10月24日α(5)
「だれ……?」
警戒しながら、扉越しに声をかける。すると、聞き覚えのある声が名乗りをあげた。
「あの、竹下聡史です。美利亜はいらっしゃいますか?」
「えっ? 聡史君!?」
慌てて玄関のドアを開けると、そこにいたのは確かに昨日出会った、聡史君だった。
「あっ、美利亜。こんにちは」
「こ、こんにちは……でも、どうしてここが分かったの?」
「そ、それは……その、昨日、美利亜の後をつけたんだ。ごめんなさい」
ばつが悪そうに、うつむく聡史君。
「別にいいけど、わたしに直接聞けばよかったじゃない。家はどこなのかって」
「それは、そうだけど」
「まあ、いいけどさ。で、どうかしたの?」
「その、実は……」
そのまま頭を掻いたり、頬を真っ赤に染めたりして、なかなか話し出さない。
「せっかくだから、家に上がる?」
「えっ? いいの?」
「もちろん。さっ、どうぞ」
なかなか話し出さない聡史君を、家の中へと招き入れる。外出禁止とは言われたけど、家の中に誰も入れるなとは言われていない。
なんだか知らない抜け道を発見したみたいで、嬉しくなった。
自分の部屋へと案内して、二人でベッドに腰掛ける。ここは本当なら中界のわたしの部屋だけど、今なら入れても問題ないだろう。
わたしの部屋を見渡していた聡史君は、不意に、
「殺風景な部屋ですね……」
そう言い出していた。
「くっ、お、女の子らしくないって言いたいわけ?」
「い、いや、そういうつもりじゃ……」
慌てて否定する聡史君。何やら怪しいけれど、それ以上は追求しなかった。
「で、何があったの? もしかしてまたいじめられちゃったとか」
ようやく本題に戻ると、聡史君は大きく首を振ってわたしの発言を否定した。
「実はね、今日もあの三人に囲まれて殴られていたんだ」
「やっぱりいじめられてたんじゃない」
「ハハッ、確かにそうかも。でもね、そこからが昨日とは違うんだ」
「どう違ったの?」
「昨日、美利亜が言ったとおり、あいつらと戦ったんだ。そしたらあいつら、いきなり僕が歯向かうもんだから驚いたのなんのって」
高笑いした聡史君だったが、その笑いは長く続かなかった。
「でもね、結局負けちゃったんだ」
「それは……残念だったわね」
「だけど、すごく面白かった。慌てるあいつらの表情といったらさ!」
そこまで言って再び吹き出し、布団の上で笑い転げる。
そこに昨日までの――臆病で全てから逃げようとしている――聡史君はいなかった。
「だから言ったでしょ? 集団でいる奴らなんて、それだけ臆病なんだって」
「うん、よくわかったよ。これからも黙って殴られたりしない。絶対に今日と同じ表情を見てやるんだ!」
一層大きな声で聡史君は笑い、つられてわたしも笑う。
しばらく笑い続けた後、聡史君は突然笑うのをやめ、わたしに向かって頭を下げた。
「美利亜に出会わなかったら、僕は今日もお金を払えって言われて、殴られるだけの一日を過ごすところだった」
「きっかけを与えただけだよ。勇気を出して実行したのは聡史君自身なんだから」
「でも……」
「ほらほら、そんな情けない顔をしないで。もっと自分に自信を持ちなさい!」
背中をドンと叩くと、信也君は苦笑しながらも、お礼を述べた。
「ありがとう、美利亜」
「どういたしまして!」
お礼を言ってくる聡史君の頭を撫でながら微笑んであげると、聡史君は顔を赤くして、わたしから素早く離れた。
「どうかした?」
「な、なんでもないです。と、ところで美利亜、明日は何か用事があるの? よかったら一緒に出かけない?」
「明日?」
言われて頭をよぎったのは、優美ちゃんの死ぬ光景だった。だけど、わたしには何もできない。
わたしがやらなければならないのは、現界人との恋愛を経験すること。エンマ様もそう言っていた。
駅前に行くのも悪くないけれど、昨日と同じ結果になる気がする。それならば聡史君と一緒に過ごしたほうが、よほど有意義に過ごせるだろう。
「……と、特になにもないけど?」
平静を装いながら、答える。聡史君は疑うようす一つなく、話を続けてきた。
「それじゃあさ、遊びに行こうよ。昨日のお礼も兼ねてさ」
「二人で?」
「もちろん、遊園地なんかどうかな?」
