10月25日(1)
十月二十五日 土曜日
さすがに今日は遅刻せずに、職場へと着いていた。
遅刻したとなれば、間違いなく深夜の仕事へと回される。なんとしても夜勤だけは避けなければ。
残念そうに目を逸らすテラと、物珍しそうな顔で見る同僚の脇を通り、机へと向かう。
「よっ、今月五回目の定時出勤。気分はどうなんだ?」
悪態をつきつつ声をかけてきたのは、もちろんカルバドスだ。
「ん? あぁ、大分良くなってきたよ。当分の間全快にはならないだろうけど、我慢しなくちゃね」
「そうだな、どんな映像を見たかは知らないが、これからは嫌っていうほど見なきゃいけないからな」
「あれ以上の映像は、見れないと思うなぁ」
「そんなに凄かったのか?」
両手を軽くあげ、カルバドスから天井へと視線を上向かせる。
「あんな死に方する人が、いてもいいのかって、疑問に思うぐらいね」
「どんな事象でも起こってしまえば現実、そして現実とは紛れもない真実なのだ」
「何よそれ?」
聴きなれない言葉に視線を戻すと、カルバドスは人差し指を顎の前に立てた。
「つまりだ、どんなに信じられない出来事でも、数万分の一の確率でも、起こってしまえばそれは現実だ。そして、現実に起こったことは、曲げられない真実にもなる」
「よくわからないけど」
「死んだと認めない人に言ってみな? 納得してくれるから」
得意げに述べ、カルバドスがウインクをしてみせる。正直に言って気味が悪い。
「カルバドスの教えなんて役に立ちそうにないけれど、いちおう覚えとくわ」
「だてに十三年も、この仕事をやってない。もっと信用しろよ」
「他の人なら説得力があるけど、カルバドスじゃあね」
「ひどい言われ様だな、まったく」
先ほどまでとは反対に、不機嫌そうに顔をしかめたカルバドスは、腕を組んでわたしから顔を逸らした。
「冗談よ。それよりまだいいの? 迎えに行かなくても」
「おっと、そうだった。早く行かないと迷子になるからな」
死んだ人を迎えに行くわたしたちは、ある意味では時間との戦いでもある。
室内ならまだしも、交通事故や墜落事故など野外での死亡者は、自分が死んだことに気がつかず、どこかへ消えてしまっている場合がある。
そうなると、幽霊や亡霊なんて話に発展しかねない。
わたしたちの到着が遅れれば遅れるほど、その可能性は高くなるのだ。
「じゃあ、行ってくる。今日はちゃんと自分で行けよ」
カルバドスは昨日と同じように、豪快な笑いと共に去っていった。
「さてと、鷹野信也君について、復習でもしとこうっと」
机の上から資料を探し出すと、声に出して読み始めた。
「鷹野信也。十七歳独身……って、当たり前じゃない。性格は温厚で淳良、学校でも人気あり。人の前で目立ったことをするのが苦手で、すぐに顔を赤らめる。そうそう、それでかわいい子どもだって思ったのよね」
綴られた資料を一枚めくって続きを読む。
「横断歩道に飛び出した子どもをかばい、自分が車に撥ね飛ばされる。そのまま気絶、病院での手術の甲斐も無く絶命か」
もう一枚、資料をめくる。そこには家族や友人の関係図が記されていた。
「父親を早くに亡くして、母子家庭で育ったと。一番の友人は三村光輝、つきあっていた
彼女は、山倉優美!?」
以前は気にもしなかった内容でも、昨日のビデオと照らしあえば、この文章が表す衝撃的な事実はあきらかだ。
信也君と優美ちゃん両想いで、つきあっていた。お互い揺るぎない夢と希望を抱え、一生懸命に生きていこうとしていたはずだ。
ただ、この二人は他の死者とは違い、少しは幸せかもしれない。なぜなら死後の世界とはいえ、最愛の人とすぐに一緒になれるのだから。
「二人とも、特に悪い人って訳じゃないし、きっと天界に来れるだろうしね」
わたしは何度か頷くと、資料を持って職場を後にした。信也君が亡くなるまで、そう時間はない。
目的地は吉沢総合病院の霊安室、そこに信也君はいるはずだ。
職場を後にして、わたしは外に出た。無限に広がっているかに見える大地が、目の前に広がっている。
数分歩くと、そこは中界の入り口だった。
城壁のような壁に、巨大な赤い扉が備えられている。扉の上には『閻魔城 中界 日本支部』と書かれた看板が、威風堂々とわたしを見下ろしていた。
扉から見て真正面に、いくつものパソコンが並んでいる。
これが中界と、生きている人の世界――わたしたちは現界と呼んでいる――とをつなぐ階段を発生させる装置だ。
「目的地、吉沢総合病院……っと」
呟きながら入力すると、装置が音をたてて動き出した。そのまま下方へと、カラフルな階段が伸びていく。
わたしが最上段に乗ると、階段は自然に動き出した。
このまま乗っておけば、吉沢総合病院の屋上へとたどり着く。時間にして、十五分ほどだ。