10月25日(4)
再び手を握ると、信也君を引っ張る。屋上まで戻ってエスカレーターに乗せれば、こっちのものだ。
といっても、通例どおりならば、これで終わるはずもなかった。
諦めきれない死者が、最後のお別れをしたいと言い出す――よくある話だ。
「ミリアさん……」
「ミリアでいいわよ。なに?」
「じゃあミリア。少しだけ、時間をくれないかな?」
予想が的中したわたしは、高らかに信也君を笑い飛ばしていた。こうもピタリと予想が的中してしまうと、笑いたくなくても笑ってしまう。
意に反した態度に腹を立てたのか、信也君がわたしの胸倉をつかんできた。
「な、何がおかしい!」
「おかしいわよ。死んだ人ってみんな同じこと言うんだもん。死んだ人間が喋っても、現界人には聞こえないんだよ? それなのにお別れだなんて――意味のない行為だよ」
「やってみないと、分からないさ」
「正気なの?」
「もちろん」
本当なら首に縄をつけてでも、すぐに中界へと連れて行きたかった。
だけど、死者がこう言い出した場合は、その望みを叶えさせねばならない――これも、案内人のマニュアルにある規定だった。
「五分間だけだからね!」
わたしは片手を開いてみせると、そのまま部屋の外へと向かった。
「ありがとうミリア。恩にきるよ」
背後から信也君のお礼が聞こえるも、無視して部屋から出て行く。意味のない行為に付き合うほど、お人よしではない。
「まったく死者ってのは、どうしてこうも頑固なのかしら……」
霊安室の外で、思わずぼやきが漏れる。
大抵の死者は、無駄だと話してもお別れを言いたがる。お別れを言わないと、納得しないのだ。
もちろん最後のお別れなんて、現界人に届くはずもない。十人が十人、肩を落としてその場を去っていく。
わたしはその光景に、何度も出くわしている。今までに例外は一つもないのだ。
だからこそ、わたしは死者に無駄だと説明する。
三年間仕事をやり続けても、この疑問だけは未だに解明されなかった。
しかし他の同僚に聞くと、この行為は当たり前で、それを妨げようとするわたしの方がおかしいと言うのだ。
「どうしてかなぁ? 生きた経験のある人と中界で生まれたわたしでは、何かが違うんだろうか……」
ずっと不思議ではあるけれど、その答えが導き出されるはずもなかった。
なぜなら、現界で、現界人と同じ生活、同じ恋をするなんて、中界で過ごすわたしにはありえないからだ。
「あれ?」
ふと気がつくと、優美ちゃんが来た方向から、一人の女性が早足で歩いてくる。
黒い革製の服に、球体の物質を持って。
そのままわたしの側まで来ると、信也君のいる霊安室へと入っていった。
「今の人も、信也君の関係者かなぁ」
どんな関係かは知らないけれど、どうでもいいのも確かだ。
そろそろ五分経ったと判断し、わたしは再び霊安室の壁を通り抜ける。
先ほど入っていった女性が、優美ちゃんの隣で泣き崩れていた。
信也君は二人に背を向けて、涙を流し続けていた。
「お別れは済んだかしら?」
わたしが声をかけると、信也君は無言のまま頷いた。ようやくこれで、わたしも仕事をまっとうできる。