第六十六話 “無能の中の無能”
窓から射し込む陽の光を感じ、目を覚ます。
身体に疲労は無いが、精神的な疲労は全く抜けてない。
三日三晩徹夜で作業して気分が高揚している大将に、新生したバスタードソードの新機能を使う為の訓練を日が落ちるまでさせられたからだ。
お陰で手持ちのマナポーションを使い切り、今も胃から水音が聞こえる気がする。
ダンジョンに潜るにしても、マナ回復の方法が無い。
道具屋でマナポーションを補充しないとな。
向かいの奴隷商店が営業していない今、魔女が店番をしている筈。
変なポーションを売り付けてくれた文句を言って置かなければ。
起床し、身体を軽く動かして状態を確認する。
特に、異常や違和感は感じられない。
既に、人間からかけ離れた異常な身体だ。
異常が無いというのは、おかしいか。
腐れ甲冑……その背後にいる腐れた奴らに造り変えられたこの身体。
奴らの目的は分からない。
だが、奴等も知らないだろう混沌の力。
この力を手に入れれば、最低でも奴等の計画を狂わせる事は出来るだろう。
その為にも、ダンジョンに潜って強く成らなければ。
朝食を摂り、昼食の弁当を受け取ってから宿を出る。
先ずは……道具屋へ行くか。
マナポーションが無い状態で、ダンジョンに潜るのは自殺行為。
ただでさえ、マナを大量に喰う魔法武具を複数使っている。
マナポーションの確保が、内包マナ量の少ない俺の生命線だ。
道具屋が見えてきた所で、声を掛けられる。
「そこの男、止まれ」
何だろう。
立ち止まり、声の方に振り返る。
お揃いの鎧兜に、棒杖を右手に持つ男が二人立っていた。
多分、領主の所の衛兵だろう。
「何か用か?」
「数日前の夜、直ぐ先の奴隷商店で事件が有ってな。その件で、通り掛かる全ての者に何か知っている事がないか聞いて回っている。お前も知っている事があったら答えてくれ」
衛兵も大変だな。
見つかるか分からない犯人を探しているのだから。
「知らんな。店の前を通った事はあるが、行ったことはない。新米探索者に、奴隷を買う金などある訳ないだろう」
道具屋の近くの奴隷商店は、あそこしかない。
管理者に強要されて、襲撃したあの店だろう。
知っているも何も、俺がやったのだから。
ばれても、ギルド長が何とかするだろう。
だが、俺がやったと馬鹿正直に話す気は無い。
「そうか……って、お前!? 前ギルド長の孫を殺った“無能”じゃないか!」
俺の事を知っているのか。
なら、話はすぐ終わりそうだな。
「あれは、決闘で運が良く勝てただけだ」
「そうだろうな。“無能”の新米探索者が、奴隷商と従業員を皆殺しに出来る訳が無いか」
皆殺しか……。
なら、もう殺り残しの心配はしなくて済むな。
「そうだな。引き留めて悪かった。行って良いぞ」
衛兵達は勝手に納得すると、別の通行人の方へ向かった。
“無能”と思われているのも、案外役に立つんだな。
衛兵に呼び止められたものの、道具屋に着く。
向かいの奴隷商店は人気も無く、ひっそりしている。
入口の左右に衛兵が立ち、見張りをしているが気にする必要はない。
扉を開け、店の中に入る。
店の中は、相変わらず薄暗い。
雑多に品物が並べられている陳列棚を横目に見ながら、カウンターに向かう。
前来た時は店の奥に引っ込んでいた魔女が、カウンターに居座っている。
今日も、相変わらず書物を紐解いていた。
何時も通り、俺が来ても気付かない。
「魔女。客だ、仕事しろ」
書物に夢中の魔女に、仕事する様促す。
「アルテス……まだ生きてる。“無能”なのに……かなりしぶとい」
何時も通り、無表情で失礼な事を言ってくる。
「……褒めてる。本当に奇蹟」
今日は、魔女と言い合う暇はない。
さっさと用を済ませ、ダンジョンに潜ろう。
「ヒールポーションを十本とマナポーションを三十本頼む」
注文するのはこの二つだけ。
新生したバスタードソードの慣らしだ。
