10月25日(2)
資料にもう一度目を通すと、信也君の遺体は霊安室に安置してある。
霊安室に迎えにいくのは、わたしたちの仕事では一番多い。吉沢総合病院の霊安室も、何度も行った経験がある。
屋上にたどり着くと、わたしは一目散に霊安室へと向かった。
屋上から院内へと続く扉を、難なくすり抜ける。中界の人はもちろん、死んだ人達も現界の物質をすり抜けることが可能である。
屋上から階段を下りると、そこは三階にあたる。
看護士や患者の横を通り過ぎ、わたしは廊下を突き進んだ。もちろん、わたしの姿は誰にも見えていない。
「ちょっと遅れちゃったかな? もう信也君いるかも」
いそいで廊下を直進し、霊安室と書かれた扉の前に立った。
中に入るために、わたしは扉を通り抜けようとした。すると、
「ひゃあ!」
突然、扉から一本の手が、わたしの目の前へと飛び出してきた。
飛び退きのけぞったわたしは、無様にも尻餅をついてしまった。しびれるような痛みがお尻に広がっていく。
「いたたたた……いったいなんなのよ!」
荒々しく吐き捨てながら、お尻をさすって立ち上がる。改めて扉を貫通しようと歩みを進めると、
「うひゃあ!」
再び扉から手が飛び出してくる。しかも今度は二本の手だった。
再びのけぞったわたしは、尻餅をつき、さらに勢いあまって後転して、壁にお尻を強打してしまっていた。
「い、いったいなんなのよまったく!」
壁にお尻、床に顎をつけたまま、扉を見上げる。
きっとわたしが来ないうちに、扉に迷子の死者が取り付いてしまったに違いない。地界に行きたくないがために、案内人であるわたしを拒否するのだ。早急に連行班を派遣させなければ。
体をひねりつつ起き上がろうとすると、視線の隅に足を引きずる女性が姿を現した。
「優美ちゃんだ」
愛する男性を失った優美ちゃんが、絶望で顔を歪めていた。
涙がとめどなく流れ落ち、頬に跡を何本も作っていた。
震える腕をなんとか動かし、霊安室に入る扉を全開にする。
そのまま優美ちゃんは部屋の中へと入っていった。
「かわいそうに。でも数日の辛抱だからね」
体制を整えたわたしは前髪を無造作にかきあげると、開けっ放しの扉から中へと入っていった。
いくつかの蝋燭に火が灯り、薄暗い室内。
目の前には信也君の体に寄り添って、むせび泣く優美ちゃんの姿があった。その横に、わたしの目的である信也君が立っている。
信也君は茫然自失といった面持ちで、優美ちゃんを見下ろしていた。優美ちゃんと同じく、愛する女性を残して死んだことに、苦しみを抱いているのかもしれない。
「おい、起きろよ、起きろってば!」
自分の死体へと信也君は近づき、一生懸命に起こそうとしている。
もちろんそれで死体が起きるはずもなく、不動を貫き通している。
信也君にも無駄な行為というのが、容易に分かったらしく、がっくりと膝を突いた。
「頃合いかしら……」
わたしは信也君へと近づき、優しさを装いつつ声をかけた。
「そろそろ自分が死んだって、認めてくれたのかしら?」
信也君が振り向く。色男というよりも、優男という言葉が似合いそうな、写真よりもかわいい青年だった。
ただ、すでに涙でぐしゃぐしゃになった顔は、本来とは別物に違いない。
黒髪にパーカーを着込み、黒いジーンズをはいた姿は、死ぬ直前の格好のはずだ。