第五十三話 毒入り飯と簔虫
ギルド長の部屋から出た俺は、イリアに引き摺られてきた道を戻る。
管理者に殴り飛ばされた後、運び込まれた部屋へ移動した。
部屋に入り、腐れ甲冑を除装。
腐れ甲冑を纏ったままで固まっている身体を、ゆっくり深呼吸しながら解していく。
次第に身体から疲労や微妙に有った、違和感が抜けていくのを感じる。
そうしている内に、扉が叩く音が聞こえてきた。
「食事をお持ちしました」
声と共に扉が開く。
ギルド職員の制服を着た男が、食事を載せた手押し車を押しながら入ってきた。
男は、俺の前まで手押し車を動かしてから、離れる。
「悪いな。助かる」
礼を言ってから手押し車を受け取り、寝台まで移動。
寝台に腰掛け、手押し車を側に寄せる。
手押し車に載せられた食事は、作りたてなのだろう。
湯気がたっている。
温かい物を食えるのはありがたい。
匙を手に取り、シチューを掬って口に流し込む。
普段食べているのと味付けが違うのだろう。
舌や口内に、辛い物を食べた時と違う刺激が広がっていく。
その刺激に食欲が増し、止まること無く食べ続ける。
『主、食事中申し訳ありません。食事に毒が入れられています』
腐れ甲冑からの警告。
取り敢えず、後にしろ。
今、飯を食うのに忙しい。
毒入りがどうした。
俺は何とも無いぞ。
『……主が無事なのは、生体改造の結果です。食事を運んできた男は唖然としていますが……』
やはりか……。
本当に人間で無くなっているとはな。
こんな事で実感したくは無かった。
余程変な物を食べない限り、問題が無いのはありがたい。
食べ物を無駄にしなくて済むのはいい事だ。
飯を受け取った場所に、視線を遣る。
腐れ甲冑の言う通り、飯を運んできた男が、唖然とした顔をして立ち尽くしている。
毒入りの飯を俺が美味そうに食っているからだろう。
取り敢えず、こいつの事は後回しだ。
飯を食うのを優先した。
そのまま、用意された毒入りの飯を味わいながら食い続ける。
『……』
腕輪を通して、腐れ甲冑の呆れ返った様子が伝わってきた。
飯を食い終った俺は、飯を運んできた手押し車を脇にやる。
そろそろ、毒入りの飯を運んできた男に礼をしてやろう。
飯に毒を入れるとは……ふざけた真似しやがって。
許してやる気は全く無い。
何か知ってそうだし、手足の一、二本で勘弁してやろう。
後でギルドに引き渡せば、何か情報が手に入るかもしれない。
右脚に、ブレイクナックルを装備しながら立ち上がる。
飯を運んできた男は、未だ動く様子が無い。
毒入りの飯を食った俺が平然としている事が、信じられないのだろう。
こちらとしては、都合がいい。
マナをブレイクナックルに込め、起動。
高速回転するブレイクナックルを、右脚を振り抜き男の脚目掛けて放つ。
「ブレイクシュート!」
放たれたブレイクナックルが、男の両脚を砕く。
そのまま、扉を破壊して壁に激突。
扉と壁。
これらを砕いた轟音が辺りに響く。
その中に、「キャア!?」という女の悲鳴が混ざっていた気がする。
それは、聞こえなかった事にしておこう。
両足を砕かれた男が、痛みに呻いている。
這いずりながら、何とか逃げようとしている。
無駄な足掻きだ。
俺が大人しく見逃すと思っているのか。
男に近付き、砕いた脚を踏みにじる。
「ギャアアアアアア!?」
激痛で絶叫する男。
だが、それも直ぐ途絶えた。
おそらく、痛みで気を失ったのだろう。
いい気味だ。
だが、その程度で気が晴れる訳が無い。
どうせ、こいつは手足に過ぎない筈だ。
毒を盛らせた奴を吐かさせないと。
魔法倉庫からロープを取り出す。
意識を失った男の手足を縛って拘束した上でぐるぐる巻きにして、蓑虫にしてやる。
それを、毒入りの飯を運んできた手押し車に括り付けておいた。
そこまで済ませ、砕けた扉と壁の様子を見て溜息を吐く。
粉塵が、舞い漂う通路。
床に散らばる、扉と壁の破片。
イリアがこの惨状を見たら、五月蝿いだろう。
「な、何よこれ!?」
声の方を見る。
何かが載せられている手押し車。
誰かが、床にへたり込んでいるが無視する。
蓑虫に放ったブレイクナックルを回収する為、通路に出た。
破壊した出来た穴を潜った、壁の向こう。
空き部屋なのだろうか。
調達品が何も無い部屋の中央。
機能を停止したブレイクナックルが、床に転がっていた。
それを拾い上げ、魔法倉庫に放り込む。
そして、この空き部屋を後にする。
瓦礫を避けながら戻ると、穴の向こうでイリアが仁王立ちしていた。
背後には当然の様に、口にするのを避けたい“あれ”が屹立している。
だが、今の俺に口にするのを避けたい“あれ”に対する恐怖は無い。
飯に毒を盛られ、腸が煮えくり返っている。
そして、触れるのなら、“あれ”を何とかする方法もある筈だ。
下位の魔族すら倒した。
なら、“あれ”も捩じ伏せて見せる。
具体的な方法は無いが、何とかなるだろう。
覚悟を決め、イリアが待ち受ける穴の前まで進む。
「何をやってるのかしら?」
開口一番、怒気が籠った声が飛んでくる。
「大した事はしていない。ただ、飯に毒を盛ってくれた馬鹿を制裁しただけだ」
食べ物を粗末にした奴を許す気はない。
殺して当然だ。
「大した事してるわ! それに、建物を壊す事は無いでしょう!!」
怒りにまかせて、両手を降り下ろすイリア。
勢い余って、押してきた手押し車にぶつけている。
載せている物は大丈夫だろうか。
イリアより、そっちの方が気にかかる。
蹲って痛みに耐えるイリアの背後から、“あれ”が曲剣でいきなり斬りかかってきた。
左肩口目掛けて、振り下ろされる曲剣。
反射的に一歩踏み込み、曲剣を持つ右腕を左腕で払う。
そこから更に一歩踏み込み、左腕を突きだす。
パイルバンカーを使う時の一連の動作。
幾度となく繰り返した為か、身体に刻み込まれてしまったらしい。
突き出した左手が、暖かく柔らかい物を掴んだ。
何だ?
