10月25日α(4)
家の中へと飛び込んで、扉を勢いよく閉める。大きな衝突音が屋内へと響き、右の部屋からお母さんが姿を現した。
「ドアはゆっくり閉め……どうした?」
一度は叱ろうとしたものの、わたしの容貌に驚いて近寄ってくる。
「なんでもない……」
「なんでもないことないだろ? 泣いてるのにはわけがあるはずだ。話してみないか? いつだって母さんは、美利亜の味方だぞ?」
「ごめん、今は、放っておいて」
わたしは涙を袖で拭い、階段を上っていった。昨日までは普通だった階段も、一段一段が異常につらく、のしかかってくる。
「美利亜」
背後から声をかけられて、わたしは足を止めた。
「放っておいてって……」
「そうじゃない。信也から美利亜に伝言を預かってるんだ。帰ったらすぐに吉沢総合病院へ来てくれってな」
ようやくそこで、わたしは本来の目的を思い出していた。優美ちゃんの生死を確認するために、早く帰ろうとしていたのだ。
「吉沢総合病院……ってことは、優美ちゃんの身になにかあったの!?」
「詳しくは知らないさ。信也も切羽詰ってたのか、ほとんど説明しなかったからな。ただ美利亜に来て欲しいと伝えてくれってな」
「そう、分かった……」
再び靴を履き、外へ出ようとすると、
「そういえばお前のこと、呼び捨てにしてたぞ。お前からも説教してやれ」
お母さんから、情報が追加される。わたしを姉さんと呼ぶことすら忘れてたとなると、相当に焦っていたのだろう。
わたしは震える両足に鞭打って、吉沢総合病院へと向かった。また駅の側まで行くのには抵抗があったけれど、優美ちゃんの運命が気がかりだった。
幸いにも聡史君には遭わず、吉沢総合病院へとたどり着いた。ふらつきながら、受付の看護士に尋ねる。
「あの……」
「はい、どうなさいました?」
「鷹野信也って子、知りませんか? その子に呼ばれてきたんですけど……」
「鷹野信也? そんな名前の患者さん、いたかしら?」
看護士が何やら患者のリストのようなものを調べていると、背後から別の看護士が、耳打ちをした。
「鷹野信也ってさ、ほら、山倉優美って子と一緒に来た……」
「ああ、確か、そんな名前だったわね」
「分かりましたか?」
わたしが再び訪ねると、看護士さんは笑顔で答えてきた。
「ええ、三○六号室――山倉優美って子の病室にいると思うわ」
「まさかとは思いますけど、そこって、霊安室じゃないですよね?」
おもむろに尋ねると、二人の看護士は顔を見合わせ、口に手をあてて小声で笑った。
「大丈夫よ。命に別状はないわ。もう意識も回復してると思うけど」
「そ、そうですか! よかった……」
わたしは胸に手を当て、大きく息を吐いていた。わたしの行動は、無駄にはならなかったのだ。
誰一人――信也君でさえ、わたしのアシストには気づいていない。それでも、自分の行動に間違いはなかったと、確信できただけで心が安らいだ。
「ありがとうございました」
頭を下げてお礼を言ってから、三○六号室へと向かう。現界の地理には詳しくないけれど、病院の中ならお手の物だ。
三○六号室にたどり着くと、病室の表札に山倉優美と書かれてあった。どうやらここで間違いないらしい。
ノックをしようと、拳を握る――と、中から話し声が聞こえてきた。
「あのね。果歩ちゃんにも三村君にも、全部話すつもり。だけど、やっぱりわたしの一番は鷹野君なの」
「ありがとう。山倉にそこまで想ってもらえるのは嬉しいよ」
「うん。だから……ずっと側にいてくれないといやだからね?」
信也君もわたしと同じように、ずっと一緒にいてくれと言われている。
わたしは上手に聡史君を諭せず、悲しいお別れとなってしまった。
信也君ならなんと言って、優美ちゃんを納得させるのか、少し興味があった。
扉に耳を澄ませる。そこから聞こえてきた信也君の言葉は、わたしの想像を絶するものだった。
「当たり前じゃないか。山倉が僕を必要としている限り、ずっと一緒にいるよ」
『ずっと一緒!?』
声に出さずに絶叫する。信也君の魂胆が、まったく理解できなかった。
「本当に?」
「嘘なんていわない。山倉さえよければ、僕の家に住んだっていいさ」
「えっ、いいの!?」
「もちろん。自宅にいたら心が休まらないでしょ? 僕の家だったら狭いけど、母さんもいるし。ちょっと怖いけど、悪い人じゃないからさ」
「ありがとう、ありがとう鷹野君!」
優美ちゃんのお礼の声を最後に、室内から出入り口へと近づいてくる足音が一つ。
とっさに扉から離れると、予想通りに信也君が姿を現した。