第三十七話 ゴブリンの集団
「暇だ……」
赤褐色のゴブリンを倒してから、十分が過ぎた。
未だに、迎えが来ない。
このまま、岩肌の壁を眺めながら待っているのも厭きた。
はっきり言って暇だ。
ぼんやりと考えている内に、喉が渇いてくる。
だが、水筒の水を飲むのは止めておいた方がいいだろう。
流石に二、三日前に入れた水を飲んで、腹を下したくはない。
マナは、さっきの戦闘で半分以上を消費している。
水の代わりにマナポーションを飲んでおくか。
魔法倉庫からマナポーションを取り出し、栓を抜く。
そのまま口をつけ、一気に飲み干す。
飲み終わってから気付いたが、味が違う。
今まで飲んでいた物は、味がなかった。
だが、このマナポーションからは柑橘類特有の甘味と酸味を感じた。
具体的にはオレンジ味。
何が違うのかを確認するため、マナポーションの瓶を見てみた。
瓶には普通のにはない、貼り紙が付いている。
そこには、こう記されていた。
当たり オレンジ味
試作品の為、飲んだ感想を教えること
……魔女め。
売り物に、商品で無い物を混ぜてやがった。
俺は、実験動物ではない。
戻ったら、このマナポーションの分を回収に行かないと。
ダンジョンから生きて出る理由がまた一つ増えた。
とは言え、俺にはこの広間から出る手段が無い。
もうしばらく、あの女魔族が来るのを待つしかないだろう。
マナポーションを飲んでから、どれぐらい経ったのか。
時間の感覚が失なわれてきている。
一時間か。
半日か。
一日か。
完全に分からなくなった。
何時になったら、此所から出られるのだろう。
ただ、空腹感はない。
やはり、甲冑に身体を弄られたせいなのだろうか。
何をどうされたのか、全く分からない。
その事を考えると不安になるから、敢えて考えない様にしてきた。
迷いがある状態で戦闘になったら確実に死ぬ。
それは、俺自身よく判っている。
ただでさえ死線を越え掛けている俺にとって、死を招くだろう余計な事を考える余裕は全く無い。
だが、何も出来ない現状では、どうしても考えてしまう。
不安が脳裡を過る。
現時点で判っているのは、以前より疲労しにくくなった事のみ。
俺が知らないだけで、他にもあるのだろうか。
その内判るだろうが、今直ぐそれを知る方法は無い。
甲冑も決して教えはしないだろう。
これについては、今後も様子を見ていくしかない。
岩の壁をぼんやりと眺めながらそんなことを考えていると、正面の岩肌の壁に突然亀裂が入った。
亀裂は正面の壁全体に拡がっていく。
そして、轟音と共に壁が崩れ落ちた。
「一体何が起きている!?」
その光景に唖然とする。
壁が崩れ落ちた事により、砂埃が舞い上がり視界が遮られた。
その立ち込める砂塵を貫き、風切り音と共に多数の矢が俺に向かってくる。
「くっ」
砂塵のせいで反応が遅れてしまった。
既に、矢は目前まで迫っている。
今からでは、シールドの魔法と巻物は間に合わないだろう。
咄嗟に矢に対して半身になり、頭部と胴体だけでもと盾を構え、飛んでくる矢を防ぐ。
矢が当たる衝撃が連続して、盾と左脚から伝わってくる。
左足から痛みを感じるが、我慢すれば動けないことは無い。
それが続き、暫くしてから不意に途絶えた。
おそらく、矢が尽きたのだろう。
「もう来ないか……」
構えている盾の右端から、顔を少しだけ出して確認。
巻き上げられていた砂塵は消え去り、崩れた壁の向こうが見える。
そこには、ゴブリンの集団が武器を構えて並んでいた。
その中に、俺に矢を雨あられの様に放っていただろうゴブリンどもは見当たらない。
奥には稀少種だろうか。
一回り大きなゴブリンが四匹、更に頭一つ大きなゴブリンを護る様に立っている。
