10月25日α(1)
十月二十五日 土曜日
目覚ましの音で、わたしは目を覚ました。時計はもちろん、八時半を指している。
あくびまじりに着替えを済ませてから、部屋を出ると、ちょうど信也君の部屋から優美ちゃんが姿を現していた。
「あ、おはようございます!」
「あ、おはよ……」
元気よく頭を下げる優美ちゃんに、顔を伏せながら挨拶を交わすと、わたしは逃げるように階段を下りた。
食事をする部屋に入り、中を見渡す。お母さんがせっせと朝食の支度をしていた。
「おっ、なんだ、今日は早いな美利亜。雪でも降るんじゃないか?」
「あ、うん、ちょっと友達と出かけるんだ」
「友達? まさか、男か?」
「ああ、うん」
気のない返事にも、なぜかお母さんが甲高い笑い声を響かせた。
「ハハハ! ついに美利亜も彼氏ができたのか!」
「そ、そんなんじゃないよ」
「なんだ、いまからデートだってのに、暗い表情だな……」
返事に苦しんでいると、背後から人の気配を感じた。もちろん優美ちゃんである。
「おはようございます!」
「おはよう。信也はまだ寝てるのか?」
「ええ。かわいい寝顔で!」
二人して高らかに笑い出すも、わたしは笑う気にはなれなかった。
「あの、具合でも悪いんですか?」
そんなわたしのようすが気になったのか、優美ちゃんが尋ねてくる。
「いや、別に……」
「そうか、分かったぞ。美利亜、おまえお金がないんだろ? 仕方のない奴だな……」
言いながら、お母さんは財布から一枚の紙切れを差し出した。その紙切れには壱万円と書かれている。
「信也には内緒だからな? 初デートの餞別として受け取っとけ」
「えっ? 美利亜さん、今からデートなんですか? うらやましいですね」
「なに言ってんだよ。優美ちゃんも今日は信也とデートだろ?」
「そ、それは……そうですね」
またも二人して笑い出す。わたしはいたたまれなくなり、
「行ってきます!」
吐き捨てるように叫び、家から飛び出していった。そのまま聡史君との、待ち合わせ場所へと向かう。
それは遊園地に行くためではなく、今日の予定をキャンセルするためだ。
わたしには何もできないとはいえ、一人でのうのうと遊ぶなんて、無理な話だ。
駅前にたどり着くと、聡史君の姿を探す。「あ、美利亜!」
わたしが見つけるよりも早く、向こうから声をかけてきた。服装は学生服ではなく、髪型もきちんとまとめて整えている。
「聡史君……」
「どうかした? 早く行こうよ」
遊園地に行く気満々の聡史君に、わたしは頭を下げた。テラに謝るときでも、こんなには下げないというほど深く――。
「ごめん、聡史君。遊園地に行くの、今日はちょっと無理かな?」
「えっ? 何か用事でもあるの?」
「そういうわけじゃないんだけど、ちょっと気分が乗らないっていうか……」
すべてを話せないのが、こんなにも面倒くさいとは思わなかった。少しだけ、信也君の気持ちが分かる。
「そっか……じゃあさ、せっかくだし喫茶店にでも行かない? 緊張して、朝ごはん食べてないから、お腹が減ってるんだ」
「喫茶店? まさか、チュ・ターク?」
「そうだよ。よく知ってるね」
わたしの脳裏に、電撃が走った。まだ、わたしにできることがあった。
エンマ様は優美ちゃんの早死にを、信也君に伝えてはならないといった。そして、わたしが助けてもいけないと。
その二つさえ守っていれば、わたしの行動に制限はない。確実ではないけれど、信也君の行動次第で、優美ちゃんを救えるかもしれない。
「行こう! 早く案内して!」
聡史君を急かすと、首をかしげる。
「チュ・タークを知ってるのに、場所は知らないの?」
「細かいことは気にしないの!」
聡史君の背中を押して、チュ・タークへの足取りを速める。
喫茶店チュ・タークは、それほど駅から離れていなかった。モダンな雰囲気の落ち着いた内装に、心地よいBGMが流れている。
わたしたちはカウンターの背後――店内がよく見渡せる場所へと座った。もちろんわたしがその座席を選んだのだ。
「僕はグラタンにするよ。美利亜は?」
「わたしも同じものでいいよ」
「じゃあ、グラタンを二つ」
エプロン姿の店員を呼んで、聡史君が告げる。店員は注文を繰り返してから、深々と頭を下げた。
「美利亜も朝ごはん食べてないの?」
「あ、うん。ちょっと急いでたから」
「じゃあ、ちょうどよかったね。ここのグラタンは絶品なんだよ」
嬉々として話しかけてくる聡史君には、申し訳なかったけれど、わたしの意識は出入り口へと向けられていた。
一分一秒が、こんなにも長く感じられる。初めての経験だった。
グラタンが運ばれてきて、聡史君がさましながら食べ始める。
「ミリア、食べないの?」
「あ、ごめん。わたし猫舌なんだ」
「そうなんだ……まあゆっくり食べなよ」
本当は猫舌などではない。だけどすんなりと嘘を言えたのは、そんなことを気にする暇なんて、ないからなのか……。