10月28日(1)
十月二十八日(火曜日)
わたしは中界への姿へと戻ったけれど、まだお母さんのそばにいる。
「な、なんだ?」
お母さんは驚いたように辺りを見回し、そして自分の目から流れ出る液体を拭った。
「なんで、わたしは泣いているんだ?」
完全にわたしを忘れ、元の記憶に戻っているようだ。
もう、お母さんの前に姿を現しても、わたしの名前を呼んではくれないのだ――。
「お別れ、言わなくていいのか?」
振り向くと、そこにはカルバドスが立っていた。きっと迎えに来てくれたのだろう。
「言うよ! 言うに決まってるじゃない!」
何が起こったかわからず、オロオロと辺りに気を配るお母さんに、自分の想いを吐き出した。
「ありがとう。たった一週間だったけど、わたしのたった一人のお母さん。ずっと、ずっと忘れないから……」
たとえ聞こえなくても、無駄だとわかっていても、言わずにはいられなかった。
「信也君もわたしもいなくなるけど、次に会えるときを楽しみにしてます。その日まで頑張って、長生きしてください」
わたしの口から、嗚咽が漏れはじめる。
これ以上は何も言えない。そう判断してお母さんに背を向けた――その時だった。
「美利、亜?」
「えっ?」
お母さんの口から漏れた言葉は、間違いなくわたしの名前だった。
「だ、だれの名前だ? 一瞬だけ浮かんで、消えた……」
呆然としているお母さん。思い出してはいなくても、確かに発されたわたしの名前。
二度とお母さんの口から出るはずのなかった、美利亜と呼ぶ声。
「カルバドス! 今、聞いたよね!」
「あぁ、聞いた」
わたしはカルバドスに抱きつき、ただひたすらに泣き続けた。
わたしの名前を、記憶が無くなっても美利亜と呼んでくれたお母さんに、心の底から感謝をしながら――。
それからわたしは、カルバドスに肩を抱えられながら動く階段を上った。
もう二度と、わたしは生き返ることはない。だけど、今日までの一週間を生きたという経験は、今後も生きていくだろう。
「ところでミリア」
「んっ?」
カルバドスに聞かれて、首をかしげる。
「あれは、どういう意味だ?」
「あれって?」
聞き返すと、わたしを逃がさないようにと、腕に力を込めた。
「く、苦しい……」
「カルバドスのおたんこなすってのは、どういう意味だって聞いてるんだよ」
「あっ……」
そうか、しまった。聞かれることなんてないと思っていたから……。
「気のせい気のせい」
「気のせいじゃねえ!」
ギリギリと首を絞めてくるカルバドスと、必死に逃げようとするわたし。
だけど、二人とも憎しみの表情ではなく、満面の笑顔だった。