肌の色はそれぞれ、赤銅、青銅、黄銅、赤黒。
武器もまた、大剣、大弓、大斧、棍棒と変化に富んでいる。
矢を雨あられの様に放っていたのは、おそらくこいつだろう。
他に弓を持つゴブリンがいない。
あの一番大きいゴブリンが集団のリーダーなのだろう。
漆黒の肌。
俺では持ち上げる事も出来そうに無い大剣を手にし、頭には金色の冠を載せている。
全体を一見しただけで、軽く百匹以上はいるのが窺えた。
無闇に突っ込んだら、魔法の補助が有っても確実に死ぬ。
「はぁ……」
この数の暴力を相手にしないといけないのか。
それを想像するだけで、溜息が出る。
生き延びる為には、どうしたらいいか。
カオス・ボルトの薙ぎ払いでも、一発で全て倒せる気がしない。
何時もの様に角まで下がり、シールドの魔法で防御しながら、少しずつゴブリンを削っていくしか無いだろう。
まだゴブリンどもに動く様子は見られない。
今のうちに下がっておこう。
魔法倉庫からシールドの巻物を取り出し、直ぐに封を切る。
効果の発動を確認せずにゴブリンの集団に背を向け、そのまま角に向かって駆け出した。
同時に背後から響いてくる、ゴブリンの集団の雄叫びと足音。
狙い通り動いた事に、ほくそ笑む。
流石に、全てのゴブリンが動くとは思わない。
稀少種や王もいる。
たった一人に総掛かりという無駄はまず無いだろう。
追い掛けてきているのは、精々十匹位の筈。
そう思いつつ、移動中に取り出していたシールドの巻物の封を切る。
角に辿り着いた所で、追い掛けてきたゴブリンどもに向き直る。
「……これは、予想以上だな」
目の前にいるゴブリンは二十匹以上。
これ程の数が追い掛けてくるとは思わなかった。
そのゴブリンどもの目が赤く染まっている。
「チッ……」
これまで倒してきたゴブリンとは何かが違う。
具体的にどう違うかは、上手く答えられないが。
言えるのは、確実に強いだろうという事だけ。
最悪の状況だが、やるしかない。
魔法倉庫から長剣を取り出し、右手に持つ。
剣身はボロボロ。
長くは保たないだろう。
折れたら、次を出して使えばいい。
使い捨ての物と割り切る
普通に戦っても、まず生き残れないだろう。
それなら、常識をゴミ同様、捨てればいい。
手近なゴブリンに接近し、右手の長剣をその顔面を狙って突き出す。
長剣は狙い通りゴブリンの顔面に突き刺さるが、根元から折れる。
「チッ……」
予想通り、折れる長剣。
だが、たった一匹殺っただけで折れたのは想定外だ。
読みの甘さを今更言っても仕方無い。
再び、魔法倉庫から剣を取り出し構える。
この剣もまた、ボロボロだ。
以前倒したゴブリンからの戦利品だから仕方無いが。
ゴブリンどもは、盛んに攻撃してきている。
だが、二枚の光輝く盾により、完全に防がれている。
ゴブリンの武器と魔法の盾が掻き鳴らす音が、耳に響く。
五月蝿いが、今は耐えるしか術がない。
こいつらを全て倒すまでは。
取り敢えずは、目の前の奴らから片付けよう。
片付け終わるまで魔法の盾が保つ事を信じて、ゴブリンどもの中に突っ込む。
当たるを幸いに、ボロボロの剣を叩き付け、パイルバンカーをゴブリンどもの頭に叩き込んでいく。
何度目か分からない、ゴブリンの武器と魔法の盾の激突。
左側を防御していた魔法の盾が砕け散る様が、視界に映った。
「チッ……」
魔法の盾を砕いたゴブリンのがら空きの左胸に、右手の剣を突き立ててやる。
魔法の盾を砕いてくれた礼だ。
左胸に剣を突き立てられたゴブリンは、持っていた長剣を手から落とし、悲鳴を上げながら光に変わっていった。
ゴブリンに突き立てた剣もまた、寿命がきたのだろう、根元から折れてしまう。
「チッ」