夕方までにはあがる積もりだが、数は若干余裕を持った数を頼んでおく。
前の様に、慣らしに行って予定通り帰れないのは洒落にならない。
「……分かった。少し待つ」
そう言って魔女が、店の奥に入っていく。
その後ろ姿を見ながら、言っておく事があるのを思い出す。
無属性の呪文書二冊と試作品のポーション。
呪文書は使えず、ポーションは味付き。
抗議と感想を言っておかなければ。
カウンターに呪文書二冊と貼り紙付きの試作ポーションの瓶を置き、魔女が戻るのをぼんやりと待つ。
「……お待たせ、アルテス」
何かが置かれた音と共に、魔女に呼び掛けられる。
カウンターの上には、ヒールポーションとマナポーションが置かれていた。
「……これは?」
魔女はぼんやりとした目で、俺が置いた呪文書と空の瓶を見ている。
「使えなかった呪文書と、前売り物に混ぜていた試作品のポーションの空瓶だ」
魔女は俺の言葉に、眠たげな目を一瞬だけ驚いた様に見開く。
「……そう。ポーションは自信作。感想教える」
呪文書の事は、無視か。
言っても無駄だな。
「二種類の味が有ったが、両方とも飲みにくくはなかった。値段が張りそうだから、俺は買わないが」
「……そう。味は大丈夫。値段はたくさん作れば安くなる。参考になる」
俺の感想を聞いた魔女は、何処かから紙を取り出し何かを書き込んでいく。
書き終えた途端、一言。
「……会計。一万三千ジール払う」
支払うまで、呪文書の事に触れないつもりらしい。
魔法倉庫から、一万三千ジールを出して魔女に渡そうとするが。
「……少し待つ」
カウンターの下から、昨日見たばかりの箱型の魔道具を取り出す。
「……代金はこの中に入れる」
言われた通りに、一万三千ジールを開口部に入れていく。
「はあ……ここも、代金を誤魔化す馬鹿が多い様だな」
溜息とともにこぼす。
「……知っているの? 入金の魔道具と馬鹿の事」
「昨日、武具屋でそれを使った。馬鹿の事は、愚痴混じりに聞かされた」
答えた後、溜息が出る。
原因は、その後の事を思い出したからだが。
『集計が終了しました。入金額は、一万三千ジールです』
集計が済んだ様だ。
カウンターの上に置かれているポーションを魔法倉庫にしまう。
「呪文書の事だが……一体どうなっている?」
魔女の目を見ながら、問い掛ける。
「それは……」
俺を見る目に一瞬だけ哀れみの浮かべると、目を逸らした。
「何か知っているのか? 答えろ」
確実に知っている筈だ。
そうでなければ、そんな態度はとらないだろう。
何としても聞き出さねば。
「答えろ! 今更、何を聞いても驚かない」
腐れ甲冑に身体を造り変えられている以上、それ以上の事があるとは思えない。
さっきより強い口調で、再度問い掛ける。
「……分かった。話す」
暫く何かを考えていた魔女が、話す気になったらしい。
「……“無能”でも使える、無属性の呪文書が使えない訳。結論から言う。アルテスが、“無能の中の無能”だから」
何だそれは。
「……只の“無能”は属性魔法が使えないだけ」
それぐらいは俺も知っている。
そこから言い淀む。
俺を見ながら続けるか迷った様だが、話を続ける。
「……“無能の中の無能”は、無属性魔法すら使えない。つまり……マナはあっても、無属性を含めた全ての属性の魔法が使えない。だから呪文書を使えなかった」
魔女が語った内容は衝撃的だったが、今の俺にとっては大した事ではない。
腐れ甲冑を手に入れる前だったら、絶望していただろうが。
「そうか。今の俺にはどうでもいい事だ。補う手は幾らでもある」
そう言い放った俺を、驚いた目で見る。
「魔法武具や魔道具、お前が作った魔法の巻物とかな」
そして、気闘法と混沌魔法も。
そう、心の中で続けた。
「そして……今まで生き延びてきた。死ぬのなら、とっくの昔に死んでいる」
そう言い、魔女に背を向け店を出る。
「……アルテス、また来る。待ってるから」
掛けられた声は、どこか艶っぽかった。




