防御陣形を組み出す。
目が節穴な馬鹿でもない限り、普通は気付くか。
まあ、どんな対応をしようが関係無い。
ただ、突破が困難になるだけ。
獄卒共を全力で排除して突き進むだけだ。
「あんたが何者かは知らんが、俺が諦めるとでも思っていたのか?」
この瞬間も何処かで俺を見ているだろう、偉そうな奴に言い放つ。
同時に錬気し、気を全身に循環させる。
「何だ……これは?」
気を循環させただけの筈が、気が流れた所が淡い虹色の光を放っている。
死んでから気だと思って使ったものは、どうやら気では無いらしい。
見た目は、エンチャント・カオスの魔法を身体にかけた状態に似ている。
しかも、感じられる力は気より強い。
だが、今はそんな事を気にしていられない。
目の前にいる獄卒に、突撃の勢いを乗せて殴り掛かる。
面当てに覆われていてその表情は窺い知れないが、恐れや怯えといった様子は無い。
むしろ、俺が何をしても無駄だと言っている様だ。 それを不快に思いながら、獄卒の顔面に拳を叩き込む。
『無駄な足掻きだ……諦めよ』
声が聞こえると同時に、獄卒の前に出現した魔法陣。
おそらく、結界か障壁の類いだろう。
気にする必要はない。
纏めて殴り飛ばすだけだ。
虹色に輝く拳から、気では無い力で“爆波”擬きを放つ。
爆発的に放出された虹色の光が、眼前の魔法陣とその先の獄卒共を纏めて薙ぎ払い入口までの道を作る……筈だった。
だが、放たれた“爆波”擬きの虹色の光は、眼前の魔法陣に全て吸収されてしまったのだ。
「何だと……」
現状で最強の攻撃が無効化された事に愕然とする。
俺にあの魔法陣を何とかする方法は無い。
ここまでなのか……。
『だから言ったであろう。無駄であると。諦めてここから去れ』
その言葉と共に、魔法陣が虹色に輝く。
そして、そこから放たれた虹色の光に俺は飲み込まれた。