左手に視線を遣る。
その先には、“あれ”の胸元。
“あれ”の右乳を握っていた。
視線を上げると、目を見開き、何が起こったか理解出来ていない“あれ”の顔。
感触の良さに、“あれ”の右乳から左手を離せない。
そうしている内に、漸く理解したらしい“あれ”の顔が赤く染まっていく。
『――!?』
声にならない悲鳴をあげた“あれ”は、驚く程の勢いで後退り、イリアの背後で消えていった。
撃退出来たのか……。
だが、あんな方法は無いだろう。
消える直前の“あれ”の目。
ごく最近、見た記憶がある。
何時だったかは思い出せないが。
思い出さない方が幸せかもしれない。
あれは、発情した女の目だった。
今度現れた時に、責任を取れと言われない事を祈ろう。
人間で無くなった俺でも、“あれ”相手に責任を取る積もりはない。
というか、取り様が分からないが。
そんな事を考えるよりも、やることは幾らでもある。
先ずは、蓑虫をギルドに引き渡さないと。
蹲って痛みに耐えるイリアは、そのまま放置しておく。
手押し車を押して蓑虫を引き摺りながら、ギルド長の部屋へ移動する。
途中、幾度も奇異な目で見られるが無視しておく。
気にしても仕方無い。
さっさと蓑虫を引き渡して、情報を引き摺り出さないと。
現状では何も出来ない。
少しでも状況が動けば、俺も動きようがある筈だ。
ギルド長の部屋の扉を開け、蓑虫を引き摺りながら中に入る。
書類の決裁をしていたらしいギルド長に非難する目を向けられるが、無視しておく。
俺の用の方が重要な筈だ。
「何か知ってそうな蓑虫を連れてきた。悪いが尋問してくれ」
手押し車に括り付けたロープをほどき、蓑虫をギルド長の前に引き出す。
「……確かに蓑虫だな。何故、彼は蓑虫になっているのかね?」
ギルド長が、こめかみを押さえながら聞いてくる。
何故蓑虫なのかが、理解出来ないのだろう。
「こいつが、毒入りの飯を食わせてくれたからさ。食べ物を粗末に扱った奴には、良い罰だと思うが。おまけに両脚を砕いてやったから、逃げられる心配も無い」
ギルド長が、蓑虫を見て眉をしかめつつ溜息を吐く。
「取り敢えずは生きているから、大目に見てくれ」
「しかし……毒入りの食事をして、よく生きているな。しかも、全て綺麗に食べているとは……」
手押し車に載せている食器を見たのだろう。
感心なのか呆れなのか。
俺には判断がつかない。
「どうやら、俺は毒に強いらしいな。お陰で、新しい味わいを発見出来たが」
流石に、腐れ甲冑に生体改造されたからと馬鹿正直に言う気はない。
どうせ、言っても信じないだろうから。
納得するかは分からんが、これで押し通すしかない。
「……」
胡散臭げな視線を向けてくるギルド長。
やはり納得してない様だ。
「……ところで、俺の飯は誰が持ってくる筈だったんだ?」
あまり追及されたくないので、無理矢理話を変える。
「……それは、君の管理官に指示しておいた。何か有ったかね?」
「分かった。蓑虫が何か吐いたら教えてくれ。それまで、部屋で大人しくしておく」
そう言って、ギルド長の部屋を出た。
果報は寝て待つか。
ギルド長が情報を引き摺り出すのを、飯でも食いながら待つとしよう。
一時的に宛がわれた部屋へ、俺は戻っていった 。
 




