第四十八話 くっころさん
パイルバンカーを作動させ鬼女に止めを刺す瞬間、左からの衝撃を受けて弾き飛ばされる。
「!? ……ぐっ」
体勢を立て直す事すら出来ず床に叩き付けられ、そのまま床を転がり続ける。
一体、何が起こった?
『左からの強力な火属性爆発魔法による攻撃を確認。これは、可動盾により防御されました。この防御行動で、可動盾はマナ涸渇による稼働限界を迎えたので収納しました。マナ回復までの間、可動盾は使用不可能です』
この状態でも、変わらず答えを返してくる。
しかも、嬉しくない報告付きで。
死に掛けの鬼女に、魔法は使えないだろう。
おそらく、新手だ。
それも、鬼女より遥かに強い。
「ごふっ……」
背中に強い衝撃。
肺の中の空気が、強制的に吐き出される。
何かは分からんが、硬いものに叩き付けられた様だ。
呼吸を整えながら、状況を確認。
左右は、壁が延びている。
俺は、壁にぶつかったお陰で停まったらしい。
正面は、壁に身を預けている鬼女。
その傍らには、何か分からんが人らしきものが立っている。
こいつが、俺をぶっ飛ばしてくれた新手だろう。
立ち上がろうとするが、右腕の“ブレイクナックル”のせいで立ち上がれない。
“ブレイクナックル”を収納し、何とか立ち上がる。
だが、そこから動けない。
これまでの無理による損傷が、思ったより大きい様だ。
壁に叩きつけられた事で、錬気も止まっている。
その程度で錬気が止まるとは、まだ身に付いていないらしい。
取り敢えず、反省は後回しだ。
まだ、戦闘は終わっていない。
戦える状態にしなければ。
魔法倉庫からヒールポーションとマナポーションを取り出し、一気に飲み干す。
空瓶を魔法倉庫に放り込み、錬気を始める。
産み出した気を循環させ、身体を強化、活性化。
魔法倉庫から長剣を取り出し、鞘から抜く。
ここまでして気付く。
何故、追撃が無い?
俺を殺るなら、絶好の機会だった筈。
そう疑問に思いながらも、鬼女に止めを刺して新手を倒す為に動く。
闘争本能と破壊衝動の求めるままに。
近付くにつれ、様子が分かってくる。
何処かで見た覚えのある黒いメイド服を着た女――おそらく魔族だろう――が、半死半生の鬼女を台らしきものに載せていた。
メイドが何かしら呟くと、鬼女に翳している手が輝く。
回復魔法か!?
回復される前に、鬼女に止めを刺さなければ。
俺は魔族二体を相手にして、生きて帰れるとは思わない。
せめて、鬼女だけでも殺っておけば、生きて帰れる可能性がほんの僅かでもできるだろう。
僅かな可能性に賭け、全力で駆ける。
そして、鬼女の側に辿り着くが、その異様な光景に動きが止まった。
一足……いや、既に遅かった様だ。
苦労して与えた傷は、完全に癒されている。
意識を失ったまま、口を塞がれ、台らしきものに手足が拘束されている鬼女。
装備していた武具は脱がされ、さほど大きくない胸――どちらかと言うと小さい――と下腹部を辛うじて覆う僅かな布地の下着だけの姿。
一体……どういう事だ。
訳が分からない。
だが、そんな事を気にしている余裕は無い。
鬼女を殺っても、まだメイド服の奴がいる。
意識の無い今の内に、止めを刺して数を減らさなければ。
パイルバンカー――その長槍の先端を、鬼女の頭に向ける。
「改めて……死ね」
宣言と同時に、パイルバンカーの作動ボタンを押す。
風切り音と共に、長槍が打ち出される。
鬼女の頭に風穴が空き、続けて体液を撒き散らしながら弾け、破壊される事を確信した瞬間。
鬼女の額に魔法陣が輝きながら現れ、長槍の動きが止まる。
「チッ……一体、何が起こった?」
「それは、私がご説明致します」
俺の疑問に、聞き覚えのある声が答える。
パイルバンカーを鬼女に向けたまま、声のしたを向く。
其処には、見覚えのある黒いメイド服を着た女魔族が、静かに佇んでいた。
その姿と声から、目の前の女魔族が何者かを思い出す。
確か、管理者の従者……同僚からは淫乱メイドと呼ばれていたか。
前に会った時と違い、冷静沈着で有能なメイドに見える。
