第五十一話 引き渡し
女エルフを抱え、通りを駆け続けている。
追い掛けてくる者はいない。
ただ、様子を窺っていただけの様だ。
大通りに入り、行き交う人からは奇異な視線を向けられる。
当然か。
武装した血塗れの者が、人を抱えて駆けているのだから。
遠目に、ギルドの建物が見えてくる。
ようやく、目的地に着いたらしい。
近づくにつれ、広場の様子が見えてくる。
警備員が篝火を焚き、ダンジョンの入口付近で、何かを十重二十重に包囲している様だ。
その何かとは、おそらく管理者と守護者、そして淫乱メイドの三体の魔族だろう。
警備員達も、中位以上の魔族三体を相手に無謀な戦闘をするつもりは無いらしく、包囲したまま動きが無い。。
流石に、奴等も命は惜しい様だ。
余程の馬鹿か命知らずで無い限り、魔族と戦いはしないだろう。
もし戦っても、戦いの先に待つのは、確実な死。
それを考えると、俺が下位とはいえ魔族に勝てたのは奇跡と言える。
包囲は厳重で、蟻が入り込む隙間も無い。
どうやって、管理者の所まで行くか。
包囲を飛び越える位しか、俺には思い付かない。
だが、幾ら気で身体を強化しているとは言え、あれを飛び越えるのは不可能。
ましてや、人一人抱えている。
俺の力では、どのみち不可能な芸当だ。
このまま、強行突破するしかないか。
ギルドを敵に回す事になるが、仕方無い。
愛剣再生の為、諦めよう。
お尋ね者になる覚悟を決め、パイルバンカーの長槍に気を集中させようとした所で、久しぶりの声が脳裡に響く。
『待て』
“レイ”か。
今は、お前の相手をしている暇は無い。
引っ込んでろ。
『そんな事言っていいのか? 折角、この状況を何とかする方法を教えてやろうと思ったのだが……』
何!?
ちょっと待て。
そんな方法があるのか?
『時間が無いから、私の指示に従え』
分かった。
“レイ”と話しながらも、広場を駆け続ける。
『足に気を集中させろ』
言われた通り、足に気を集中させる。
俺の拙い制御では中々上手くいかないが、何とか集中出来た。
眼前に、警備員の包囲が迫っている。
少しでも気を緩めたら、足に集中させた気が霧散しそうな状態。
これから、どうしたらいい?
“レイ”に問い掛ける。
『待て……よし、飛べ。同時に、足に集中させた気を放出しろ』
指示通り、踏み切ると同時に足に集中させた気を放出する。
風を切る感覚と同時に感じる浮遊感。
下を見ると、包囲している警備員の頭上を飛び越えているのが分かる。
『まあ……初めてにしては上出来か』
勝手に論評するな。
俺からしたら、出来た事事態が奇跡だ。
それより、着地はどうする。
『安心しろ。必要になったら指示する。取り敢えずは、足に気を集中させておけ』
上昇から下降――落下し始める。
落下速度が上がり、石畳が目前に迫る。
『もう一度、足に集中させた気を放出しろ』
直ぐに、集めた気を放出。
落下の勢いが、一気に衰えていく。
そして、何かを砕く音と共に着地。
足に強い衝撃を受け、姿勢を崩す。
女エルフを抱えている手を使えないので、膝を突いて無理矢理姿勢を整える。
「無茶したか……」
着地の衝撃だろう。
足と膝に痛みが走る。
「……」
大人しくなっている女エルフを、そっと石畳に降ろす。
魔法倉庫からヒールポーションを取り出し、一気に飲み干す。
ヒールポーションの効果か、痛みが急速に引いていく。
「ふう……んっ?」
辺りは静まり返り、物音一つ無い。
警備員達が、驚いた表情で一言も発しない。
この様子に首を傾げている俺に、声が掛かる。
「遅かったわね」
声がした方に視線を遣る。
管理者が、左右に守護者と淫乱メイドを従えて立っていた。
守護者と淫乱メイドは、自分達を包囲している警備員達を警戒して、何時でも迎撃出来る体勢をとっている。
そんな事をする必要が無い位、あいつらは強い筈だが何を考えているのか。
多分、管理者に対して仕事をしていますというふりをしているのだろう。
魔族の考えている事など、俺に分かる訳無いか。
「随分なご挨拶だな。道が混んでいたんだ」
「彼女と一発ヤっていたのではありませんか?」
女エルフを抱え上げた淫乱メイドが、真面目な顔をしてふざけた事をほざく。
「今の俺の姿を見てから言え。血塗れの男相手に、自分からヤらせる女はいないと思うが。発情しているのなら、さっさと帰って自分で慰めてろ。この淫乱メイド!」
今なら、言いたい放題言っても、殺される事は無いだろう。
「……公衆の面前で性的に罵倒されるのも、中々良いものですわね……。今度、公開プレイをしませんか?」
真面目な表情で、発情したらしい淫乱メイドが非常識な提案をしてきた。
だが、俺にはそんな趣味は無い。
これは、何処をどう突っ込めば良いのか。
斜め上の返しに、思考が止まりかける。
だが、負ける訳にはいかない。
「この露出狂の淫乱メイドが!! 一人で勝手にヤってろ!」
「夫婦漫才はいい加減にしなさい」
凍えた声が、話を断ち切る。