折れた剣の柄を目についたゴブリンに投げ付けておく。
シールドの巻物を魔法倉庫から取り出そうとした所で、足元に突き立っている剣を見付ける。
魔法の盾を砕いたゴブリンが使っていた長剣。
次に使う武器はこいつにするか。
砕かれた魔法の盾の補充をするため、取り出したシールドの巻物の封を切る。
その発動を確認せずに、床に突き刺さっている長剣を引き抜き、剣身の状態を確認。
これまで戦利品として手に入れた物とは、比べ物にならないほど状態がいい。
こいつなら多分、全て倒すまでは折れないだろう。
口許が歪んでいるのが、自分でも分かる。
これで、武器が壊れたら取り替える手間を掛けずにすむ。
辺りを見回し次の獲物を探すが、見当たらない。
どうやら、気が付かない内に追い掛けてきたゴブリンどもを倒したか逃げられたかした様だ。
まあいい。
崩れた壁の向こうには、ゴブリンどもがまだ沢山いる。
直ぐに新手が来るだろう。
そう思い直し、ゴブリンどもがやって来た方を見る。
武器を構え、叫び声を上げてこちらを見ているものの、やって来る気配がない。
……やむを得ないか。
魔法の盾の効果時間も、そう長くはない。
こちらから行くか。
危なくなったら、後退すればいい。
ゴブリンどもへ向けて、歩き始める。
魔法倉庫からシールドの巻物を取り出し、左手で封を切った。
巻物が発光し、魔法の盾が出現。
ゴブリンどもと十歩程の距離に近付くまでに、四枚の魔法の盾を追加した。
これで、暫くは保つだろう。
砕かれたら、後はカオス・シールドの魔法で何とかするしかない。
見ただけでウンザリする数のゴブリンの集団。
醜悪な顔。
何を言っているか分からない雄叫び。
さっさと片付けてしまおう。
右手に持つ長剣に、エンチャント・カオスを掛けた。
虹色の輝きが、長剣の剣身に宿る。
それを確認してから、ゴブリンの集団に向けて駆け出す。
近付くにつれ、ゴブリンどもの表情がよく見えてくる。
その目は一様に、単騎で突っ込んでくる俺を嘲笑っている様だ。
侮ってくれるのはありがたい。
エンチャント・カオスを付与した武器の威力に驚愕し、恐怖してくれ。
俺も、お前たちを始末するのが楽になる。
先程と同様にゴブリンどもの中に入り込み、虹色に輝く長剣を薙ぐ様に振るった。
二、三匹のゴブリンが胴から上下に真っ二つになり、上の部分が後ろに落ちていく。
それを見たゴブリンどもの表情に、恐怖の色が浮かぶ。
盛んに上げていた俺を嘲る叫び声も、水を打った様に静まった。
近くにいた怯んだゴブリンに接近。
虹色に輝く長剣を叩き付け、左右に真っ二つにする。
直ぐに、次の獲物を物色。
六匹が固まっているのを見付け、そこに突っ込んでいく。
途中にいるゴブリンどもを、虹色に輝く長剣とパイルバンカーで始末しながら接近。
仲間を簡単に殺しながら接近する俺に、恐怖で身がすくんだのだろう。
動きの鈍い六匹のゴブリンを、一撃づつで仕留める。
そして、また次の獲物を探す。
それを繰り返し、ゴブリンを大体三分の一にまで減らした所でそれは起こった。
突然、俺から十歩程先の所に眩い光が現れたのだ。
その光が急速に大きくなり、視界を覆い尽くす。
咄嗟に盾を翳し、目が眩むのを防ぐ。
下を見て、光が治まるまで待つ。
暫くして、光の奔流が途絶え、蒼い甲冑に包まれた脚部が見える。
もういいだろう。
翳していた盾を戻し、周囲を確認する。
俺を取り囲んでいたゴブリンどもと、奥にいた稀少種のゴブリンがいなくなっていた。
何処へ消えた。
いや、どうやったら音も立てずに消えることが出来るんだ。
疑問を覚えた所に、背後から何者かの気配を感じて振り返る。
そこには、悪趣味な金ピカな鎧を身に付けた銀髪の男が立っていた。