「何故、管理者の従者が邪魔をする!」
淫乱メイドを睨みつけながら、詰問する。
「それは……お嬢様の指示です。無駄な攻撃で、貴方を消耗させない為と伺っておりますが」
鬼女を殺ろうとするのが無駄だと。
どういう事だ。
何かしら知っているのだろう。
「知っている事を教えてもらおうか」
鬼女に向けていたパイルバンカーを淫乱メイドに向け直し、尋ねる。
気配から、鬼女など比較にならないと分かる。
最低でも中位以上の魔族と対峙している現状。
戦闘になった場合、何の保険にもならないだろう。
だが、最強の武器を向けておくだけでも、淫乱メイドに対する精神的不安を和らげる位には役に立つ。
「分かりました。説明させていただきます」
パイルバンカーを向けても、動じる様子が全くない。
淫乱メイドの、この一言から始まる説明。
俺は大人しく聞くことにした。
「先ずは結論から、申し上げます。彼女に止めを刺す事は不可能です。彼女は“くっころさん”になりましたから」
「はぁ?」
淫乱メイドの語る結論を聞いた俺の口から、間抜けな声が漏れる。
“くっころさん”とは、一体何だ。
俺の疑問が、顔に出ていたのだろう。
それを見た淫乱メイドが口を綻ばせ、説明を続ける。
「どうやら、先ずは“くっころさん”の説明が必要みたいですね。“くっころさん”とは、簡単に言えば戦いに破れた女が「くっ、殺せ……」等、自らに止めを刺す様に促した場合になるものです。この認定は、戦女神アテナ様や狩猟の神アルテミス様がなされています。“くっころさん”になった女は、女神の加護により殺せなくなります。先程、貴方も体験した様に」
つまり、女神に護られているから、止めを刺せないという事か。
俺の内の破壊衝動は、鬼女を殺せと叫び続けているというのに。
止めを刺せない以上、何時までもここにいる理由は無い。
だが、淫乱メイドの説明はまだ続く。
「……、という訳で女を“くっころさん”にした者は、その“くっころさん”を自分の性奴隷にしなければなりません。貴方の槍で彼女を征服して、貴方の性奴隷にして下さい。準備の方は、私が既に整えております。という訳なので、さっさと彼女を猿の様に犯りまくって、雌奴隷にしちゃって下さい」
それまで真面目な姿勢を崩さなかった淫乱メイドが、最後の一言でそれまでの雰囲気が一変。
その本性を現したのか、肌を上気させ、発情した様子を見せる。
淫乱メイドは俺と鬼女を交互に見て、はやく犯れと視線で俺に促す。
だが俺は、淫乱メイドの思い通りにする気は無い。
これ以上、こいつに付き合うのは時間の無駄だ。
そう判断した俺は、淫乱メイドと拘束されている鬼女を無視して、“ブレイクナックル”を回収していく。
回収し終えたのを確認し、主の間から出る為に歩き出す。
扉に近付いた所で、目の前の空間に歪みが生まれる。
その歪みは急速に拡がり、主の間の扉と同じ位の大きさになった。
「何だ!?……これは?」
驚いている内に、歪みの中に人影らしきものが二つ現れる。
それらは次第に大きくなり、俺の目でも何なのか分かった。
見覚えのある……数日前にも会ったばかりの魔族。
このダンジョンの管理者とその守護者だった。
まあ、ゴブリン駆除をさせたばかりの俺に用は無いだろう。
もし、俺に用があったとしても無視だ。
あいつらに関わったら、碌な事は無い。
そう判断し、歪みを避ける様に扉に向かう。
……が、二、三歩歩いた所で、進めなくなった。
何かに襟首を掴まれたらしい。
確認して、真っ先に目に入ったのは金属製の手甲に覆われた腕。
その先に視線を動かしてから、見なければ良かったと後悔する。
額に青筋を浮かべた、管理者の守護者が立っていたのだ。
微笑んでいるものの、目は全く笑っていない。
どちらかと言うと、凍てついた氷河の様だ。
「……何処へ行く? お嬢様がお呼びだ。さっさと来い」
凍てついた声。
それと同時に、守護者の背後に鎧を纏う長剣を構えた鬼女が現れた。
その鬼女を見た瞬間、本能が訴える。
奴に逆らうな。逆らうと死ぬと。
破壊衝動は、イリアの時と同様に沈黙している。