管理者は勿論、守護者もまた、こちらを凍てついた目で見ていた。
特に守護者は、今にも背後に鬼女が出現しそうな気配を漂わせている。
どうやら、淫乱メイドの調子に乗せられていた様だ。
「誰と誰が夫婦だ。夫婦漫才などやっていない。俺にも相手を選ぶ権利はある。それより、そこの淫乱メイドを何とかしろ」
立ち上がりながら、管理者に従者の管理責任を問う。
「……そうね、減俸一ヶ月かしら」
考える振りすら無く、あっさりと淫乱メイドの処分が決める管理者。
「そんな……お嬢様、考え直しを……」
淫乱メイドが、処分に焦って、管理者に縋る。
だが、管理者は処分を考え直すつもりは無いのか、無視している。
こいつらは、月毎の給与制だったのか。
俺にとってはどうでもいい事だが、ある意味驚愕の事実だ。
それは置いておいて、本題を進めなければ。
「取り敢えず……引き渡したぞ」
淫乱メイドに抱えられている女エルフに視線をやりつつ、確認を促す。
「……確かに、本人ね。街を更地にして探す訳にはいかなかったから、助かったわ」
警備員達にとって、知らなければ良かった事をあっさりと言う。
視界に入っている警備員達が、それを聴いて顔を青ざめさせている。
俺も、その気持ちは理解出来る。
そうでなければ、奴隷商を襲撃などしない。
「後、店の奴等は全滅出来ていないが、問題は有るか?」
外出していたらしく、全員殺れていない。
管理者が言っていた、エルフとの戦争云々に影響が無ければ良いが。
「最悪、店の主さえ始末していれば問題無い筈だけど……」
おとがいに手をあてて、思案する管理者。
「多分、大丈夫だと思うわ。貴方に復讐しに行くかもしれないけど、その時は随時処分して」
「いい加減な……こっちの事も考えろ。まあ、練習用の殺してもいい的と思っておくさ」
他人が聞いたら酷いと思う事を平然と話す。
まあ、襲ってきた奴等を全て皆殺しにしてきた俺が言っても説得力は無いが。
「もう……そっちの用は済んだだろう。そろそろ、ダンジョンに帰った方がいいと思うが」
「そうね、戻りましょうか。……二人とも、戻るわよ」
「はっ」
「分かりました、お嬢様」
三体の魔族は管理者を先頭に、女エルフを連れダンジョンに戻り始めた。
「もう二度と、厄介事を押し付けるな……と言うか、俺の前に姿を見せるな」
二度と関わりたくないという、心からの願い。
その背に向け、言い放つ。
掛けた声に反応したのか。
管理者が二人を先に行かせ、自分だけが此方に戻ってくる。
何故か、異様な気配を纏って。
額に青筋を浮かべ、目を釣り上げ、金色の髪を逆立てて、肩を怒らせている。
何か……怒らせる様な事を言っただろうか。
「あ、な、た、ね! 忘れているのかしら……くっころさんの事?」
そう言いながら近付いてきた管理者は、俺の首根っ子を両手で掴むと前後に揺さぶり始めた。
「い……いっ……た……い……な……ん……だ……!?」
首根っこを揺さぶる腕を止めようとするが、俺の力ではびくともしない。
次第に激しく揺さぶられていく中、途切れ途切れに理由を問う。
「……」
答える気の無い管理者の背後に、朧気な何かが出現する。
それは、揺さぶられる強さが増す度に、姿がはっきりしてきた。
頭部の左右に、一対の角。
蜥蜴に似ているが、鋭い牙で全てを噛み砕きそうな顎を持つ顔。
背中に、薄い膜を張った様な翼。
全てを凪ぎ払いそうな太い尾。
もしかすると、話で聞いた事しかない伝説の魔獣――竜なのだろうか。
その竜らしきものは、管理者が俺を揺さぶる度に、咆哮を重ねる。
そして、俺の首も次第に絞まっていき、意識が朦朧としていく。
ああ、青い空が見える。
俺は、ここで死ぬのか。
全身から力が抜けていく。
首から管理者の手を外そうとしていた俺の手も、当然ながら力を失う。
揺さぶられ続けている事により、管理者の手から離れた俺の両手。
それぞれが、柔らかい何かに受け止められる。
「な、な、何してるのよーーー!?」
その羞恥混じりの悲鳴に、失いかけていた意識を取り戻す。
柔らかい感触。
それを感じる、両手の掌の先に目を遣った。
そこには、以前俺を窒息させ意識を失わせた、管理者の二つの巨大かつ柔らかい凶器が鎮座している。
「何時まで触っているのよ!!」
青筋を更に太くし、顔を羞恥に染めた管理者が、怒りに満ちた右の拳を左頬にぶち込んできた。
かろうじて見えた拳閃。
それ故に、回避は不可能。
その直撃を喰らった俺は、凄まじい勢いで右に飛ばされていく。
殴られた瞬間に掛けられた言葉。
「貴方には、キツいお仕置きが必要みたいね!」
凄まじい怒りが込もっていた。
管理者め、自分が原因だろう。
前に、自分からその無駄に大きい胸を人に押し付けておきながら、事故で触られたら殴り飛ばすとは。
理不尽だ。
そう思った瞬間、何かと激突。
何か硬いものが砕ける音が響き、全身に激しい衝撃を受けた俺は、そのまま意識を手放す。
このままあの世に行かず、また目を覚ます事を何かに願った。