「遊園地……って何?」
聡史君の顔色が、顕著に変わった。どうやら遊園地を知らない人なんて、現界にはいないらしい。
「なんて言ったらいいかな……とにかく楽しい所だよ」
「楽しいところか。行ってみたいな」
「でしょ? じゃあ明日の午前九時に、駅前で待ち合わせしようよ」
少し考えてから、わたしはにっこりと微笑んだ。
「うん、いいよ」
「よかった! じゃあ明日、駅前で待ってるからね!」
聡史君を玄関で見送ってから、わたしは深い吐息を漏らしていた。正直に言えば、楽しく遊べるような気分じゃなかった。
だけど、瞳を輝かせている聡史君の申し出を、断るのは忍びなかった。
階段に座って、しばらく固まる。また、悩みの種が一つ増えてしまった。
「美利亜」
前触れもなく声が聞こえて、顔を上げる。
いつのまに帰ってきたのか、そこにはお母さんが立っていた。仕事での服装なのか、つなぎの作業服を着ている。
「お母さん……」
頭がごっちゃになっていて、そう呼ぶのが精一杯だった。
だけどお母さんは、それよりもわたしの一日に憤慨していたようだ。しかめっ面で、わたしを上から見下ろしている。
「お前、約束を破って出かけたな?」
「えっ? で、出かけてないよ! 家にずっといたよ!」
「だったらどうして、玄関の扉に挟んでおいた紙が、下に落ちてるんだ?」
お母さんが指差した先には、確かに小さな紙切れがあった。
「そ、それは、その……お、お母さんが帰ってきた時に、落ちたんじゃないの?」
「それはない。わたしが仕掛けたんだぞ? ちゃんと確認して入ってるさ。だがな、玄関の扉に挟まれた紙はなく、扉を開けた時にはすでに落ちた後だった。さあ、どう説明するんだ? 場合によっては一生飯抜きになりかねないぞ?」
眉を吊り上げた顔を、わたしに近づけてくる。仕方なくわたしは、きちんと説明した。
外出したわけではなく、友達を家に入れただけだと……。
「ほう、なるほどな。そうやって、難を逃れたってわけか……」
「ごめんなさい」
「まあ、今回は許してやる。だが、次はないからな、覚悟しとけよ」
お母さんはわたしを階段に残したまま、玄関右の部屋へと入っていった。
部屋から出てきた時には、作業服からエプロン姿へと変わっていた。ようやくそこで、信也君からの言伝を思い出す。
「そういえば信也から、今日は晩御飯いらないって電話があったよ」
「ん? そうなのか? じゃあ今日の夕飯は簡単なもので済ますか」
わたしが頷き、二人で食事の部屋へと向かう。お母さんの手には、カップラーメンが握られていた。
「昨日も、それだったんだけど……」
わたしは思わず、そう呟いていた。
もちろんカップラーメンは大好きだ。だけど、どうせなら他にも、現界でしか食べれないような物を食べてみたかった。
「そうだった。じゃあ、おでんにしよう。おとといの残りがまだあるんだ」
「カップラーメンが食べたい! 二日連続でもカップラーメンって美味しいよね!」
瞬間的にそう返答しながら、ハッと我に返る。どうせなら、物珍しいものを希望すればよかった。
だけど、わたしが知っているような名前の食べ物は、中界でも食べれるものだろう。
「そうか? じゃあお湯を沸かしてくる」
結局そのまま、今夜もカップラーメンで夕食が終わった。
味は悪くないけれど、昨日よりも感動が薄れていた分、少し物足りなかった。
「へっくち!」
何の前触れもなく、鼻がむずむずしだしたわたしは、くしゃみを放っていた。
「なんだ、風邪か?」
「分かんない……へっくちん!」
再びくしゃみが放たれ、ティッシュで鼻をかむ。
「誰かが美利亜の噂でもしてるんだろ」
「わたしの噂?」
そうかもしれない。だとすると、犯人は間違いなくカルバドスだろう。
それからはくしゃみも止まり、夕飯も無事に終わる。すでに時間は八時を回っていたけれど、信也君はまだ帰ってこなかった。
優美ちゃんの家で夕飯を食べるにしても、こんなに遅くなると、心配になってくる。
「お母さん、信也遅いね」
わたしが訪ねると、お母さんは、
「連絡してくるだけ、美利亜よりはマシだけどな」
と、笑い飛ばされた。藪をつついて蛇を出すとは、まさにこれだ。まるでテラを相手に
しているような気分になってくる。