背筋から感じる、凍り付きそうな恐怖。
大人しく、管理者の下に行く方が良さそうだ。
こうなる事が分かっていたから、あの淫乱メイドは俺の行動を妨害しなかったのか。
いつか、このお礼をしてやる。
そう考えている間に、守護者に管理者の前まで引き摺られていた。
「……私の前から逃げようとするなんて、いい度胸してるわね?」
満面の笑顔で話し掛けてくる管理者。
ただし、目は守護者同様、いやそれ以上に凍てついている。
守護者の様に、背後に鬼女を浮かべていないだけまだましか。
もし背後に鬼女を浮かべていたら、俺の命もそれまでだろう。
生存本能が、最大級の警笛を鳴らす。
「いい度胸? 俺に用など無い筈だ。俺は、あんたらに用は無い」
取り敢えず、惚けつつ言いたい事だけ言っておく。
「用が無かったら、こんな所に来ていないわ。暇などないのに、貴方のお蔭で用が出来たのよ」
次第に、管理者の機嫌が目に見えて悪くなっていく。
管理者が、わざわざ出て来る用事。
思い当たる事は、何も無い。
考えるより聞いた方が早いか。
「俺が何をした?」
「何をしたですって!? 一度、お仕置きした方がいいみたいね! それは置いておくとして……貴方ね、“くっころさん”を作っておいて放置するなんて、何考えているの!!」
肩を震わせ、叫ぶ管理者。
相当お怒りの様だ。
目は鬼女の様につり上がり、怒りに満ち溢れている。
背後に鬼女を背負っていないだけ、まだましか。
突然、大声で叫ばれた為に対応が遅れ、耳を押さえ損ねた。
その結果、大声の直撃を受けた耳が痛い。
「悪いが……奴隷など必要無い。ましてや、俺の寝首をかくか分からん奴隷などな!!」
お返しに、俺も怒鳴り返す。
その勢いのまま、畳み掛けるように続ける。
「俺の状況も考えろ! 先ず、奴隷を食わせる金は無い。それ以前の問題だが、アレを連れて戻った時点で街は大騒ぎになる。その辺はどう考えているんだ?」
街が大騒ぎの所で、何かに気付いたらしい管理者の顔から怒りが次第に消えていく。
そして、何かを考え始めた。
女……特に美人の怒った顔を見て、いい気分にはならない。
美人の怒った顔を見て喜ぶ奴もいるらしいが、俺にはそんな嗜好は無い。
普通にしてるか、笑っている方が目の保養になる。
女を怒らせたら、後が面倒だ。
怒らせないのが最善だが、譲れない所は譲る気は無い。
取り敢えず、奴隷云々について言うべき事は言った。
後は、何か考えているらしい管理者に全て押し付けるか。
主の間を出ようと動き始める。
だが、一歩踏み出した所でまた進めなくなった。
「……襟首を掴まれたままなのを忘れていないか?」
背後から聞こえる、凍てついた声。
「ああ……忘れていたな」
管理者に集中していた上、気配を一切感じられ無かったからすっかり忘れていた。
淫乱メイドの抑えた笑い声が、背後から聞こえる。
俺と守護者、どちらを笑っているかは分からない。
もしかしたら、両方かもしれないな。
守護者は無視している様だが。
「お嬢様の許可無く、この場を去る事は許さん」
管理者同様、お仕置きするとでもいうのだろうか?
余計な事を言ったら、碌な事にならないのは分かっている。
「許可も何も、あの状態では話し掛けても無駄だろう」
指で、管理者を指し示す。
その管理者は眉間に皺を寄せ、唸ったまま。
時折、あの計画が……とか、エルフの……とか断片的に呟いているのが聞こえる。
エルフ……その言葉を聞いた瞬間、何故か嫌な予感がした。
腐れ甲冑を手に入れてから、嫌な予感が外れた事は無い。
ゴブリン駆除の時の様に、碌な事にならないだろう。
そう思うと、本気で逃げたくなる。
俺の襟首を掴んでいる守護者も、おそらく中位以上の魔族の筈。
俺ではどう足掻いても、逃げ出す事は不可能。
諦めて、これから起こる事を受け入れるしかない。
「……何とかなったわ」
唸りながら何かを考えていた管理者が、顔を上げる。
そのまま俺の方を向き、疲れを隠せない表情のまま、とんでもない事を言った。
「今晩、ある奴隷商店を襲撃して欲しいの」




