エピローグ
ビデオが終わり、顔中に広がっていた液体をくまなく拭う。
「ふぅ……」
一息ついてから、淡い模様の天井を見上げた。驚くほど、胸の中がすっきりしている。
「また一年待たないと、お母さんに名前を呼んでもらえないって、思ってたんだけどな」
年に一度しか呼ばれないわたしの名前が、ビデオの中とはいえ、何度もお母さんの口から発されていた。
ただ名前を呼ばれるだけでも、相手がお母さんなら、甘美な安らぎを与えてくれる。
最後に名前を呼んでくれたお母さん。今でもあの奇跡は強い印象を残している。
夢の中で再現されようものなら、一日中テンションが上がったままだ。
あの事件以降、わたしは遅刻をしなくなった。お母さんの記憶は消えても、わたしはまだお母さんの娘だと自負している。
そして、お母さんが言っていた言葉『わたしの娘なら約束は守る』という言葉を胸に刻み、それを守り続け、お母さんの娘であるという実感を得ているのだ。
――それでもテラには未だに嫌われているのだから、確執というのは根強いものだと痛感してしまう。
ソファーで背伸びをして、ビデオデッキからテープを取り出そうと立ち上がる。
その瞬間、背後からわたしは羽交い絞めにされた。
「よっ、なに見てたんだ?」
「う、うわっ!」
声の主は振り向かなくても分かる。カルバドスだ。いつの間にやら室内に入り込み、忍び寄っていたらしい。
すぐさま束縛を解き放ち、背後に向かって怒鳴り散らす。
「なんで勝手に入ってくるのよ!」
「いいじゃねぇか! 俺とお前の仲だろ!」
「どういう仲よ!」
わたしが怒鳴っても、カルバドスは全然懲りていなかった――というか、これで懲りるのならばすでに改心しているだろう。
口笛を吹きながら、そっぽを向く。その顔は可愛くも憎たらしかった。
「で、何を見てたんだよ?」
わたしのビデオに興味津々のカルバドス。
「あんたのくされ芝居よ!」
舌を出しながら告げると、カルバドスは感嘆の声をあげた。
「おぉ、三年前の映像か! それなら俺も呼んでくれればよかったのに!」
「やめといたほうがいいわよ。原稿用紙とにらめっこしたくないならね」
「なんだそれ?」
「エンマ様からの宿題よ。原稿用紙二十枚分の感想を書いて、提出しないと減給なの」
「それはさすがに、ごめんこうむるな」
こめかみを掻きながら、半笑いでぼやく。
わたしはビデオテープを箱に戻すと、机の引き出しから原稿用紙を準備し始めた。早く感想を書き始めないと、明日までに間に合わない。
「そういえば、あの時のエンマ様の言葉、覚えてるか?」
頭をひねり、原稿用紙に向かい合ったわたしに、ふとカルバドスが、意味ありげな言葉を漏らす。
「えっ? なにそれ?」
「全部演技だったのなら、ばれたかもしれんがなって言ってただろ!」
「あ、あぁ。言ってたわね。確かに」
記憶半分でうなずくと、カルバドスは呆れたように嘆息した。
「お前、ビデオを再生したまま、ずっと寝てたんじゃないのか?」
「失礼ね! で、それがどうかしたの?」
カルバドスの目が、鋭さを増していった。
わたしを突き刺すように見つめて、両肩を力強く掴んでくる。
「あれは、本当なんだ」
「えっ?」
「芝居じゃなかったんだよ。ごく一部を除いてな……」
「も、もしかして?」
「あぁ、そのもしかしてだ」
「カルバドスって、わたしのことを?」
言いかけると、カルバドスは途端にいつもの表情に戻った。人を小馬鹿にしたような態度で、鼻を鳴らす。
「何を言ってんだ、お前」
「だってあの時の聡史君って、いつもわたしを想ってくれてたじゃない」
「お前、勘違いしてるぞ?」
「えっ?」
聞き返すとカルドバスは、
「おれが言ってるのは、ミリアの肖像画のことだぞ?」
腰に手をやり、口元を緩ませる。
その顔は職場でよく見る、わたしや信也君をからかっている時の表情だ。
「肖像画?」
「あの『へのへのもへじ』ってのがあっただろ。あれがおれの本心だ」
「はっ?」
分かっていないわたしに、カルバドスは人差し指を突き出すと、二度、三度と横に振ってみせた。
「あの絵がミリアを本気で描いたおれの最高傑作ってことだ。上手に描けてただろ?」
「な、なんですって!」
わたしが腕を振り上げると、慌ててカルドバスは逃げ出していた。
「ハッハッハ。こっちまでおいで!」
「ちょっと、待ちなさいよ! このおたんこなす!」
しばらく室内で追いかけっこをした後、カルバドスは家の外へと飛び出していった。当然わたしもそれに続く。
「いつも仲がいいですね、二人とも」
帰宅途中のクレアが、わたしたちの追いかけっこに微笑みかけてきた。
「どこが!」
「どこがよ!」
「ほら、二人の声が見事にはもったじゃないですか。仲のいい証拠ですよ」
笑いを堪えながら、クレアがわたしたちの脇を通り過ぎていく。
「クレアもわかってないな。おれがミリアのレベルにまで、精神年齢を下げてやってるだけなのに」
「それは初耳ね」
傍らで頬をひきつらせながら、ぼそりとつぶやく。
「げっ、やべぇ!」
カルバドスは再び全速力で逃走し、早くも視界から姿を消した。
嘆息が自然と、口から漏れてしまう。
結局わたしの恋愛は、あれからまったく進展していない。
それが幸か不幸か――それは今でも分からなかった。
だけど、信也君やカルバドスと一緒に、楽しい毎日を過ごせ、死んだ現界人から冷血呼ばわりされることもなくなった。年に一回とはいえ、お母さんに名前も呼んでもらえる。
わたしの毎日は、以前と比べ物にならないほど満たされている。
この日常が、永遠に続きますように――わたしの願いは、ただそれだけだった。
『未来のキミを救いたい ミリア=ミリス編』を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。水鏡樹です。
鷹野信也編よりも少し早いですが、これでミリア=ミリス編は終了です。
まずはミリア=ミリス編だけを先に呼んだ方へ。
信也は優美を救えたのか? ミリアと一緒に居ないときに信也はどんな行動をしていたのか?
それらに興味がある方は、ぜひ鷹野信也編も読まれてください。
お互いの行動や細かい思考のすれ違いなど、ミリア=ミリス編を読んだ後でないと分からない楽しみがあると思います。
次に鷹野信也編と同時に読んでいる方。
二人の細かい係わり合いが一番よく分かりやすいと思うので、楽しんでいただけたなら幸いです。鷹野信也編のエピローグまで、もうちょっとだけお付き合いください。
最後に鷹野信也編を読んでからミリア=ミリス編を読まれた方。
長い時間をお付き合いいただき、本当に感謝の限りです。
お互いの行動による係わり合い、思考のすれ違い、鷹野信也編では分からなかったミリアの行動など、時には笑い、時には悲しみ、時には感動していただけたなら、作者にとってこれ以上の幸福はありません。
最後までお付き合いくださって、本当にありがとうございました。
また、全ての読者の方へ。感想などありましたら、ぜひお聞かせください。その際はどういった読み方をしたか(ミリア編を先に読んだ、両方同時に読んだなど)も併記していただければありがたいです。
それではまた、違う作品でお会いしましょう。水鏡樹でした♪




