10月24日α(1)
十月二十四日 金曜日
自然に目を覚ますと、すでに十二時を回っていた。さすがに今日は、慌てて着替えたりはしなかった。
外出禁止のわたしは、当然家から出られない――と思っていると、どうやらお母さんは仕事に出かけたらしく、家には誰もいない。
「なんだ、でかけたって大丈夫じゃない」
昨日に続いて駅前に行こうと、玄関に移動する。
靴を履き替えようとするわたしの視界に、大きな張り紙が入ってくる。玄関の扉に張られたものだ。
『外出したらわかるからな。家でおとなしくしてろ! もし家から一歩でも出たら一生飯抜きだからな! 母より』
赤色の極太ペンで書かれた文字は、お母さんの迫力と恐ろしさを十分に再現していた。
「……やめとこう」
結論を導き出すと、わたしは自分の部屋に戻った。
ベッドの上に体を投げ出し、ボーッと天井を見つめる。仕事で忙しい時にはこんな時間に憧れていたけれど、いざその時間が手に入ると、退屈で仕方がなかった。
「なにか、やること。家の中で……」
しばらく考えたわたしは、素晴らしいアイデアが浮かび上がった。
「そうだ、中界に戻ろう」
わたしは白いローブに緑色の腕章をまとうと、
「カルバドスのおたんこなす」
中界で生活する状態に戻る。そして、
「エンマさまぁ」
猫なで声を上げると、わたしの体が光に包まれていった。
次の瞬間には、エンマ様の部屋にいた。
「どうしたミリア。何かあったか?」
審判中のエンマ様が、当然のごとく尋ねてくる。
「いえ、なんでも……オホホホホ」
適当に愛想笑いをしながら、わたしはエンマ様の部屋から逃げ出した。
中界に戻ってきた理由――それはもちろん仕事をするためではない。
優美ちゃんは骨折のせいで、爆弾の仕掛けられた会場から逃げられなかった。
そしてその骨折は、すでに信也君が昨日の内に防いだと言っていた。
となれば、優美ちゃんがサーカス会場から逃げ出せない理屈はなくなり、死ななくてすむはず。
それを確認するには、中界のDVを見るのが一番早い。
もし優美ちゃんのDVに書かれた享年が、八十歳にでもなっていれば、それはすなわちサーカス会場から逃げ出せたという結論になる。
「わたしって、頭いいよねぇ」
鼻歌を歌いながら、廊下をスキップで進んでいく。
ビデオルームに入ると、早速わたしは優美ちゃんのDVを検索し、手中に収める。
そして一度目を閉じ、片目だけをゆっくり開きながら、背表紙のタイトルを見る。
そこには『山倉優美 享年十六歳』と書かれていた。
「はぁ。やっぱり、そんなに甘くはないか」
わたしはDVを元の場所へ戻そうと、手を伸ばした――と、同時に、妙な違和感を感じていた。
もう一度、手元までDVを戻し、タイトルを眺める。何度見ても『山倉優美 享年十六歳』だ。
「優美ちゃんの享年、十六歳だっけ?」
必死にサーカス会場での死亡が録画されたDVの、背表紙を思い出す。
確かそこには『山倉優美 享年十七歳』と書かれていたはずだ。
一瞬で、背筋に悪寒が駆け抜けていた。パソコンを利用して、優美ちゃんのデータを呼び出す。
確認したわたしは、愕然としてしまった。
優美ちゃんの命日は、十月二十八日だったはずだ。それが今では、十月二十五日になってしまっている。
「何これ……何かの間違いでしょ?」
だけど、何度確認しても間違いではなかった。資料には、母親に壺で殴られて死亡という死因まで、きっちりと書き込まれている。
手が震えだし、持っていたDVが軽い音を鳴らす。
「そうだ、確認すればいいんだ!」
わたしはビデオデッキに優美ちゃんのDVを入れて、すぐさま再生ボタンを押した。
画面に映し出された映像は当然、サーカス会場ではなかった。どこか場所は分からないが、靴が大量に並んだ室内――玄関だと思われる。
そこには優美ちゃんともう一人、派手な格好をした、四十代前後のおばさんがいた。この人が優美ちゃんの母親なのだろう。
「鷹野君はそんな人じゃない!」
「なぜ断言できるの? 人間なんてみんな、お金の前では本性を現す。その子もすぐにそうなるわ」
どうやら優美ちゃんは、母親ともめているらしかった。温厚な優美ちゃんの表情が、激昂している。
「お母さんには、お金では得られない絆なんて一生、分からないのよ!」
そう最後に吐き捨てた優美ちゃんは、振り返り母親に背を向ける。
刹那、陶器が砕け散ったような音がこだました。
母親の手には、かつて壺であったものが握られている、そして、スローモーションのように、崩れ落ちる優美ちゃん。
「高い壺なのに……道具のくせに生意気な口きくから、そうなるのよ」
吐き捨てるように告げると、母親はその場から去った。頭から流れる流血が、鼓動に合わせてどんどん溢れ出てくる。
「鷹野君……」
後に残された優美ちゃんが、ゆっくりと目を閉じる。
「もう、いいや……」
最後にそうつぶやく。映像はそのままを維持した。DVが終わらないということは、まだ優美ちゃんが生きていることを意味する。
わたしは早送りをしつつ、成り行きを見守った。すると約一時間が過ぎた頃、家の中にインターホンの音が鳴り響く。
何度も何度も、インターホンは自分の存在をアピールする。
だけど、それに優美ちゃんは応えることなく、画面は暗くなっていった――。
砂嵐状態に戻った画面をそのままに、わたしは両腕で自分の体を抱きしめていた。鳥肌が全身にたち、寒気が治まらなかった。
「何よ、これ。わたしや信也君が生き返ったせいで、優美ちゃんは予定より早く死んじゃうわけ?」
人の死に触れることは何度もあったけど、自分のせいで誰かが死ぬのは初めてだった。