第十話 道具屋の魔女
「ううっ、苦しい……」
胃の辺りを左手で押さえながら呟く。
カオス・ボルトの練習を、渡されたマナポーション十本全てを使うまで行った結果だ。
恐ろしい顔つきの鬼女を背後に屹立させたイリアの威圧に屈し、色々試させられた。
アレを前にして、拒否出来る奴はいないだろう。
もし拒否出来るやつがいたら、そいつは勇者として称賛されるに違いない。
おかげで胃の中は、マナポーションで満たされている。
一歩歩く度に水音が聞こえる様な気がするが、気のせいだろう。
実際に聞こえているのかもしれない。
幻聴であることを祈りたいが、何に祈れば良いのか?
駄目神の混沌神ケイオスだろうか。
絶対、選択肢に入らない。考慮の余地もない。
武神タケミカヅチは、何か違うだろう。
祈ることを諦め、武闘訓練場に歩を進める。
胃の苦しさに耐えながら辿り着いた武闘訓練場は一見、射撃訓練場とあまり変わらなかった。
壁際には的のスライムが等間隔で並んでいる。
だが、武闘訓練場は射撃訓練場の数倍は広かった。
複数人で実戦的な訓練をする事もあるからだろう。
俺には縁の無い話だが。
なるべく人目につかず、落ち着いて訓練できる場所を探し歩く。
暫く歩いてみたが、何処も余り大差無い様だ。
無駄な事をしたと思ったが、胃の苦しさが大分マシになっている。
もう、何処でもよくなったのですぐ側にあるスライムの前に立つ。
収納の指輪から昨日手に入れたばかりの大剣を取り出し、両手で構える。
思っていたより重く、構えるだけでやっとだ。
振るうのは厳しい。
だが、これをある程度振るえないとパイルバンカーを扱うのは難しいだろう。
パイルバンカーを使いこなすため、俺自身を鍛えるため、大剣で素振りを始めた。
縦に振り下ろし、横に薙ぐ。
斜めに振り下ろし、振り上げる。
そして突きを放つ。
これを黙々と繰り返し続ける。
腕に力が入らなくなった所で止めて、大剣を支えに座り込む。
息は切れ、足腰にも力が入らない。
これで毎朝素振りをやれば、かなり体を鍛えられるだろう。
大剣での素振りを日課にする事を決め、タオルを取り出し汗を拭く。
喉が渇かないのは、マナポーションを大量に飲まされたからだろう。
息も調い、全身の疲労が抜けた所で立ち上がる。
「そろそろ、試してみるか」
付与魔法――エンチャント・カオス――の効果を。
深呼吸をして心を落ち着かせる。
イリアは側にいない。延々とカオス・ボルトの練習を監視して満足したのか、実は仕事を放り出して来ていたのか、どちらか判らないし判りたくも無いが職場に戻っている。
彼女の監視と威圧の無い今、すぐに心は落ち着く。
「エンチャント・カオス」
両手で構えている大剣を対象にエンチャント・カオスを使った。
対象となった大剣の剣身が、カオス・ボルトの魔法同様の虹色に輝く。
カオス・シールドが黒色だったのに、カオス・ボルトやエンチャント・カオスが何故虹色なのか。
疑問に思った瞬間、脳裡にエンチャント・カオスの効果の説明が浮かんできた。
エンチャント・カオス
一定時間、武具に混沌属性を付与する。
武器に使用した場合、虹色に輝き威力を上げ、敵を倒すだろう。
防具に使用した場合、防御は黒っぽくなり防御力を上げ、その身を守るだろう。
だろう……っていい加減な。
だが、説明が変化している。
実戦で使用すれば、また変化するのだろうか?
実戦で使用すれば判るだろう。
説明が、実際と違っていたカオス・ボルトを思い浮かべる。
カオス・ボルト
対象に向かって、混沌属性の虹色の光が高速で飛んでいく攻撃魔法。
雑魚ならば一撃で葬り去り、強敵にも痛手を与えるだろう。
使用時のイメージにより変化する。
こっちも説明が変化している。
使えば使うほど、説明も詳しいものになるみたいだ。
訂正もされている。
確認だけして封印しようと考えていたが、暫く使ってみて結論を出した方がいいだろう。
魔法について考えているうちに、大剣から虹色の輝きが失われていた。
発動時間が過ぎたのだろう、剣身に鋼の輝きが戻っている。
今度こそ威力を確認する為、再びエンチャント・カオスの魔法を今度は無音発動で使用。
先程と同様、大剣の剣身が虹色に輝く。
そのまま、スライムに振り下ろした。
「冗談だろ……」
剣筋で二つに切り離されるだろうと思っていた。
しかし、現実はそんな生易しい物ではなかった。
剣筋を中心として、大半の部分が消し飛んだのだ。
唖然とする俺の前で、大半の部分を消し飛ばされたスライムが一つにくっつき、ゆっくりと元の形と大きさに戻ってゆく。
何て威力だ……。
使い処さえ間違わなければ、強力な武器になる。
大体一分程で、エンチャント・カオスの効果は失われていた。
エンチャント・カオスの効果持続時間は、大体一分と見て良いだろう。
防具に使用した時の効果は、迷宮に入ってから試すしかない。
防具も体内マナ残量も無い状態では試しようがないからだ。
魔法関係の確認は、これぐらいでいいだろう。
これで今日の予定は全て終わった。
とりあえず昼まで大剣の素振りをして、何処かで昼飯食って……。
