10月23日(3)
だけど、その晴れ渡った心も、すぐに雨模様へと変化した。
「ただいまぁ!」
玄関の扉を開けると、まだ靴も脱がずに立っている学生服の信也君、そしてこめかみに青筋を浮かべているお母さんの姿があった。
「美利亜! こんな時間までどこほっつき歩いてたんだ!」
「えっ? 信也もいま帰ったんじゃ……」
「信也は学校に行ってたんだ! いつまでもぶらぶらしてるお前とは違うんだよ! 罰として明日は外出禁止!」
「えっ、ええぇ!?」
お母さんの宣告が、わたしを容赦なく谷底へと突き落とす。
お母さんが何やらわめき続けているけど、そんなものは耳に入らなかった。これで明日は駅前へと出かけられない。
それはつまり、わたしが現界の人と恋をする可能性も、減ってしまうという意味だ。
「いいか、もう何度も言わせるな。早く家に帰れ! 働いてわたしに楽をさせろ! わたしの言うことを素直に聞け!」
ようやく耳に戻ってきたお母さんの声に、
「何度もって、言われたことないのに……」
小声で反論する。だけど、
「なんか言ったか!?」
鬼の形相でにらみつけたお母さんに、わたしは必死でかぶりを振った。地界の鬼でも、お母さんには敵わないかもしれない――そんな思いが頭をよぎる。
「とにかく、今日はもう夕飯を作る気分じゃない」
「あちゃ……」
横で信也君が頭を抱えるも、
「信也、なんか言ったか!」
素早く反応したお母さんに、全身を使って頭を振った。
信也君の持っていた鞄が、わたしのわき腹に直撃しているのも気がつかずに。
「カップラーメンでも食べとけ! ちゃんと片付けもしろよ!」
お母さんは荒々しく鼻息を鳴らし、玄関すぐ右の部屋へと引っ込んでしまった。
勢いよく閉められたふすまが、甲高い衝撃音を屋内にこだまさせる。
「信也君のお母さん、すごいねぇ……」
ようやく解放され、強張った全身から力を抜く。
だけど、信也君は納得していないようだ。
「まったく、こっちはいい迷惑だよ。ミリアのせいで夕飯がカップラーメンになっちゃったじゃないか」
「わ、わたしのせいなの?」
「機嫌が悪くなると、母さんはご飯を作らないんだ。そんな時は、決まってカップラーメンなんだぞ」
「カップラーメンって……なに?」
まるで信じられない、奇跡の証でも見つけたように、信也君はわたしから一歩離れた。
どうやらカップラーメンとは、中界にはなくとも、現界では誰もが知っている食べ物らしい。
「ったく、食べさせてやるよ」
呆れつつ信也君は、食事をする部屋へと入り、わたしを椅子へ座らせた。
よくわからない蓋のついた容器の中に、固まってしまった麺が入っている。ラーメンならば 知っているけれど、こんなに硬くないはずだ。
信也君は何も言わずに、お湯を入れて蓋をした。
三分ほど経過してから、信也君がわたしに蓋を開けさせる。
「わぷっ!」
蓋を開けた瞬間、中から湧き出してきた湯気がわたしの顔面を襲ってきた。
必死で湯気を払い、再び容器の中を覗き込む。すると先ほどまでカチカチだった麺が、ちょうどよい柔らかさへと変化していた。
試しに一口、食べてみる。少し味が濃い気もするけど、わたし好みの麺の固さ、具の味付けだった。
「美味しいじゃない! しかもお湯入れるだけでいいなんて。仕事に疲れた夜にはピッタリね」
中界でも作られればいいのに――本気で考えてしまった。
だけど、今まで誰もが作っていないのならば、本当に必要としている人がいないのかもしれない。天界はもちろん、中界で仕事をしている人も元現界人が多いのだから、この味には飽きている可能性もある。
食事を終えると、わたし達は片づけを済ませて、素早く二階へと上がった。お母さんにバレないよう、足音を忍ばせながら。
信也君の部屋へと入ると、今日も信也君の相談に乗ってあげた。
優美ちゃんの骨折は防げたものの、どうやら違う悩みが浮上したらしい。それもわたしにかかれば、あっという間に解決だった。
信也君と別れ、今日も一日が終わる。明日は外出禁止という名目が打たれ、わたしは家で無駄な一日を過ごすしかない。
「このままじゃ、あっという間に一週間なんて、過ぎちゃうだろうなぁ」
そんな想いを胸に、わたしは布団の中へともぐりこんだ。