面倒だ。後で考えよう。
昼飯後の予定を決めるのを後回しにし、昼飯時まで大剣での素振りを行った。
飯屋で昼飯を食い終わっても、何をするか決まっていない。
仕方無く、腹ごなしを兼ねて街を歩いている。
よく考えると、この街に来て探索者と成って初の休みの日。
街の事をよく知らないことに気付く。
気分転換も兼ね、街を散策する。
面白い物がないかぶらぶら歩いているうちに、何時も利用している道具屋の前を通り掛かる。
道具屋の看板に目が止まり、昨日使いきったポーション類を補充する事を思い付く。
懐はこれまでになく暖かい。
手持ちの金が少ないからという理由で、買い物を控える必要がない。
立ち寄る事を決め、扉を開け道具屋に入る。
店内は薄暗く、人気が無い。
探索者向けの道具屋なので、昼時に客が少ないのは当然だが。
ポーション類の購入が目的なので、陳列棚の商品には目もくれずカウンターに向かう。
つばの大きな黒いとんがり帽子を被り、黒いローブを纏った――いわゆる魔女と呼ばれる格好をした年齢不詳の女性が、カウンターで何かの作業をしていた。
彼女の名前を知らないので、俺は魔女と呼んでいる。
運が悪いのか、店主は不在の様だ。
彼女のやっている内容に興味は全く無いので、用を済ませる為に声を掛ける。
「取り込み中の所悪いが、仕事だ。魔女」
魔女は感情の無い人形の様な顔を向け、暴言を吐く。
「……忙しい。帰れ、“無能”」
あっさり拒否された。
“無能”について言い返したいが、後回しにする。
それよりもポーションだ。
最低でもヒールポーションだけは買っておかないと、俺の生死に関わる。
ソロの俺にとって、ヒールポーションが唯一怪我を治す手段だからだ。
だから、魔女に食い下がる。
「用が済んだら帰る。ヒールポーション二十本、マナポーション十本、後は在ればだが無属性の魔法書をくれ」
「天変地異の前触れ? キミがそんな大量に買うなんて……」
魔女が目を見開いた以外表情は全く変わらないものの、驚いているのが言葉から感じられる。
「酷い台詞だ。金さえ出来れば買える」
「有り得ない……。“無能”のキミが纏まった金を持っているなんて……」
「“無能”、“無能”と失礼だな。確かに“無能”だが、毎日金を貯めれば済むだろうが」
「無理。“無能”がソロでダンジョンに潜って一週間も生きている筈がない。三日生きていれば奇跡」
俺の言葉をバッサリと切り捨てる魔女。
だが、現実は魔女の言う通りだ。
“無能”と呼ばれるのは、八属性の魔法を使えない者達の事。
探索者になっても、魔法をほぼ使えない役立たずなためパーティーに入れてもらえない。
仕方無くソロでダンジョンに潜り、金を貯めるために無理をして死ぬ事が多いのが現実だ。
結果、八属性の魔法を使えない探索者は、役立たずな“無能”として侮蔑されている。
「地下一階なら、ソロでも何とかなる。さっさと持ってこい」
魔女に散々言われ腹が立つが、さっさと買い物を済ませる為我慢する。
何か言いたそうにしていた魔女は椅子から立つと、奥に入っていく。
多分、ポーションを取りに行ったのだろう。
戻って来るまで、暇潰しに陳列品を見て回ることにした。
色々な物が混在しているので良いものを探すのも大変だが、宝探しの気分で楽しむ。
ここは魔道具も多く扱っているが、その大半は魔女が作った物らしい。
「持ってきた」
カウンターの方を見ると魔女が戻っている。
思っていたより早く用意出来た様だ。
カウンターの上には、赤色の液体が入った瓶が二十本、青色の液体が入った瓶が十本、無色の液体が入った瓶が十本、巻物が二十本置いてあった。
これを見て、確認してみる。
「魔法書が無いし、注文してない物まである様だが?」
「無色の液体の瓶はキュアポーション。毒とかの治療薬。持っていて損は無い。魔法書は、今魔法を覚えても無駄。だから持ってきていない。巻物は、魔法の効果を封じたスクロール。詠唱の必要も無く、移動しながらでも封を切るだけで効果が一回だけ発動する。“無能”のキミでも簡単に使える、私の自信作」
今魔法を覚えるだけ無駄とは、酷い事を言ってくれる。
巻物は使い捨ての様だが、便利そうだ。
「わかった。で、巻物の魔法は?」
「無属性のシールドとエナジーボルトが十本づつ。因みに両手で使えば、同時に二つの魔法が使える。多分、きっと……便利?」
思っていた以上に便利そうだが、疑問で終わる所が不安だ。
気にしたら禿げそうなので、考えるのを止める。
「多分、便利だろうな。で、幾らだ?」
魔女と話していると、何時も調子を狂わされる。
さっさと帰ろう。
「全部で一万四千ジール」
「……一万四千ジール。置いておく」
ポーチから、一万四千ジール分の硬貨を確認しながら出す。
魔女は受け取った代金を確認している。
俺はポーチから取り出した袋に買った物を入れ、踵を返す。
「スクロール使ったら報告」
振り向いて返事をするのも面倒なので、片手を挙げる。
そのまま扉をくぐり、道具屋を後にした。
次回更新は、6月20日20時。
 




